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2006年

05年1〜6月 05年6〜8月 05年8〜11月 06年 07年


発言者: いまのまさし
TITLE: !!20_謹賀新年_06!!
CATEGORY: 日記・コラム・つぶやき
DATE: 01/01/2006 12:13:03 AM

明けましておめでとうございます

 今年もよろしくお願いいたします。
 重苦しく暗い時代で、どんなことが起きるかわからないけれど、誰の言いなりにもならない自分なりの価値観を作り上げながら、生きていきたいと思います。
 末筆ながら皆さんのご多幸をお祈り申し上げます。




発言者: いまのまさし
TITLE: 眠れない
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CATEGORY: 日記・コラム・つぶやき
DATE: 01/27/2006 02:09:25 AM

 うまく眠れない。
 こんなことは滅多にないのだけれど

 疲労感は強いのだが、電気を消して横になると目がさえてしまう。
 やっておかなくてはならない仕事もいろいろあるのだが、そういうことをやる気力も起きない。

 結局、らちもないテレビやビデオを見て気を紛らせる。




発言者: いまのまさし
TITLE: どうすれば
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CATEGORY: 日記・コラム・つぶやき
DATE: 01/30/2006 12:18:57 AM

 緑内障の初期段階では、患者は自分の視界が失われていることに気づかないのだそうだ。
 何だか今の自分もそんな風な感じなのだろう。

 あまりに突然に事態が進行し、それなのにほとんど日常生活は日常生活のまま何も変わらないような気がする。本当は非常に大きな変化が起きたのだけれど、そのことを考えようとしても、そこだけがボンヤリしていて霞がかかったように感じられるのだ。
 考えなくてはならないこと、憶えておかなくてはならないこと、やっておかなくてはならないこと、色々なことがあるはずなのだが、何も出来ないでいる。

 わが家のスタイルが、基本的に行事的なことや儀式的なことをやらないものなので、けじめがつかないことも一因なのかもしれない。

 なんにしてもたぶん今年は、阪神の試合中継も囲碁・将棋、俳句の番組も、あまり見ることがなくなるのであろう。ブックオフのポイントサービス券は誰に渡せばよいのだろう。珍しい酒の味見は誰とすればよいのだろう。




発言者: いまのまさし
TITLE: 中古CDプレーヤーを分解する
CATEGORY: 日記・コラム・つぶやき
DATE: 05/02/2006 09:50:23 AM

 ハードオフでジャンク扱いのオーディオ機器を購入した。
 衝動買いというのではないが、ちょっと思うところがあって、居間にオーディオを置くことにしたのだ。(ただ、どうも最初の思惑ははずれてしまったようだが。)

 買ったのは、ONKYOのINTEC CR-185X CDチューナーアンプと、KENWOODのCM-9 コンパクトモニタースピーカー。両方で約4500円。
 正直言って、スピーカーはハズレ。小型スピーカーだからしかたないところもあるが、 音に重みがないにもかかわらず軽快でもなく、これなら大型のラジカセと変わらない。
 一方のCR-185Xの方は、但し書きに「CDの音飛びが激しい」と書いてあった。確かに普通のCDでは音楽であることさえわからない位ひどい音飛びがした。3トラックしか入っていないレンズクリーナー兼オーディオテスト用サウンドCDは、認識すらしない。

 しかし、この機種はファンが多い名機らしく、ネット上には多くの書き込みがあり、修理方法を写真付きで紹介してくれる人もいるので、ここは一丁カバーを開けてみることにしたのである。
 ここで不具合の症状をもう少し詳しく見ると、音飛びが最も激しいのは最初のトラック(1曲目)で、次のトラックになればなるほど再生が安定する。となるとこれはさほど深刻なことではなく、かなり大雑把な問題のような気がする。

 ネット上の分解記事などを頼りにほとんど一日がかりで完全分解した。が、分解途中で生じた問題(たとえばトレイ開閉用のギアの噛み合わせ位置を間違って、トレイが開かなくなってしまったとか)を除けば、ぼくにわかるような故障箇所は見つからなかった。逆に途中でテストしたらCDが回らないとか、事態が悪化している感じさえ。
 あきらめて、ホコリをふいたり油を差したりしただけて再度組み立て直した。これも途中でねじを締め忘れて再度分解したり、相当苦労だったが。

 ところが。

 電源を入れてみると音飛びが直っているのである。何だかよくわからないが、結果オーライということで。
 これだけ徹底的にオーディオ機器をいじったのは初めてだったので、まあ良い経験だったと言っておこう。

 ところで、最後の最後にネジが二本あまってるんですけど、これ何でしょう?




発言者: いまのまさし
TITLE: 死んだ戦争責任者より、生きている戦争被害者
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CATEGORY: ニュース
DATE: 08/11/2006 08:46:41 PM

 自民党総裁選に絡んで靖国問題が浮上している。
 しかし、本当に国のために命を賭した人のことを考えると言うのならば、死んでしまった戦争指導者たちのことより、今なお苦しみ続けている国民のことを考えるべきではないのだろうか。
 小泉総理は、靖国参拝に燃やす執念の半分でも良いから、国の戦争の犠牲となった被爆者救済に力を入れて欲しい。

 今日、国は原爆症認定広島訴訟において、41人の被爆者と遺族からなる原告勝訴の地裁判決を不服として控訴した。




発言者: いまのまさし
TITLE: 靖国とヒロシマ・ナガサキは違うということ
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CATEGORY: ニュース
DATE: 08/12/2006 08:52:01 AM

 昨日のブログを書いてからふと思ったのは、一部に誤解を持つ人がいるかも知れないということ。
 考えてみれば小泉首相は歴代首相とは違い、毎年被爆地を訪れ慰霊式典に参加している。もしかすると彼はこれでバランスを取っているつもりかも知れないが、そう考えていたとしたらそれは全くの間違いだ。
 靖国神社は参拝すれば目的を達成できるが、生きている戦争被害者たちは(被爆者に限らず)、現実的な救済策が必要であり、特に現状の政策からこぼれ落ちている人たちを早急にすくい上げることが求められているのである。

 ちょっと気になったので一言。




発言者: いまのまさし
TITLE: 身近にある孤独死
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CATEGORY: 日記・コラム・つぶやき
DATE: 08/14/2006 08:07:38 PM

 昨日うちの下の部屋で50代の男性が孤独死しているのが発見された。消防や警察が多数来て一時騒然となった。
 すでに亡くなってから10日ほど経っているそうで、ぼくは毎日この部屋の前を通っていたのに全く気づかず、申し訳ないことをしたと思う。今までほとんど会ったことはなかったが、ちょっと前に回覧板を届けて顔を会わせたばかりだった。

 この方はお母さんと二人暮らしだったが、そのお母さんが今年2月に亡くなったばかり。ちょうどうちの父が死んだ直後のことだった。

 ぼく自身を含めて、ぼくの友人には中年の独身男が多い。その中には、老親と同居している人や、精神・脳機能に病気を持つ人、無職も多い。
 シングルの中高年男性はかなりいると思うが、今の社会にはこうした層の問題を取り上げるチャンネルが少ない。

 その一つの要因が、こうした人たちが他者の介入を嫌う傾向にある点にある。プライドも高いし、他人と関わることを面倒がったり、ある面では怖れていたりする。また一方、端から見たら得体の知れないオヤジだから、周りの人が積極的に関わってくることも少ないだろう。

 これからの社会における重要な問題になってくると思う。




発言者: いまのまさし
TITLE: バリカンを買う
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CATEGORY: 日記・コラム・つぶやき
DATE: 08/14/2006 08:20:23 PM

 しばらく前から考えていたのだが、昨日バリカンを買ってみた。
 近くの石丸電気で一番安いやつ。サービスポイントもあったので千円くらいだった。
 家に帰ってさっそく散髪。10ミリの丸刈りにした。
 まあまあ普通の坊主になったが、そばで見ていた母が、すそがダメだという。しかたなく3ミリのアダプタに付け替えて、勘で後頭部のすそ刈りをしてみる。
 何せ見えないのだからしかたない。
 どうも虎刈りになってしまったらしいが、自分では見えないので、これで終了。
 先月の床屋代が3300円だったことを思うと文句は無し。




発言者: いまのまさし
TITLE: 勝てそうにない日本外交
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CATEGORY: ニュース
DATE: 08/16/2006 07:52:48 PM

 北海道で漁船がロシア国境警備隊に銃撃を受け、死者を出して拿捕された。命をかけて操業しなければやっていけない漁師の状況は大変に痛ましい。
 その問題自体は別の機会に譲るとして、麻生外務大臣は即座にガルージン駐日ロシア臨時代理大使を呼び抗議したが、テレビで見る限りこの大使は相当なものだ。日本語はほとんど完璧だし、冷静で臆するところなく、コメントも的確でよどみない。
 こんな人物を大使に送り込んでくるロシアと、カビの生えたようなタカ派の麻生大臣では、そもそもケンカにならないのではないか。
 合衆国の顔だけを見て独自の外交哲学を持たない現在の日本外交は、全く世界に通用しないと思わせるものがあった。




発言者: いまのまさし
TITLE: 靖国問題の核心
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CATEGORY: 社会思想
DATE: 08/16/2006 08:46:33 PM

 小泉首相が終戦の日に靖国神社を参拝したことで、マスコミも大々的にこの問題を焦点化している。しかし、靖国問題は複雑であるがゆえに、論議すればするほど問題の核心から微妙にずれていくような気がしてならない。
 A級戦犯問題を軽視するつもりはないが、そこには中国との外交問題の側面も大きく、それじゃあ分祀したらかまわないのか、ということにもなってしまう。

 しかしあえて誤解を恐れずに言うならば、最大の問題は「心の問題」でも「歴史観」でもなく、私たち日本に住む人々の日常生活に対する具体的・実体的な干渉の問題なのである。
 それを象徴する出来事が、当日発生した加藤紘一・元自民党幹事長の実家焼き討ち事件である。

 小泉参拝を穏健に批判した加藤元幹事長を右翼のテロが襲った。一歩間違えば直接的な関係のない90歳の母親が殺されていたかも知れない。テロルは恐怖政治の手法である。ターゲットを直接傷つけなくても、多くの人々に恐怖感を植え付け、言動をコントロールするのだ。テロルの卑劣さはそこのところにある。
 靖国参拝を批判するのは危険だという雰囲気が、これで一気に高まった。

 われわれが靖国問題において一番問題にしなければないのは、この問題がこのような強制力として働いていく方向に向かっていくことなのである。
 現時点では靖国問題は確かに「心の問題」かもしれない。
 しかし、かつては年号使用も日の丸・君が代も「心の問題」だったのだ。それが今日では「公」の場では完全な強制となりつつあり、まるで不敬罪が復活したかのように、学校行事における不起立者の狩り出しと処分が日常化している。

 現行の憲法を「擁護」することすら、政治的であると糾弾される時代となった(日本各地で被爆体験を語る場で憲法問題に触れてはならぬとお達しが出ている)。
 こうした動きの先に、「支配層」に都合の良い思想が唯一の思想として強制され、言論の自由が圧殺されていく世界があるのだ。「靖国」自体の中に危険が潜んでいる。そのことを忘れるまい。




発言者: いまのまさし
TITLE: 鈴木亜美
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CATEGORY: 芸能・アイドル
DATE: 08/16/2006 09:05:07 PM

 鈴木亜美が復活を遂げてしばらく経つ。なんとか復帰成功のようで喜ばしい。
 今度は脇役ながら映画出演するそうだ。

 それを伝える記事の中で、鈴木亜美が過去に唯一出演したドラマ「深く潜れ〜八犬伝2001」に「トラウマ」があるという一節があった。自分では「作品を見て悔しかった。もう絶対にやりたくない」のだそうである。

 そんなことはないと思うのだが。

 実はぼくはこのドラマを見て、鈴木亜美と小西真奈美のファンになったのである。別に宣伝することでもないので、他人に言ったことはないが、
 ちなみに千原兄弟を始めて見たのもこのドラマだった。

 鈴木亜美も小西真奈美も、それぞれに不思議な存在感があって非常に引きつけられた。小西真奈美は磨かれた演技力が背後にあったのかも知れないが、鈴木亜美にも(少なくとも)天性の魅力があったと思う。それはタレントに不可欠な要素の一つである。ぼくには正直、歌よりもドラマの方が良いと思えたのだ。




発言者: いまのまさし
TITLE: 日本が戦争に勝っていたら
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CATEGORY: 経済・政治・国際
DATE: 08/20/2006 09:05:46 AM

 領海が決定していない海域で、民間の小さな漁船に対し、国境侵犯として銃撃し死亡者を出すような行為は許せない。東京裁判も戦勝国の一方的な懲罰行為に他ならない。
 確かにその通り!

 しかし、もし、日本が先の大戦で戦勝国になっていたとしたら。
 果たして日本は連合国に対して責任を追及しなかっただろうか。ロシアの密猟行為を黙認しただろうか。
 ぼくにはどうしてもそうは思えない。
 むしろ、もっと苛烈な対応を取ったのではないかと考えてしまう。

 そういうことを考えることも必要だよ。




発言者: いまのまさし
TITLE: 右とか左とかではなく
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CATEGORY: 社会思想
DATE: 08/21/2006 10:02:13 AM

 人によって、ぼくのことを極左と思う人もいるし、逆に右翼だと評する人もいる。たぶんニュートラルだと位置づけている人も多いだろうが、そう言う人はあえて評価を口にしないと思われる。(笑)
 今、世の中は右傾化が進みつつあるが、しかし右翼・民族派的意見の中にも道理を感じるものもあることは事実だ。一方、左翼の側でも、そうした意見に対して未だに「左翼小児病」的な批判をもって済ます人もいる。

 実際のところ、ぼく自身もいろいろと混乱してきた。そんな中、最近の自分なりの判断基準は「平等」である。

 キケロは「最も正しい戦争よりも最も不公平な平和を選ぶ」と述べたそうだが、ぼくの拠って立つところも平和主義だ。もちろん「平和」の定義を述べよと言われたら、これはまた大変難しいのだが。
 ともかくも平和が実現しない原因を自分なりに考えていくと、不平等が根底にあると思えてくる。一番わかりやすいのは経済的不平等や政治的権利の不平等であり、こうした原因が紛争や戦争を生むことが多い。
 逆に言えば、積極的に不平等を作り出そうとする動きも常に存在し、それは他者を踏み台にして自分の利益を得ようとする、いわば有史以来の人間の行動パターンそのものである。古代社会に奴隷制を生み、近代に帝国主義=植民地主義を生んだ、強いものが勝って何が悪いという思想と行動である。

 たぶんぼくは、右であれ左であれ誰であれ、最も根底のところで「平等であることが正義である」と考えている人の意見に共鳴するようである。反対に、自分(達)が他者よりも優位になることを「正義」と思っている人の意見には、激しい違和感を感じるのである。(ぼくが現在「党派」に加わらないのはそういう側面も強い。)

 長くなるので、平和と平等の問題については、また今後、折々に書いていこう。




発言者: いまのまさし
TITLE: 歯が痛い
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CATEGORY: 日記・コラム・つぶやき
DATE: 08/27/2006 07:28:19 PM

 歯が痛い。

 昨日午前中、奥歯の神経を抜いた。むかし直したところの詰め物が取れてしまったのだ。別に痛くもなく雑事に紛れてしばらく放っておいた。
 少し余裕が出来たのでかかりつけの歯科医院に行ったのだが、このところ治療が終わると他が悪くなるという具合で、ほとんど間断なく歯医者に通っている感じ。たいてい以前に直したところがさらに虫歯になったケースばかりだ。

 一回目の治療では空いた穴に薬を詰めて神経を殺し、今回は麻酔を注射した上で神経を抜いた。午前中にやったのだが、終わったあとは全く痛みを感じず、気楽に昼食をとって、午後の予定に出かけた。
 ところが。

 とつぜん治療したところが痛み出した。そう、麻酔が切れたのだ。
 それからはもう脂汗が出るような痛み。病院でもらった痛み止めを持ってくるべきだったと後悔してももう遅い。
 たまらず会議を抜け出して薬屋に鎮痛剤を買いに行った。ただ市販薬はやはり効き目が悪いらしく、多少良くなったものの痛みはずっと続いた(その後で病院の薬を飲んだら嘘のように治まった)。

 これだけの痛みは20年ほど前に親知らずを抜いたとき以来。医師の説明では普通の人の神経は根が3本なのだが、ぼくの場合4本あったらしく、それだけ手術が大変だったらしい。

 薬で抑えているが、今日も歯はまだ痛い。




発言者: いまのまさし
TITLE: 核技術は犯罪
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CATEGORY: 経済・政治・国際
DATE: 08/27/2006 08:02:08 PM

 このところミツトヨの三次元測定機不正輸出問題が騒がれているが。

 どうも全て承知の上でやっているらしいから、それ自体は違法行為ではあるだろう。核兵器を開発するためと知って機械を売ったのなら、これはまさに死の商人ということになる。仮に法律で裁かれなくても倫理的な責任が問われる。

 しかしそうであるからこそ、こういう行為を外為法で裁くのは間違っている。
 それこそ平和を侵した罪に問うべきなのだ。
 現在の米英仏中露の核兵器増産は野放しで、それ以外の国の核保有を認めない核拡散防止条約は明らかにおためごかしである。しかも米国は拡散させないはずの核兵器を世界中に配備している。
 自由貿易を声高に求めながら特定の国には高度な科学技術を輸出させないというのも変な話だ。

 核技術は犯罪行為、そのことをすべての国、集団、個人に同じように適用すべし。変な不平等、大国主導・小国差別がまかり通っている限り、「誰にでも核開発の権利がある」などという変な理屈もまかり通ってしまう。




発言者: いまのまさし
TITLE: ラムセス2世像移転と日本陰謀説
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CATEGORY: ニュース
DATE: 08/27/2006 08:45:44 PM

 エジプトのカイロ市内に古い遺物であるラムセス2世の石像が建っていたのだそうだが、それがこのほど郊外に移転された。
 しかし、エジプト市民にとって見れば重要なランドマークでもあり、また砂漠地帯に移築すると傷みが激しくなるとの意見もあって、現地では喧々囂々の議論が起きているとのことだ。と、まあこれだけなら軽いトピックスだが。

 この移転費用に日本からの円借款が充てられていることから、変な噂が流れているという。
 つまり、ラムセス2世はユダヤ民族の出エジプト時の王であり、今回の石像撤去は歴史的な怨みを持つイスラエルが仕組んだもの、さらにその意を汲んで日本が金を出した、と言うのである。

 日本人のぼくからすれば、直感的にはそんなことはないと思うが、問題は日本がそんな風に見られているということである。
 歴史的に日本が中東の対立構造から比較的離れていたこと、日本赤軍のパレスチナ闘争への参加などから、従来日本は中東においては好意的に見られることが多いと聞いていたが、どうもそれも昔のことらしい。

 日本がアメリカ合衆国にベッタリ寄り添い、イラク派兵のようなことをこれからも続けていくならば、実際に中東の人々の怒りが日本に直接向けられるようになるに違いない。
 あまり話題になっていないが、どうやら先般イスラエルを訪問した小泉首相は、嘆きの壁の前でユダヤ帽を被って黙祷したそうで、「心の問題」の人らしい傍若無人ぶりを発揮した(宗教の尊厳というものをどう考えているのだろう)。
 こうしたパフォーマンスを含めて、日本が誤解(それとも正解?)され、ますますアメリカの属州視されていくことに、危機感を覚えるばかりである。


トラックバック:
TITLE: 中東
URL: http://memorizer.blog11.fc2.com/blog-entry-90.html
BLOG NAME: 共通テーマ
DATE: 08/30/2006 08:58:18 AM

紛争が続くイラン、イラク、パレスチナ、レバノン・・・
中東の政治、経済、社会、文化について語ってください。




発言者: いまのまさし
TITLE: 福岡市の悲劇〜脱クルマ(1)〜
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CATEGORY: 社会思想
DATE: 08/28/2006 07:31:13 PM

 今日のテレビで一番目にとりあげられているのは、福岡市で家族が乗ったRV車が、酒を飲んだ若者が運転していた後続車に追突されて橋から海に転落し、幼児3人が亡くなった事故。
 この場合、運転手には危険運転致死傷罪が適用されるのは当然であろう。

 しかし何度も繰り返される悲劇に、これまで行われてきた厳罰化もあまり効果が出ていないのではないかという気がしてしまう。おそらく問題は社会の構造自体にあるのだと思う。
 ぼくの住んでいるところでもそうだが、バス路線が次々に廃止され、人々が生活するためにはクルマを使うしかない状況が作り出されている。よほどの都会でなければ酒を飲む場所へ行くのにクルマ以外に足がないというのも良くあることだ。
 酒を飲まなければよい、というのは確かにそうだが、やはり現実の社会の中では酒を飲んで話をすることも必要だろう。そもそも酒を飲まなくても自動車事故が無くなるというわけでもない。
 さらにタクシーは料金が高い上につかまらない。以前、親の調子が悪く夜中に病院へ行こうと思ったら、タクシー会社が全部終業していたこともあった。

 感情論的な報道は盛んされているが、本質をつかんだ批判はほとんど無いのが実状だ。
 クルマ社会を変えなければダメ、それが核心なのである。

 人身事故の面だけでなく、環境問題や様々な社会問題の大きな要因のひとつが、クルマとクルマ依存症的社会であることは明白だ。
 石油資源はどうなるのか、温暖化はどうなるのか。大気汚染、騒音、大規模道路による地域の分断等、クルマ社会の抱える問題は度々とりあげられるが、なぜか自動車の台数を減らそうと言う意見は出てこない。もはや、生産台数や所有台数を制限するような強力な政策が必要な時である。
 事は一刻を争うのだ。

 クルマが無くなったら生活が出来ないという論はよく聞くけれど、それは本末転倒だ。クルマに頼らず生活できる社会を整備していくべきなのである。
 ほんの数十年前には可能であったのだから、それは不可能なことではない。




発言者: いまのまさし
TITLE: X氏へのメール〜脱クルマ(2)〜
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CATEGORY: 社会思想
DATE: 08/28/2006 08:33:00 PM

 Xさん、メールありがとうございました。

 よく、クルマとパソコンが比較されることがあります。現在はどちらも(広い概念における)人間交通の手段として社会の根幹のところに広く普及し、それを扱うのは基本的に個々人ですが、社会システムとして最早それ無しに社会は成り立たない、いろいろ問題はあるがしかたないというのです。
 しかし、あえて言えばパソコンとクルマは全く違います。(もちろん、ぼくはコンピューターに依存した社会がよいとは思わないし、むしろ危険であり、社会システムの基盤は最終的にコンピューターに頼らなくてすむようにした方がよいと考えているのですが。)
 クルマは直接的に巨大な運動エネルギーを生み出す物体です。
 世の中で国家免許がなければ出来ない仕事とというのは、一般的には特殊なもので誰もがする事ではないでしょう。それはプロフェッショナルの仕事ということになります。それだけ危険性があるということなのです。だから、クルマの運転には国家資格がいるし、確かにかつてはプロがやるべき仕事だったのです。
 パソコンだって電気をたくさん使うじゃないかと言われますが、クルマのガソリン消費に比べたらどうでしょう。少なくともパソコンは直接的に人を殺したりはしません。

 さて、ぼくはもちろん、現在のクルマ社会は著しく歪んだ状況であり、これを変えなくてはならないと思っています。しかし、Xさんがおっしゃるとおり、日本においては左翼とか平和運動家、人権活動家、環境派にいたるまで、反クルマや脱クルマについて無理解な人が圧倒的です。
 ぼくは10年以上にわたって、ことある度にこの問題で論争してきましたが、いまだに理解してくれる人はほとんどいません。

 その理由の第一は、自動車が自由の象徴であるからです。これはとりわけ戦後世代、いわゆる団塊の世代くらいの人たちには強烈に染みついている感覚のようです。
 クルマを使えば、誰にも束縛されず、自分の思うところへ自分ひとりの力で好きなときに行くことができる、という幻想にとりつかれているのです。
 終戦後のアメリカ・コンプレックスの問題などにも関わる問題で、語り始めると長くなるのでやめますが、ここには人間能力の拡大、つまり自分の力が強くなるという感覚もあり、なかなか矯正することが難しいのです。
 ただひとつだけ補足すれば、クルマは決して自由に走ることなど出来ません。特殊なクルマでなければ基本的に自動車用に整備された道路しか走れないのです。日本においては田中角栄の列島改造論以後、全国の道路が急速に「自動車用道路」=舗装道(しかも多くが6m道路)として整備されたのですが、それは文字通り国家権力が敷いた道に他なりません。

 第二には、自動車が日本経済の基幹産業であるという問題です。自動車は日本経済が国際社会で競争できる数少ない産業のひとつであり、また国内においても、道路建設などの巨大な公共事業を引き出す大きな要因ですから、やめるにやめられないということになっています。
 ぼく個人は経済をマイナス成長させていく以外、人類が生き続ける方法はないと思っていますが、右も左も体制も反体制も、こぞって経済の発展を至上命題と考えている現状では、景気をあえて悪くする政策には誰も賛成しないのです。
 それ故クルマ問題は変な方向に、つまり総量規制をするのではなく、逆にエコ・カーなどの生産・購買を奨励するという茶番のような話になってしまうのでしょう。

 このように上記の2点を見ただけでも、クルマがまさに麻薬であるということは明らかなのですが、薬物中毒者、依存症患者が最後まで自分の本当の姿に気づかないのと同様、日本社会も自らがクルマ社会という病んだ姿であることに気づいていません。
 これが脱クルマという主張の前に立ちはだかる巨大な壁となっています。

 ぼく自身は、自動車という道具そのものを否定するつもりはありませんし、自動車が社会の役に立っていることも認めます。自家用車を全廃しろなどと言うつもりも更々ありません。しかしクルマ社会という現在の依存症状態は絶対におかしいのです。
 ただ本音を言えば、日本のクルマ社会の現状は、実は現代日本社会の根幹にあるアメリカ型資本主義のシステムの問題と切り離せないものであり、この部分が変えられない限り、おそらくどうにもならないだろうという気がしているのも事実です。




発言者: いまのまさし
TITLE: 東京に決定 五輪候補都市
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CATEGORY: ニュース
DATE: 08/30/2006 09:20:32 PM

 2016年夏季五輪の立候補都市が東京に決まった。
 個人的にはオリンピックの日本誘致には反対である。多額の税金を使って今やらなくてはならないことだとは思えない。まあなんにしても、北京オリンピックの次々回が東京になる可能性は低いと思うのだが。

 それよりも気になるのは、東京が候補地になることによる便乗開発がおこなわれる危険性があることである。
 現在、圏央道をはじめとした大規模道路建設に対して、各地で環境破壊に反対する運動が起きている。オリンピック時の都内の渋滞緩和の必要性を盾にして、これらの開発が一気に進められる可能性がある。こうしたポピュラリズムを利用した開発圧力が発生しないよう、行政は責任を持って対処すべきだ。それとこれとは違う問題なのだから。

 もうひとつ、オリンピックをテコにした差別と排外主義が激化しないよう、注意をしなければならない。
 北京で顕著に起きていることだが、低所得者層の住宅地が破壊され人々が追い出されている。さすがに東京でここまで非道いことはしないと信じているが、それでもホームレスなどが追い立てられる可能性は高い。
 また、歪んだナショナリズムが高揚し外国人差別が強くなる懸念もある。なにしろ「三国人」発言をした都知事の発案による招致である。

 それにしても東京都民はほんとに奇特な方達である。立候補するだけだって相当な都税が使われたはずなのに、嫌な顔をするどころか皆さん歓迎しておられる。万々が一ほんとうに五輪が来たら、日常生活にも相当影響が出るだろうに。さすがに都民、太っ腹だ。




発言者: いまのまさし
TITLE: 9.11事件から5年
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CATEGORY: 経済・政治・国際
DATE: 09/11/2006 10:04:40 PM

 9.11事件から5年になるのだそうだ。
 あの日、偶然にも深夜テレビのチャンネルを次々変えて見ていたのだが、その中に現場からの生中継が入ってきた。まだ2機目の突入はなかったような気がする。
 それからツインタワーの崩壊まで、まるで特撮映画を見ているようで、何とも非現実的な感じだった。
 正直に言うと、当時の気持ちは合衆国に対してざまを見ろという気持ちだった。確かブッシュ大統領が就任してさほど経たない時期だったと思う。

 もちろん罪のない庶民を殺すことには何の正当性もない。
 テロは、とりわけ無差別テロは許し難い行為である。

 確か高校生の時だったと思うが、三菱重工爆破事件が起きた。その時は無差別テロに対して強く憤慨したものだったが、それから程なくして、この世界にある抑圧と被抑圧の存在に対して怒りを覚えると同時に、帝国主義の巨大な暴力に対する人民の闘いは必然であるという思想に、急激に接近したのだった。

 世界は矛盾に満ちている。
 それは自分自身の内部においても同様だ。

 現実の問題として庶民は巨大な国家権力に支配されている、と同時に、巨大な権力に自らを同化し自らの既得権益を守ろうともしている。
 世界は入れ子構造であり、国家と民衆の関係は国際社会における大国支配と弱小国家の関係にアナロジーされ、また一方で会社や学校やもっと小さな単位のコミュニティの中における個人間の関係性にアナロジーされる。あるレベル(例えば会社)において支配されている私は、別のレベル(国際社会)においては支配者である。
 私は被害者であり、かつ加害者である。

 そうであるからこそ「平等」であることは決定的に重要だ。
 9.11の犠牲者を追悼し、太平洋戦争における戦没者を追悼するであれば、同じだけ、アフガニスタンやイラクにおける犠牲者に思いを馳せ、15年戦争における中・朝アジア人民の犠牲者のことを思い出すべきである。
 どちらが重いということではない。どちらも同じように重いのである。




発言者: いまのまさし
TITLE: mixi人気
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CATEGORY: ニュース
DATE: 09/15/2006 01:41:28 AM

 mixiがマザーズに上場したらすごい人気なのだそうだ。
 これは当然のことだろう。電子的なコミュニケーションにはかなり理想的な環境と言って良い。つまり、かつてのパソコン通信のような条件が整っているのである。
 すなわちホストが参加者を選別することができ、BBSをコントロールできるということである。別の言い方をすれば閉鎖型のネットコミュニティということだ。
(ただそれは主にセキュリティの面の問題であって、実際の文字コミュニケーション、特にBBSの使い勝手については未だにいわゆるTTY方式の方が良いと思うのだが。)

 mixi自体が使いやすいのか、コミュニティ構築の場としてふさわしいのか、それはよくわからない。(一応ぼくも登録はしているのだが〜と言うことは、ぼくを招待してくれた奇特な人がいるということで(笑)。)
 しかし今後のネットコミュニティは、mixiのようなソーシャル・ネットワーキング・サービス(SNS)と2ちゃんねるに代表される無政府状態的なものとに二分されていくのだろうと思う。
 ぼくが管理をしている創作系のネットサークルのBBSがこの一ヶ月ほどSPAMの攻撃を受けていて非常に迷惑している。しかたなく今後パスワード管理をしていくことにしたが、ネット世界が無法化していくことによってインターネットの理念であった誰にも平等に開放された世界はどんどん後退して行かざるを得ない。

 それにしても、もう一方で気になるニュースも流れている。どうやら接続サービス業界ではブロードバンド時代に入り大きなデータのやりとりが増えたため設備投資が大きくなり、利用量の多いユーザーについて、値上げや追加料金支払いを求める方向に進んでいるというのだ。ブロードバンド(この言い方も相当意味不明だが)先進国の韓国では従量制移行論議が進んでいるそうだ。
 もう忘れている人も多いと思うが、パソコン通信時代、商業パソ通を利用する人は、低速のFAXモデムを使いながら従量制で課金されていた。そのために通信料金で高額の借金を作り破滅した人が多数出たものである。
 利用料金の値上げ、とりわけ従量化は社会的リスクが大変高くなっていると言う以外無い。
 動画配信やネットゲームを煽りに煽って消費者の欲望を最大限に肥大化させ、またもや高額の通信料をふんだくるとすれば、これは許し難い。ようするに麻薬漬けにして骨までしゃぶるヤクザのやり方と同じ事だ。

 ネットは便利で、しかし恐い。(すいません、フレーズをパクリました→某氏)




発言者: いまのまさし
TITLE: 白井貴子、新アルバムを発表!
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CATEGORY: 白井貴子
DATE: 09/15/2006 01:42:56 AM

 いよいよ新アルバム「NEXT GATE 2006」が出たのですよ、皆さん!
 もし、白井貴子を最近のテレビでしか知らない人がいたら、また、ずっと昔のこととして忘れていたという人がいたら、ぜひぜひ「買い」なので、CDショップに走ってください。

 と、まずはテンションが上がっているが。

 実際、80年代を中心にしたベストアルバム、しかも西武球場コンサートのライブアルバム「NEXT GATE」から半分近く持ってきているとなると、白井貴子のCDやビデオを全部持ってるファンとしては、なんだかなぁという気がしたのは事実である。(しかも2枚組だから高いしさ、シングル「みんなに知って欲しいこと」も同時発売だしさ。)

 しかし…

 やっぱりイイ!

 イイのである。(やだな、馬鹿ファン丸出しで(苦)。)
 思わず聴きながら一人で踊ってしまった…なぜかTAKAKOを聞くと踊りたくなる。それはもう、かれこれ20年前からのことではあるが。

 白井貴子を初めて聴いたのは、もう25年近く前。狭くて色の無い、そして義務感と意地とある種の達観の中を生きていた時代。白井貴子の歌う「SOMEDAY」は自分と全く違う想像を超えた世界観を感じさせてくれ、だからこそそこに自分の手には届かないロマンを感じたものだった。
 ラジオで偶然聴いたその歌を、その後なぜだか一所懸命になって調べていって白井貴子の名前にたどり着いた、それはきっと偶然ではなかったのだ。
 カネも時間も精神的な余裕も無く、コンサートはおろかレコードさえ買えない状況で、しかしある時はラジオのライブ中継をカセットに録音し、ある時は格安のレンタルレコード放出品を入手し(とは言え、ほとんど帰れない実家に行ったときしかプレーヤーも無かったのだが)、ぼくはTAKAKOを聴き、そしてひとり踊った。
 もう少しだけ余裕が出来た時代には、テレビの深夜放送を録画し、中古CDを買ったりもした。

 決してそんなに意識していたわけではない。しかし、結果として気づいてみれば、ぼくの手元に残っていたのは、白井貴子のCDと録画・録音テープだけだった。

 ひとは時に小難しいことを言ったりもするが、しかし結局、好きか嫌いかなどというのは理屈ではない。
 心がそれを欲するか、どうかなのだ。
 なぜ、ぼくが白井貴子に惹かれていくのか。自分にもその理由はわからない。ある時には(こんなことを書くのは恥ずかしいが)本当に恋していたときもある。

 まあそんなことは、どうでも良いが。

 新アルバム「NEXT GATE 2006」。ライナーノートを読んだだけで熱いものがこみ上げた。いろいろ言う人もいるけれど、彼女はずっと自分のあり方を追い続け、闘い続けてきたのである。完成することを目指しつつ、しかし、同時に完結することを拒絶し、今を生きようとしてきたのだ。
 その結果としての「今」を、ぼくは素直に受け取りたいと思う。
 その「今」として彼女が自選した「作品」が「NEXT GATE 2006」であり、クレイジーボーイズの復活なのだろう。

 ぼく自身の音楽的変遷は、実は(ビートルズは別として)ロックとは無縁なものだった。スイングと60年代ポップス(ロカビリー)、歌謡曲とフォーク、それがぼくの少年期の音楽だった。
 先鋭的な友人達がロックに向かっていったとき、なぜぼくはロックに行かなかったのか。微妙な言い方だが、今になって思えば、ぼくの心がロックだったからだ。ロック的精神だったが故にポピュラリズムに反発し、時代の方向とは違う方向に向かっていったような気がする。

 今日も色々あった日だった。焼酎が相当まわってきた。だんだんと何を書いているのかわからなくなってきた。もう今日はこの辺が限界か。

 それにしても「Hungry Kids のおくりもの」、いま改めて聴いてみると実に可愛い。こう言うとなんだが「PRINCESS TIFA」のような、ある意味つくられた可愛さよりもずっとキュートだと思うのだが。




発言者: いまのまさし
TITLE: 日の丸、君が代の「新神話」
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CATEGORY: マスコミ批評
DATE: 09/22/2006 09:18:29 AM

 昨日、東京地裁は、東京都教育委員会が出した入・卒式で国旗に向かって起立し国歌斉唱するよう教職員に強制した通達と指導に対し、「思想・良心の自由を保障した憲法に違反する」との判断を示し、教職員側勝訴の判決を下した。
 これ自体は、憲法を素直に解釈すれば当然の判決で、特に取り上げるほどの事ではないと思っていたのだが。

 今日のマスコミの報道の仕方には、何となく違和感を感じる。
 朝日の天声人語が象徴的だが、この判決を是とする論も非とする論も、総じてオリンピックやワールドカップなどを引き合いに出して、「表彰式ではみんな自然に日の丸を仰ぎ君が代を歌っている」などと「解説」している。

 そんなことはないだろう。

 少なくともぼくは、スポーツを観戦(と言ってもテレビでだが)していても、日の丸・君が代を快く思ったことは無い。もちろん、国際試合で日本選手が身近に感じられ応援する心理になることはある。高校野球で地元チームに関心が強まるというのと同じ事だ。
 しかし、やはり日の丸・君が代のシーンは見たくないので、無意識のうちにチャンネルを回してしまったりするのである。

 スポーツの観戦に直接出向く人たちは好きで行くのだし、そこで日の丸を仰ぎ、君が代を歌うのは各自の意思だ。そこには強要はない。その人たちを批判する必要も賛美する必要もない。職場で職務として強制されるのとは全く違うのである。
 「表彰式ではみんなが日の丸・君が代を自然に受け入れている」のは事実であっても、そうでない人はその場にいないのだから、これは一種の神話にすぎない話なのだと思う。

 賛意を持つ人たちの姿だけをもって、表面に現れない人の姿を抹殺してしまうのは、それこそマスコミの最も避けるべき態度であろう。流れに抗することことジャーナリズムの本質的価値ではないのだろうか。


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TITLE: 労基法 第36条 時間外及び休日の労働
URL: http://blog.goo.ne.jp/hisap_surfrider/e/ca357eff178c0690dcc24007875dad83
BLOG NAME: 労組書記長社労士のブログ
DATE: 09/22/2006 01:42:36 PM

 式での起立・斉唱定めた都教委通達は「違憲」 東京地裁 (朝日新聞) - goo ニュース

 法律として決まったことは守らなくてはなりませんから、日の丸が日本の国旗、君が代が日本の国歌だと、認識しなくてはいけません。

でも、わが国の最上級法である憲法19条で
 「第19条 思想及び良心の自由は、これを侵してはならない。」
と定められているのですから、当然、そっちを優先して守らなくてはなりません。

 だから、この判決で、?...


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TITLE: Cheapest cialis.
URL: http://www.ujmv.edu/cepd_net/ujmv_net/js/old/cialis/cheapest-cialis.html
BLOG NAME: Cheapest cialis.
DATE: 03/26/2007 12:07:16 AM

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発言者: いまのまさし
TITLE: 日の丸、君が代問題への誤解(?)
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CATEGORY: マスコミ批評
DATE: 09/28/2006 10:48:07 PM

 東京地裁による東京都教育委員会敗訴の判決を巡ったマスコミ報道の中に、もうひとつ納得できない論調がある。
 たとえば「国旗・国歌を否定したら国際社会では問題になる」というような論だ。これは日の丸・君が代問題を誤解しているのか、それともわざと曲解しているのか、少なくとも注釈を入れて発言してもらわなくてはならない変な言い分である。
 アナーキストの中には国歌・国旗の存在そのものを否定する人もいるだろうが、いま日の丸・君が代を批判する人の大半は、一般的に国歌・国旗を否定しているわけではなかろう。ぼくも日の丸・君が代は批判するが、他国の国歌・国旗には敬意を払うようにしている。もっとも、時と場合によっては国旗に火をつけて燃やすなどという政治的パフォーマンスもあるわけだが、それは一時的なパフォーマンスとして認めざるを得ない場合もあると思うのだが。

 さて、日の丸・君が代を批判する人たちは、あくまで日の丸・君が代を批判しているのであって、日本国の国歌・国旗には不適当だと言っているのだ。
 少なくとも君が代は、明治政府が天皇を頂点にした近代絶対君主制国家を確立するための道具として作ったものであり、他国を侵略する帝国主義イデオロギーと不可分の歌である。すなわち、父でありまた神である天皇の絶対性(その思想自体が明治政府による考案であると考えられるが)を刻印することによって、国民に絶対服従を強い、周辺諸国への侵略を正当化しようとするものであった。
 こうした意味を持つ歌が現代日本の国歌としてふさわしいかどうか、そのことを問うているのだ。そもそもこうした問題をはらんでいるからこそ、法制化されたときに「強制はしない」という点が何度も強調されたのではなかったのか。逆に言えば「強制しない」約束がなければ、日の丸・君が代は国歌・国旗として認められなかったのである。それならその約束を守ってもらおう。

 本来的にはこうした形での日の丸・君が代の法制化は拙速であったと言うしかない。もっと議論を深め、国民全体が合意できるところで決着をつけるべきであったのだ。
 「ふるさと」を国歌にしようとか、公募で新しい国歌を制定しようというような案はその当時から言われている。いたずらに意見の対立を先鋭化させるより、みんなが納得するものに変えていくというのが最善の策だと思う。

 ただ、確かに何も前提がわからない子供たちの前で、突然教師たちが日の丸・君が代をボイコットしたら、子供たちは一般的に国旗・国歌を否定的に捉えるようになるかもしれない。
 そうであるならば、教師の側に充分な時間を与えて、なぜ日の丸・君が代を批判するのか子供たちに丁寧に説明させるべきだ。それが生きた教育というものではないだろうか。




発言者: いまのまさし
TITLE: 死刑判決軽量化と杉浦法相の勇気
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CATEGORY: 経済・政治・国際
DATE: 09/28/2006 11:50:20 PM

 オウム真理教事件の松本智津夫被告への死刑が確定したかと思ったら、奈良地裁でも小1女児殺害事件の小林薫被告に対し死刑判決が出た。
 はじめに断っておくが、これらの被告人の犯した罪は非常に重く、彼らが最高刑を言い渡されることはある意味当然のことだと、ぼくは思う。
 しかし、死刑は間違った刑罰である。
 そのことは国際社会では当然の認識でもある。

 日本に対しても死刑制度の廃止が求められているが、日本の現状はそれとは逆に死刑判決も処刑自体も多くなってきているような印象がある。死刑が軽くなっている。死刑の軽量化が起こっている。
 それは司法の側だけの問題ではない。マスコミ(とそれが作る世論)も何においても「厳罰化」がトレンドで死刑の重みに鈍感になっているし、さらには犯人自身が、あの宅間死刑囚や今回の小林被告のように自ら死刑を望み、犯した罪への反省もなく軽々とあの世へ逃げていってしまうのである。

 皮肉な事と言うしかないのだが、世の中の風潮が厳罰化を求め、死刑という国家による殺人のハードルを低くすればするほど、人の命の重みが薄れていくのである。
 合衆国などが死刑制度を復活させつつあるが、凶悪犯罪が増えたからそれを抑止するために死刑を導入すると言うのなら、それは全くのナンセンスだ。中国を見たらよい。あれだけ大量の死刑を実行している国でも、いっこうに犯罪は減らないではないか。死刑も普通のことになってしまえば、犯罪抑止効果など無くなってしまうのだ。

 さて、小泉内閣が終了した。ひどい内閣ではあったが、その中で杉浦正健法務大臣は初心を貫き、ついに死刑執行を行わなかった。杉浦氏がどういう人間で何を考えて執行命令にサインしなかったのか、よくは知らない。しかし、報道によれば法務省サイドは執拗に死刑執行を促したのだそうだ。世論も逆風であった。それを杉浦氏は最後まで粘り腰でかわしたようだ。
 彼がどういう政治家であれ、その勇気に敬意を表する。小泉氏が靖国参拝を強行したのはパフォーマンスとしての蛮勇だったと言うしかないが、杉浦氏は孤立無援の中で静かに自分の良心を貫いたのである。




発言者: いまのまさし
TITLE: 飲酒厳罰化で悲劇は防げるか〜脱クルマ(3)〜
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CATEGORY: 社会思想
DATE: 09/29/2006 01:38:54 AM

 福岡3児死亡事件以後マスコミを挙げての「飲酒運転撲滅」キャンペーンは、飽きられてきたのか、少々下火の傾向にあるような気がする。
 このキャンペーンの「成果」は、飲酒運転をやめさせるのは非常に困難だということが解ったということだったのかもしれない。結局マスコミは、またしても「厳罰化」をアジるだけで、問題の深さを探っていくような仕事は出来なかった。
 それはおそらく、この問題がこの社会の根源的なところに行き着いてしまうからではないかと思う。(「〜脱クルマ(1)〜」参照)

 そうこうしているうちに埼玉県川口市で、保育園児の列にクルマが突っ込む事件があり、今日までに3人の子供が亡くなっている。マスコミはセンセーショナルに扱っているが、しかし、とまどいもかいま見える。なぜならこの犯人は飲酒運転でなかった可能性が高いからだ。
 これまで「飲酒運転が悪い」、つまり逆に言えば「酒さえ飲まなければクルマは安全だ」としてきたキャンペーンと矛盾が生じてしまったのである。最近のマスコミの姿勢は、クルマ社会を基本的に健全なシステムとして捉えるものであり、クルマが走る凶器、走る棺桶になるのは酒を飲んだときだけ、と言う具合にあまりに問題を矮小化してしまっているのだ。

 何度でも言うが、本質的にクルマ社会は病的で危険なものであり、解消されるべき事態である。問題はクルマというシステム自体に存在しているのだ。

 考えて欲しい。飲酒運転に対する厳罰化を進めたら事故はなくなるのだろうか。
 仮に飲酒運転がゼロになったところで事故は無くならないだろう。というより、おそらくほとんど減らないのではないだろうか。ある統計を見てみたら死亡事故の原因のうち飲酒運転は全体のわずか2%しかないという結果になった。

 厳罰化の問題に関して別の視点で見てみるならば、魔女狩り的な怖さがある。もちろんこういうからと言って、今の交通違反の罰則がけっして重いと思っているわけではない。むしろ軽すぎると感じるくらいだ。その点では現在の世論とそんなに違いはない。
 しかし、人々が飲酒運転についてのみより重い罪を求める心理には、自分は正しい、飲酒運転するやつが悪い、というような線引きをしたい欲求があるのではないかという感じがする。これは最近の世の中の全ての傾向に通じるのだけれど、正義と悪を単純に分け、「悪」を排除してしまおうというのである。
 そこでは自分が加害者になってしまう、もしくはすでに加害者であるという可能性が考慮されていないような印象を受ける。つまり、問題は他人事であって自分の問題ではないのである。

 これだけマスコミが騒いでいるのに飲酒運転が無くならないのには、何か社会の構造上の問題があるに違いない。その社会を作っているのは自分自身だ。と発想できればもっと違うアプローチが出来るのではないだろうか。


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TITLE: 「指名ドライバー」とは
URL: http://ameblo.jp/designed-driver/entry-10017173840.html
BLOG NAME: 「指名ドライバー」普及への途
DATE: 09/29/2006 06:32:20 AM

「指名ドライバー」とは、飲酒運転をなくすための考え方です。 飲む人も、飲まない人も、飲食店も、地域も、みんなで参加できる飲酒運転対策です。

飲酒運転を減らすため、あるいは撲滅するためのアイデアが議論されています。 厳罰化、酒気検知による車のロック、検問強化など...




発言者: いまのまさし
TITLE: 「涼宮ハルヒ」を読んで
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CATEGORY: 書籍・雑誌
DATE: 10/07/2006 03:17:17 AM

 近ごろ読んで軽い衝撃を受けたのは、谷川流の「涼宮ハルヒの憂鬱」。2003年の角川スニーカー大賞というから、もう3年以上前の作品なのだが、最近いろいろなところで目にする事の多いタイトルだ。
 いわゆるヤングアダルトとかライトノベルとかいうジャンルの小説で、正直言ってそれだけで食わず嫌いのところがあった。(と言いつつ、ぼく自身がそれ系のファンタジー小説を書いていることは、この際秘密であるw)

 ぼくは朝日新聞の愛読者だ。論調が穏健であることもその要因だが、新聞歌壇の先駆でもあり、文芸欄に信頼を置いている。ちなみにぼくが買って読むマンガの半分は朝日の書評に載ったものである。
 「涼宮ハルヒ」はその朝日の書評欄に最近紹介されていて、今ごろになってわざわざ書評に載るというところに興味を引かれた。

 そんなこともあって、行きつけのペンギンへ寄った際、勢いで買ってしまった(*ペンギン(http://www.aoi.sakura.ne.jp/~penguin/)は小さい本屋だけどマンガに特化して差別化を図り頑張っているまさに町の文化を守る最後の拠点である。隣にセブンイレブンが出来てしまったけれど、近隣の皆さんはどうせネットで本を買うならセブンアンドワイではなく、本やタウン(https://www.honya-town.co.jp/hst/HT/index.html)を使ってペンギンで受け取って欲しい)。

 さて、「涼宮ハルヒの憂鬱」の出来だが…。作者の処女作でもあり、若者向けのライトノベルなので、文体もぎこちなく、展開もとりわけ変わったことのないただの学園コメディ……かと思いきや、これがとんでもない逆転ホームランなのである。
 ウムとうならざるを得なかった。そうか、そう来るのか。
 これって70年代SFで流行ったニューウェーブのテイストじゃないか。

(ちなみに、いつだったか深夜テレビのチャンネルをいろいろ回していたとき偶然見たアニメのシーンが記憶に焼き付いていたのだが、どうやらこの小説の第五章の後半を映像化した部分だったらしい。)

 SFの本道というものがあるかどうか知らない。それは人によって違うのだろうと思う。70年代の後半、映画「スター・ウォーズ」の出現によって、SF界は一気に1940年代アメリカのスペースオペラへ回帰した(もちろんそれも大好きだ)が、やはりぼく個人にとってSFは福島正実の"センス・オブ・ワンダー"である。
 この「涼宮ハルヒの憂鬱」は、その"センス・オブ・ワンダー"の臭いを振りまいているのだ。
 詳細を書くとネタバレになってしまうので、そこまでは書けないが、とにかくこれは本格SFと言ってよい。まあハードSFではないけれど。

 「エヴァンゲリオン」も70年代ニューウェーブのテイストを濃厚に感じさせたが(新たな結末が〜いくつ目の「結末」なんだか〜来年公開されるそうだが)、「涼宮ハルヒ」はそれに追随すると言ってもよい小説だと思う。
 それはともかく、この作品が作者・谷川流のビギナーズラックではないかという気もしないでもない(それでも一向にかまわないが)。そこで長編2作目の「涼宮ハルヒの溜息」を読んでみた。
 本物である。

 谷川流の才能は一作目で枯渇しているわけではなかった。
 この作品もたどたどしい語り口で読者を煙に巻いていくのだが、最後の20ページで作者が相当に深いテーマを追求していることが明らかになってくる。
 社会は複雑であり価値観は一様でなく正義はいくつも存在しうる。そんなメッセージを感じる展開である。しかも「オチ」が実にすっきりとオチらしいオチになっているところも、当を得たところである。

 ライトノベルなどとバカにしてはいられない。これだけの力量のある作者がゴロゴロいると考えれば(今やライトノベル出身の純文学作者も珍しくない)、現代の若者をあまり軽く見ない方がよい。
 こういう作品を当たり前に享受している若者には、相当な洞察力と感性が具わっていると思った方がよいだろう。




発言者: いまのまさし
TITLE: パソコンがクラッシュ
CATEGORY: パソコン・インターネット
DATE: 10/27/2006 12:29:18 AM

 メインマシンがクラッシュした。何度も経験していることだけれど今回は案外深刻かもしれない。
 このマシンはマザーボードがGIGABYTEのGA-7VTXE、CPUがAthion XP 1600+で、考えてみると中古で買ったノートパソコンを除けば現在所有しているPCの中で一番古いものになってしまっている。
 クラッシュ直前までやっていたのは、ペイントショップを使って新聞の紙面を取り込みスクラップを作る作業だった。昼食のために作業の途中でいったんPCをシャットダウンしたのだが、この際には特に異常は感じなかった。ところが次に立ち上げようとしたところWindows 2000を読み込みに行くところで進まなくなってしまったのである。
 セーフモードを指定するとC:\WINNT\system32\config\system.altが無いか破損しているとのご託宣が下った。CD-ROMから立ち上げて修復しろと言われてしまったので、とにかくインストールCDからブートを試みる。
 …立ち上がらず。(^^;

 そんなはずは、と思い何度も挑戦するのだがうまく行かない。ここでまず時間がかかる。実はBIOSの設定でブートの順番をFD→HD→CD-ROMにしてあったのが原因だった。今までの経験からクラッシュはハードディスクそのものかシステムファイルが破損する事が多かったのでこういう順番にしてあったのだが。つまり普通ならFDの次にハードディスクを読みに行ったときにシステムファイルを読み込めないのでCD-ROMを読みに行くと思うのだが、今回はファイルが壊れていなかったのでCDに行かないでそこで止まってしまうのである。

 ともかくやっとこさCDからのブートに成功したのだが、インストールメニューから修復を選んでやってもうまくいかない。以前に作った修復ディスクを使うと、一見修復に成功したように見えるのだが再起動すると同じところでフリーズしてしまう。
 もはやOSの再インストール以外に方法が思い浮かばない。

 しかし、出来ればその前にHDの中味がどうなっているのか確認したいし、なるべく今あるデータはバックアップを取っておきたい。
 次にKnoppixからの立ち上げを試みる。これはリナックス系のOSでCD一枚にOSが全部収まってしまうというコンパクトなシステムである。
 Windows9x系の緊急ブートディスクを使うとシステムが壊れていてもMS-DOSを立ち上げてドライブの中味を見たり、破損状況を確認したり出来るのだが、残念ながらこれはドライブのフォーマットがFAT32でないと使えないらしい。メインマシンはHD2台を4つのパーティションに区切って使っているのだが、全てNTFSフォーマット。
 このKnoppixならNTFSに対応しているし、最悪、システムが完全に壊れていたとしてもCDドライブだけでOSが走るのだから、こういう緊急事態にはありがたい。以前雑誌の付録に付いていたイメージファイルを展開してあるCD-Rを使ってブートする。
 ところが今度はKnoppixが立ち上がった瞬間、信号が途絶えたという警告を出してモニタが暗転してしまった。うーん。メインマシンのモニタはデジタルでつないである。そこが悪いのか。使っていない機器を放り込んである衣装ケースの中をほじくり返してアナログケーブルを探したところ、普通のケーブルはなかったのだが以前CPU切り換え機で使っていた専用ケーブルを見つけ何とか急場をしのいだ。

 Knoppixは遊びで立ち上げたことはあるが、実際に何か目的を持って使ったことがない。ヘルプファイルを読んでいる余裕もないので直感的にいじってみると、とりあえず全てのドライブで異常はなさそうである。PCが無いと言っているsystem.altも一応あるようだ。
 しかし立ち上がらないものはどうしようもないので、パックアップのつもりで、WINNTフォルダとDocuments and Settingsフォルダを別の場所にコピーしようとやってみた。ところがファイル操作は全く不能。理由は知らない。今からKnoppixを勉強する気力もない。あきらめてシャットダウンする。

 それでどうしたかと言うと。

 Windows2000をデータ用のドライブにインストールしたのである。
 いったん空きのあるドライブにOSをインストールしてそれを立ち上げ、エクスプローラーを使ってCドライブにあったファイルをバックアップ用ドライブに避難させた。
 その後再度インストールCDからブートして、今度はもともとシステムがあったドライブにOSを上書きインストール。続いてもともとのDocuments and Settingsにあったデータを新しい方のファイルにコピーした。これで以前の環境の7割程度は復活する。
 このあと周辺機器のドライバを入れ直したり、レジストリに依存しているアプリケーションを再インストールしたり、さらにそのファイルの上に以前のファイルを上書きしてデータを復旧したりetc.etc.で、ほぼ体感的には9割程度の復旧となったのであった。

 ところがここからが一番の問題なのだが、一部のハード、ソフトが使えない状況になっていたのである。
 ハード面で言えばPCIの拡張ボードが認識されなくなった。たとえばサウンドカードや内蔵モデムが認識されない。通常はプラグアンドプレイで自動的に検出されるはずだがそれがダメ。さらに手動でドライバをインストールするといったんは認識されるのだが、再起動すると全て消えてしまうという現象が起きている。
 AGPスロットのグラフィックボードは(当たり前だが)認識されているし、各拡張カードも一時的には使えるのだから、そんなに大きく壊れているわけでもないと思うのだが、やはりマザーボードに問題が生じた可能性を考えざるを得ない。まだオンボードオーディオとかシリアルポート(もしくはUSB)を使った外付けモデムなどを試したわけではないので、どの程度の障害が発生しているのか把握しきれていないけれど。
 ちなみにソフトでは「きゃん・びゅ〜」というフリーのファイル閲覧ソフト(かねか氏作)が立ち上がらない。けっこう重宝していたソフトなのでちょっと困る。

 とにかく、一度ケチが付いたマシンというのは用心してかからなくてはならない。現状で正常に動いていない以上、メインマシンとしてはちょっと不安だ。しかたなく新たなPCを組むことを決意した。すでにパーツは発注済みである。ここに来てそれなりの出費は痛いのだが、そうも言っていられない。
 新しいパソを組んだあとに、またご報告する。乞ご期待!(…?)


コメント:
発言者: X
URL:
DATE: 11/08/2006 08:10:52 AM

誰か分かるよね。

ここまでディープな世界になると、理解できても2割くらいです。後の8割は、霞の中。(笑)

しかし、新パソ組み込み後の報告を期待しています。
僕は好奇心が強いのだ。( ̄^ ̄)


コメント:
発言者: いまのまさし
URL: http://homepage2.nifty.com/onami/
DATE: 11/08/2006 08:20:46 AM

xさま
 いつもお世話になっております。
 実は日曜からメインで使っているパソコンのデータを新機へ引っ越しさせているところで、いただいたメールにも返信できない状態です。
 たぶん作業終了後に、新機の「自慢」をここに書くことになると思いますので、またお越しください。




発言者: いまのまさし
TITLE: ライブ断念 〜 ロックという生き方への断想
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CATEGORY: 白井貴子
DATE: 10/28/2006 12:10:43 AM

 明日、白井貴子とTHE CRAZY BOYSの復活ツアー最終日、SHIBUYA-AXでのライブだが結局断念することになった。
 母の具合があまりよくないのと、自分自身の体調もすぐれず、ましてや当日の午前中は現場作業にいかなくてはならないので様子見をしていたのだが、結果的にチケットの方が売り切れてしまい、今回は残念ながら断念となった。

 実際のところ、ぼく自身はTHE CRAZY BOYSをリアルでは知らない。THE CRAZY BOYS結成の前の白井貴子と、90年代に活動を再開した後の白井貴子は聴いたのだが、ちょうど<一番の旬>という時期には、ぼくにはロックを聴いている余裕は、時間的にも、経済的にも、精神的にも無かったのだ。
 だからTHE CRAZY BOYS時代のCDはかなり遅くなってから、90年代半ばに中古屋をあさって手に入れて初めて聴いたのだった。

 それにしても今回のツアーはプロモートにも力が入っているが、何よりファンの熱気が違う。やはり白井貴子はTAKAKO &THE CRAZY BOYSなのだろう。何にしてもSHIBUYA-AXでチケット売り切れなら嬉しいことだ。
 この10年ほどの彼女は、アコースティックをメインに、一方では「ひるどき日本列島」をやったり、火曜サスペンスの主題歌を歌ったり、<ロックな>ファンからは批判を受けてきた。しかし、そんな中でも彼女は、自分がやっているのはずっとロックなのだと主張し続けてきたのである。

 ロックとは何か、という形而上学的議論をし始めたら果てがないと思うが、ぼくが考えるロックは生き方そのものだと思っているし、それは自分のスタイルで生き抜くという生き方なのだと思う。
 そう言う意味では音楽形式としてのロックと、生き方としてのロックは必ずしも一致しなければならないものでもない(もっとも、ぼくはアコースティックの白井貴子も形式はロックだったと思っているが)。
 だからロックな演歌もあるだろうし、演歌なロックもあるだろう。それはアーチストの側だけの問題ではなく、聴き手の側にもあるわけで、歌手が演歌な演歌として歌った歌を、ロックなマインドを持った人間が聴いたとき、これはロックだ!と感じることだってあるのだろうと思う。その人が何者なのかによって同じものにも別の意味や価値が与えられることがあるのである。

 アコな白井貴子を批判している人たちには彼らなりのロックがあるのだろうし、その基準から白井貴子が逸脱したと感じているのは理解できる。別にそれでよい。それもひとつのロックなのだから。しかし、それを白井貴子本人や他のファンに強要することも出来ない。なぜなら、自分のスタイルを貫くのがロックだからだ。

 話のついでに脱線するが、この秋は「のだめカンタービレ」というドラマを見ている。タイトルは超人気マンガとして知ってはいたが読んだことはない(ちなみに今秋は「鉄板少女アカネ」とかコメディ系のドラマがけっこう面白いと思う。なんだかみんなマンガだが)。
 音楽大学に在学する変人(もしくは天才?)学生たちのドタバタを描いた物語だが、自然な生き方でクラッシックの慣習や縛りからおもわず飛び出してしまう主人公たちは、まさにロックなクラッシック音楽家だ。それがドラマの核心部分ではあるのだが、実はクラッシックと呼ばれる西洋音楽の歴史は、伝統の殻を打ち破ってきた歴史であって、そう言う意味では、このドラマはかなり本質を突いているのかもしれない。
 映画「アマデウス」で描かれたようにモーツァルトが本当にポップスターみたいだったのかどうかは知らないが、たとえばチェロのカザルスはそれまでの演奏方法を大胆に変えてしまい、今ではそれが当たり前になってしまった。彼の三重奏団のメンバーだったピアノのコルトーも、個性的というかデタラメというか、他にはない独特の演奏をした人だった。
 こんな話を書いていたらもちろんキリがないが(鍵盤楽器の変遷とか、クロノスカルテットとジミ・ヘンドリックスの「紫の煙」とか、ジャズの話とか、なんかいろいろ出てきてしまうなあ)、クラッシックの世界というのは一般に思われているほど固く狭い世界ではないのである。

 さらに脱線してしまうかもしれないが、ぼく自身は短歌という定型詩をやって(というか現在休止中)いて、それこそ形式自体は1000年以上前のものだけれど、そこに展開される世界は、何ものにも規定されず無限に広がると思っている。
 もちろん、多くの歌人は表現力を磨くために伝統的な問題や師匠の歌を学んだりするけれど、別にそれだって必須というわけではない。
 短歌の世界には、万葉集や古今集の和歌もあれば、石川啄木や斉藤茂吉、俵万智、枡野浩一などの世界もある。ちなみに、ぼくが短歌に本格的に惹かれたのは、岸上大作や福島泰樹、道浦母都子などの歌集を読んだからだが、もし可能ならぜひ一読されることをお薦めしたい。彼らの初期の作品は、伝統の力を利用しつつ、目の前にある現実と自分自身に対し真摯に向き合って詠まれており、ロックと呼べるかどうかはともかくとして、鋭く心に刺さってくるものがある。

 形式があるということは制約があるということだけれど、実作をしていると制約があるからこそ自由になれると感じる瞬間がある。
 制約というのは、音楽に形式があり最低限の形式を守らなければただの騒音になってしまう(もっともそれをめざす芸術家もいるかもしれないが)とか、言葉を使うときに必ずその言語の持つ単語と文法が必要になるということと同じようなことであり、<守らなくてはいけない>のではなく、表現する際に絶対に必要な枠、絵を描くときのキャンパスのような存在なのである。

 今のぼくが他人様に、どんな風に生きるべきだなどと説教する資格はない。ただ自分が思うこと、感じることを素直に表現するだけである。
 その人がロックな生き方をしようがしまいが、形式を守ろうが守るまいが、それはその人のやり方だからかまわない。だけど、ぼくはぼくのやり方で行くし、実際にそれしか生きようがない。そういうことだ。

 そうそう、言い忘れたけれど、ぼくはロックというより実はジャズの人。どんなロックでも<好き>というわけではないので念のため。(笑)




発言者: いまのまさし
TITLE: M-1グランプリ
CATEGORY: 芸能・アイドル
DATE: 12/24/2006 09:06:47 PM

 今年のM-1グランプリ優勝はチュートリアル。おもしろかった。勢いというのは恐ろしい。正直、実力から言えば麒麟やフットポールアワーの方が上だと思う。しかし、こういうコンテストにおいては、当日の出来というのが大きく作用するのである。
 一回目のネタは「冷蔵庫」という以前にも聞いたことのある古いネタだったのにもかかわらず、練られたのか、何かが乗り移ったのか、すごい迫力のある笑いだった。思い返してみると「笑い」のニューウェーブというのは常に、日常的な話題をほんの少しずらしたところにナンセンスな爆発を起こすものだったような気がする。
 それは紙一枚でホラーの世界と接している。そういうことを再認識させてくれた意味でも今年のM-1はなかなかのものだった。


コメント:
発言者: 土岐幸一
URL:
DATE: 12/26/2006 08:12:22 AM

もう、芸名で登場することにしました。(笑)

どうもTV番組のお笑い放送について書いているらしいが、何のことやらサッパリ分かりません。(笑)

最近TVで見るのは、ニュース、スポーツ、ドキュメンタリーくらいなもの。
他のことは、全然分からない。

歳をとってきた証拠かなぁ〜?


コメント:
発言者: いまのまさし
URL: http://homepage2.nifty.com/onami/
DATE: 12/26/2006 09:34:20 AM

土岐さま

あら、こちらが芸名でしたか。
いままで、たびたび「匿名」投稿をしていただいて、ありがとうございました。

ぼくは昔から「芸事」が好きで、落語や漫才は子供の頃からずいぶんテレビで見ていました。マンガや短歌もその延長にあるんだと思います。学生時代はよく部室でギターを抱えて歌ってましたよ。

マンガを描く上で、あらゆるジャンルのニュースに関心を持つ必要がありますが、もう一方で時代の最先端の「ナンセンス」感覚を知っておく必要があります(それを使うかどうかは別として)。
だからこれも一つの勉強です。…というのはかなり強引。


コメント:
発言者: ニコラヰ
URL: http://wakamenokunouchan.spaces.live.com/
DATE: 12/29/2006 04:58:07 PM

久しぶりの書き込みを拝見できてうれしいです。
自分はチュートリアルより麒麟の方がよかったかな。
川島君の声がすきなんですよ。ええ^^


コメント:
発言者: いまのまさし
URL: http://homepage2.nifty.com/onami/
DATE: 12/29/2006 10:05:45 PM

ニコラヰさま

きりんです… それはともかく、今年の優勝は誰の目から見てもチュートリアルでしたね。必ずしも実力と比例しないところが難しいですね。


コメント:
発言者: 土岐幸一
URL:
DATE: 12/30/2006 09:39:41 PM

ニコラヰ、いまのさんの話が、さっぱり見えんゾイ。(笑)
チンプンカンプンじゃ〜



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