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2005年1月〜6月

05年1月〜6月  05年6〜8月  05年8〜11月  06年  07年


発言者: いまのまさし
TITLE: ブログ開設
CATEGORY: 日記・コラム・つぶやき
DATE: 01/21/2005 07:29:38 AM

ブログ始めました。
実はある実験のために突然開設してしまったのですが・・・
続くかどうかわかりません。
(笑)




発言者: いまのまさし
TITLE: blogというのは
CATEGORY: パソコン・インターネット
DATE: 01/21/2005 10:10:50 AM

本心で言うとblogっていうのは、ぼくには向いていないと思う。
継続して文章を書き続けるのは、多分ムリ。
それにしてもblogって、BBSやweb日記とどこが違うのか。ちょっとした使い勝手のちがいなのだろうが、たぶんコミュニケーションツールというものの成否は、そういう部分に負うところが大きいのだろう。
実際に使ってみてその辺を感じてみたい。




発言者: いまのまさし
TITLE: 考え方
CATEGORY: 社会思想
DATE: 01/21/2005 12:46:05 PM

なかなかできないのだけれど、問題を考えるときは、根本から基本から考えるようにしたいと思っている。
世の中の仕組みは複雑で判りづらいが、社会の表層をどんどんはぎ取っていけば、最後に最も単純な構造が現れる。
そこから物事を考えれば解決の方向を見つけることができる。・・・と思う。




発言者: いまのまさし
TITLE: パソコンの
CATEGORY: パソコン・インターネット
DATE: 02/04/2005 10:05:27 AM

パソコンの自作系サイトを見ていて思うのだが、コンピューター関係の仕事をしている若い人たちの中には、保守的な思想の人が多いように感じる。
考えてみるとパソコンという世界では、前提として絶対的に承認するしかないアーキテクチュアの内側で仕事をするしかないわけで、その意味では体制に反逆することは不可能なことでなのだ。
もうひとつ一般的な話だが、若い人たちの思考の中に、現在の社会を受け入れてその中の秩序を絶対的に守るか、さもなくば社会制度の外側に出てしまって全く独自の生き方をするかという、どちらか一方しか選択肢のない二元論的な考え方があるように思える。
我々の世代は、そもそもそうした価値観の選択すら放棄してしまった三無主義の世代なので、それよりはよっぽど今の若者の方が立派だと思うのだが、こうした二元的な割り切り方も今ひとつ浅い感じがするのだが。




発言者: いまのまさし
TITLE: 今週妻が
CATEGORY: パソコン・インターネット
DATE: 02/04/2005 10:30:41 AM

「今週妻が浮気します」が書籍として出版されたようだ。
今話題の「電車男」と同じくWEBサイトの掲示板に書き込まれた内容を本にしたものである。今回のは「教えてgoo」に書き込まれたもので詳細はそちら(http://oshiete.goo.ne.jp/ask/guide01.html#20050124)を参照して欲しい。

多分今更な意見なのだが、こういう出版ってやっても良いものなのだろうか?

1 多数の人が書いているわけで、著作権はどうなのか。

2 それとの関連で、書いている人たちはWEBサイトであることを前提に書いているわけで、自分の意図とは違う使われ方をされて良いのだろうか。ある意味ネタであることを前提にしている2ちゃんねるとは位相も違うだろう。

3 それとは違う観点だが、もしこれが「夫が浮気します」だとしたら、回答もこんなには集まらなかったろうし、出版にもいたらなかったろう。書き込みをした人たちの意図にはそういうものはないだろうが、ここにはやはり前提として、妻の不貞は夫のそれより悪いという古くからの価値観があり、出版は結果としてそれを強調することになるような気がする。




発言者: いまのまさし
TITLE: 淫蕩社会は読み解けるか
CATEGORY: 経済・政治・国際
DATE: 02/17/2005 10:21:38 PM

 今、ある関連で本を読んでいる。
 はじめは佐野眞一の「東電OL殺人事件」(新潮文庫)だった。以前から興味があったのだが偶然本屋で目にして買ってしまった。有名な事件だから説明はしないが、中年(?)のエリート女性が売春中に殺害され、容疑者として不法滞在のネパール人が逮捕されて無期懲役刑を受けている。これはえん罪の可能性がある。少なくとも裁判と判決は「疑わしきは被告人の有利に」という原則を無視する極めて不当なものだった。
 それはそれとして、この事件の問題の一方は被害者の人生と性が衝撃的であったことにある。詳細は皆さんで自分で調べて欲しいが。
 これを読んだ後に、中村淳彦の「名前のない女たち」(宝島社文庫)を読んだ。こちらは「企画AV」と呼ばれるアダルトビデオに出演する、下層AV女優へのインタビューを元にしたドキュメントだ。ここでは援交や性風俗など当たり前という少女たちが多く登場する。
 これとほぼ平行して読んだのが、卯月妙子のマンガ「実録企画モノ」(太田出版)と佐野眞一の続編「東電OL症候群」(新潮文庫)。「実録〜」は企画AVのベテラン(らしい)筆者の壮絶な日常をギャグタッチで描いた作品だ。一瞬軽く読めそうに思うが実は相当に重苦しい。卯月本人はこの作品を描いた後、統合失調症が悪化して措置入院になったという。
 「東電OL症候群」の方は、「名前の〜」の中で女性たちが語っていることと様々にリンクしていて、ここまで読んで来て、まるでこれらの各書が有機的に連関するひとつの大きな物語であるかのような気持ちにさせられたのだった。
 なおついでにというか、よく分からない性風俗の解説書として「風俗がわかる本」(別冊宝島編集部編−宝島社文庫)も読んでみた。たぶんこれからこの一連の流れでまだ何冊か読むことになるだろう。

 さて、これらの作品を通じて心に残ったことは、この社会が絶望の社会であり、それはある意味でぼくの世代から始まったものなのだ、ということである。
 まず、世代のことを考えよう。上記の作品群の中に登場するのは大きく分けて3つの世代である。一つめは「名前の〜」でインタビューを受けている少女たち。おおよそ1980年頃の生まれで当時20歳くらい。次は「名前の〜」と「実録〜」の筆者の世代で1970年頃の生まれ。実は「名前の〜」の登場人物にも一人この世代が含まれている。そして最後が殺された東電OLで1960年頃の生まれ。それは実はぼくの年代である。
 この世代論の中に「東電OL〜」の筆者である佐野眞一を含めないのは、どうも彼はここに登場してくる人々のように絶望をリアルな感覚として持っているのではなく、作品を書くことによってその精神に迫ろうとしている、いわば外部からの探訪者という印象を受けるからである。もちろん、そうは言っても彼は非常に感性の鋭い作家であり、極めて示唆に富む様々な指摘をしているのではある。
 本題に戻るが、これら3つの世代の人々には共通した絶望感が存在するように思う。おそらくそれが絶望であるということさえ気づかぬほど、身体的と言ってよいくらい染みつき身近にある「絶望」が。
 この絶望は何なのだろうか。これらの作品の中で性は売買されるものとして存在しているが、読み込んでいくと、それは古い時代のような単純な「支配する男が支配される女の性を略奪する」といった図式だけでは収まらない複雑な様相を示してくる。そこにおける性の売買は、絶望の淵にあって、それを一時回避し続けるためのパフォーマンスであるかのように思われてくるのだ。
 今日の新聞のどこかに、フェアトレードなどの新しい消費スタイルは、単純なモノとカネの交換ではなく一つの人間間のコミュニケーションのあり方として生まれて来つつあるといった主旨の文章があったが、ここにおける性の売買は、逆に性からコミュニケーションを排除することによって「ワタクシ」の存在を確認する手段になっているのではないか。

 これは思いつきの私的メモなので、読んでいる人にはなんのことかサッパリだろう。出来ることなら前掲書を読んで追体験してくれると、このメモの意味が多少は理解してもらえるのではないかと思う。




発言者: いまのまさし
TITLE: 選挙
CATEGORY: 経済・政治・国際
DATE: 04/28/2005 08:28:36 PM

 選挙(少なくとも日本における選挙)というのは不思議な行事だ。
 当然のことだが、政治家の仕事は、国や地方自治体が何をするか、またはしないかを判断し決定することである。これが一般的に政治と言われる行為だ。
 普通、人が自分の本業で一所懸命に仕事をすれば評価されるのが健康的な社会というものだろうが、しかし政治家の世界は様子が違っている。多くの「普通」の政治家にとって一番重要な活動は選挙なのである。それは、今の日本では、はっきり言って政治という仕事とは異質のものと言うしかない。その内実は候補者の宣伝であり、対抗馬との駆け引きであり、選挙区内の有力者の奪い合いである。たぶん善良な政治家はこうした「くだらない」活動に辟易しているのだろうが、選挙で勝たない限り政治という仕事が出来ない以上、みんな持てる力の全てを出し切って選挙活動を行うのである。
 有能な人材が必ずしも政治家になれるわけではないという仕組みの一端がここにある。政治家しての能力よりもカネと利権の力の方が選挙では強いということなのだ。


コメント:
発言者: 並木
URL:
DATE: 04/28/2005 10:03:22 PM

今は面の皮の厚い人が選挙に出ます。私の提案は国民の中から抽選で選ぶのです、今や裁判官も抽選で選ぶ時代です、一期限りの人が真の判断を下す事ができるのです。大衆の英知を集めるのです。私の意見でした。乱筆乱文お許しください。


コメント:
発言者: いまのまさし
URL: http://homepage2.nifty.com/onami/
DATE: 05/03/2005 05:02:36 AM

 確かに以前はぼくもそう考えていました。
 代表者を社会構成員の中から無作為に選んで持ち回りにするという考え方には、とても魅力を感じるのですが、それは現代社会ではいろいろな意味で難しいと思います。
 一例をあげれば裁判員制度ですが、多くの人たちは自分が責任を取る立場になることを嫌がっています。社会に対して自分が能動的に係わり責任を持たなければならないという自覚が薄いのです。ぼくは、これは公教育の責任が重いと思います。
 また実際上、政治的判断を下すには、それなりの見識や能力を必要とする問題も多く、現代社会では必ずしも誰でも出来るとは言えません。いつか、もっと社会のあり方が変わったら、そういうことが可能になると思いますが。
 ぼくとしては、むしろ丁目単位や職場単位の小規模な自治会(コミューンまたはソヴィエトと言ってもよい)を最小単位にして直接民主主義で代表を選び、その人たちが更に直接民主主義で市や企業の代表を選ぶ、といった形で、直接民主主義の階層を下から積み重ねていくような制度にしたらどうかと思います。
 ただ、それでは一般の人々が全体に係わる度合いが薄くなるので、首長などだけは普通秘密選挙で決めるというようなバランスの取り方が必要になるでしょう。




発言者: いまのまさし
TITLE: DVDプレーヤーを買いました
CATEGORY: 日記・コラム・つぶやき
DATE: 04/28/2005 09:04:01 PM

dvdp

 なぜ、というさしたる理由も無く、大型家電店でコンパクトDVDプレーヤーを衝動買いしてしまった。
 とにかく小さい。178×48×240mmである。まあ安い。一緒に延長用コードを買ったのだが、ヘタしたらコードの方が高くなるくらい。
 実は前からトレー式のCDプレーヤーが欲しいなあと思っていたのだが、最近はラジオ番組をDVD/HDレコーダーの留守録機能を使って録音したりしているので、オーディオセットと繋ぐDVDプレーヤーとしてちょうどいい感じだった。
 中国製でリモコンの造りは、はっきり言っておもちゃ以下だが、WMVやMP3、JPEGなども再生できるようだし、玩具と割り切れば面白い買い物だったと思う。


コメント:
発言者: 人気BLOGRANK
URL: http://blog.majide.org/business/
DATE: 04/29/2005 03:49:36 PM

こんにちわ★
あなたのサイトをランキングに参加しませんか?
ランキングに参加すると見てくれる人が今以上に増えますのでお得です(^^)/
ではこれからも頑張って下さい☆


コメント:
発言者: いまのまさし
URL: http://homepage2.nifty.com/onami/
DATE: 05/03/2005 05:22:54 AM

 どうも店頭のポップを読み間違えたらしい。wmvやmp3は使えない模様。ただしjpegは見られる。まあこの値段と大きさならしかたない。




発言者: いまのまさし
TITLE: 尼崎電車事故はなんだったのか
CATEGORY: 経済・政治・国際
DATE: 04/30/2005 12:25:28 PM

 100人を超す死者を出したJR西日本の列車暴走転覆事故。マスコミはそれ自体正当ではあるが会社側の利益優先体質やタコ部屋的労務管理批判を繰り広げている。
 しかし、普段から役人の「無駄遣い」を批判し、「官は民を見習え」キャンペーンをくり返しているマスコミが言うのでは、説得力はない(と、普通の人なら考えるはずなんだが)。
 そもそも国鉄民営化をさんざん美化して世論を形成したのはマスコミではなかったか。保線区員が勤務時間中に風呂に入ったと言っては大げさに非難したのは誰だったのか。
 問題は公務員の労働待遇が特別に良いわけではないということだ。これが当然で法的に厳格な労働条件なのである。歴史的に民間企業の側が労基法を無視した劣悪な労働環境を維持してきたのに、誰もそれを批判してこなかったのだ。その一つの結果が、今われわれの目の前に展開されている悲惨な現場なのである。
 ぼくは別に革マルを支持するものでも否定するものでもないが、かつての動労の闘いはやはり日本の労働運動の最も重要で力強い牽引力だったと思う。今回の事件は一面では日本労働運動の敗北の象徴でもある。

 安全確保の対策は簡単だ。人員を増やせば良いのである。昔は少なくとも長距離区間の運転手は2人だった。ホームには必ず駅員がいた。寝る間もないほどの過密スケジュールも担当者が増えれば緩和される。
 おそらくこれには人件費が高騰するという反論が出るはずだ。利用者に賃金として負担増を強いるのかという意見も出るだろう。しかし、それこそ全ての価値観を貨幣で計る資本主義における特殊な考え方でしかない。そもそも現在、失業者が大量にあふれている状況を考えれば人的資源が足りないわけではない。また少なくとも日本に住むほとんどの人々が飢餓状態にないことを考えれば、現状においてただちに社会が崩壊することがない程度の富もある。
 そうであるなら、社会全体で富の配分を適正におこなえば、鉄道の人員を増員することは可能なのだ。もちろん鉄道だけではない、福祉やその他の人手が不足している様々な公益的事業に人員を適切に配置することが出来るはずなのである。
 もちろん、現在の日本社会にある富の多くは海外、それもアジアやアフリカの貧困国からもたらされているものである。それは日本企業の「経済活動」という搾取行為によって奪い取ってきたものであるから、日本国内の富の分配を適正化し、それにともなって経済活動の再編が行われれば、日本の富は激減することは明白だ。だから更にそれに適応した産業構造の再編が必要になる。果たして日本という国の本当の経済力がどれほどあるのか、食糧自給がどれほどできるのか、フェアトレードでどれほどの富を獲得できるのか、それはやってみないことにはわからない。当然、生活水準を落としていく必要がある。
 しかし、身の丈にあった経済力で生きていくことができない限り、人類に未来はない。世界中が共倒れになってしまうからだ。生活水準を下げることを怖れてはならない。人が不満を感じる一番大きな理由は格差があるからだ。みんなが同じ水準になっていくのなら、みんなが耐えていくことが出来る。それが人類なのである。


トラックバック:
TITLE: 「マスコミ批評」のカテゴリーを作りましょう。
URL: http://soba.txt-nifty.com/zatudan/2005/05/post_266d.html
BLOG NAME: 雑談日記 (徒然なるままに、、。)
DATE: 05/02/2005 09:17:11 PM

 インターネットで個人が情報発信できるようになり、またブログが新たな情報発信の媒




発言者: いまのまさし
TITLE: ボーリングをした罪?
CATEGORY: マスコミ批評
DATE: 05/06/2005 11:08:11 AM

 尼崎脱線事故から日が経つにつれて、JR西日本の企業体質がますます問題になっていている。今度は別の車掌区の社員が当日に宴会をやっていたことがやり玉に挙がっている。確かに被害者や遺族が腹を立てる気持ちはよく分かる。しかしテレビの報道を見ているとなんとなく違和感を感じてしかたがない。
 テレビ、特に民放の報道はこの件を激しく糾弾している。いったいいつ誰がテレビを正義の代表者に選んだのだのだろう。正直に言うが、大会社の遠く離れた部署で大事故が起こっていたとしても、非番の人間がボーリングをしようが酒を飲もうが、法律を破ったり控除陵辱に反したことにはならない。それよりも、無理な運行を強いた上、ハード面でも安全対策を怠っていた当該企業、さらにはこの事件に触発されて線路に置き石をしている非道なヤツらの方がずっと罪が重い。(もっとも今回マスコミが猛反発しているのはJR西日本がこの問題を隠そうとしたことが原因だという話もあるが。)

 そもそもこれまで様々な不祥事を起こしてきたマスコミ各社が、他人のことを批判できるのか。マスコミ連中は自社がスキャンダルを起こしたときに酒を飲むのを控えたのか。たまたまJRは人の命に直結する仕事をしていたからこうなったが、マスコミは直接人の命を奪わないだけで、実際には時として人を死ぬより苦しめることもあるのだ。偉そうに正義を振りかざして他者を断罪するマスコミというもうひとつの見えない権力に、恐ろしさを感じる。
 だが、このようにマスコミを居丈高にしている原因もある。一般の人々の浅薄な正義感である。マスコミはある意味でこうした感情におもねっているだけなのかもしれない。
 なぜJRが無理な運行をしていたのか。乗客がより正確でより速くより安いことを求めたからには他ならない。安全よりも効率と利益を優先させてきたのは、実は誰あろう私たち自身だったのである。電車が遅れたら文句を言い、料金が上がったら文句を言う。それが最終的に現在のJRの企業体質を作り出したのだ。JRや社員がこの事故をまるで他人事のように考えていると批判するのなら、まずは自分自身がこの問題を自分の責任として捉えているのか胸に手を当ててみるべきだ。(ただし、もちろんJR西日本が杜撰な仕事をし、莫大な儲けを得ていることを是とするものではない。)
 JR西日本は、効率と利益を追求し続けてきた私たち自身の写し絵なのだ。そしてまたマスコミも同じくである。
 この事故を反省するなら、私たち自身がまず目の前にある自分の生活を見直し変えていく「闘い」を始めるべきだし、もしこの事故を、日本社会を構成する人々が結局は他人事だと考えるならば、事故は再び、そしてさらに悲劇性を増してくり返されることになるであろう。

 「なんぢらの中、罪なき者まづ石を擲て。」(新約聖書・ヨハネ傳福音書第8章)


コメント:
発言者: hidevoo
URL: http://hidevoo.cocolog-nifty.com/zakki/
DATE: 05/06/2005 04:04:40 PM

全くその通りだと思います。最近の日本人はもう少し自分自身に責任を持つ必要が有ると思います。


コメント:
発言者: いまのまさし
URL: http://homepage2.nifty.com/onami/
DATE: 05/06/2005 04:31:46 PM

hidevoo様、コメントありがとうございます。
「責任」というのはなかなか難しいものですね。あらためて考えてみたいと思います。


コメント:
発言者: いまのまさし
URL: http://homepage2.nifty.com/onami/
DATE: 05/06/2005 04:44:22 PM

JR西日本天王寺車掌区の懇親会問題に補足しますが、どうも朝日放送のスクープに関係あるらしいです。
この問題は「報道ステーション」中ですっぱ抜きとして明らかにしたものだそうですが、この番組を見た各社の担当が一斉に取材中の記者の携帯を鳴らした、その時ちょうどJRの記者会見中で、記者側がこの問題について質問したら、JR側はすでに用意してあった資料を読み上げた、ということだったらしいです。
(あまり正確な情報ではありませんが)

つまりJR側はすでに事態について調査済みだったのに、マスコミが嗅ぎつけなければ隠すつもりだったと思われます。これがマスコミ側の怒りを買った原因と言われています。


トラックバック:
TITLE: 企業体質って何ですか?
URL: http://blog.goo.ne.jp/nafco/e/
bd8a5bd3c6c5ed0f99d10f67d7052927
BLOG NAME: ナフ子deモノローグ
DATE: 05/06/2005 03:58:32 PM

JR西日本の企業体質が問われています。

・・・というセリフを、この連休中、何度見たか聞いたか。
JR西の社員がボウリングの後3次会までやってたとか何とかマスコミ各社が大々的に叩こうぜムードで報じてますが
2次会が居酒屋だろうがすし屋だろうが焼肉屋だろうが、んなこたどーでもいいんだよ。
同じ企業の社員が不謹慎だって言いたいだけなんだろうが
(そりゃ、実際不謹慎だとは思うし、普通その知らせを聞?...




発言者: いまのまさし
TITLE: マスコミ批評というユーザーカテゴリについて
CATEGORY: マスコミ批評
DATE: 05/06/2005 11:14:39 AM

 「ひなたぼっこ」さんのブログ(http://soba.txt-nifty.com/)を読んで、確かに「ココログ」にマスコミというカテゴリーが無いということに気づいた。マスコミとインターネットの関係というのは先日のライブドアとフジテレビの問題にも見られるように、現代の情報社会における重要なテーマだと思う。

 ぼく自身は、個人的に言えばマスコミが嫌いだ。市民運動をやっていると必ずマスコミを利用しようという話が出てくる。もちろんそれが悪いわけでもなく、ぼくも記者クラブへの投げ込みなどをやったりする。取材を受けたり、記者会見をしたこともある。しかし、基本的にマスコミというのはこちらが主張したいことを書いてくれるものではない。(というより、ほとんどの場合は無視される。)それはそうなので、マスコミは読者(視聴者)が求める記事を載せるものであって、誰かの意見を宣伝するものではないからだ。
 もうひとつ思うことは、もし万一マスコミがこちらの思い通りの記事を書いてくれたとしたら、そのあとできっとしっぺ返し(リアクション)も帰ってくるのではないかということだ。マスコミには全体としての「バランス感覚」があって、ある視点に立った情報に対してはその反対側に倒そうとする力が必ず働く。今回の尼崎事故などはその意味で特異な事例で、全マスコミがこぞってJR批判をしている状況は少し恐ろしい。
 マスコミがぼく(たち)の意見をとり上げてくれるのはありがたい。しかし、それはあくまでもそれだけであって、マスコミの力を信じるわけにはいかないのだ。

 と、ここまでマスコミ批判めいたことを書いたけれど、しかしそれでもマスコミは必要なのだとも思う。
 長くなるので詳しい話は別の機会にするとして、マスコミというメインストリームが存在するからこそ、ミニコミやインターネットといったサブカルチャー・カウンターカルチャーの存在価値が高まるのだ。もしメインストリームが崩壊してしまったら、情報はただ混乱の度合いを深めるだけだろう。21世紀の日本の文化においては、今やメインカルチャーが崩壊しようとしている。昔のようなテーゼ、アンチテーゼ、ジンテーゼといった弁証法的な文化の発展法を、ぼくたちはもはや失ってしまった。もうなにもかもがゴチャゴチャである。
 その意味で、わが敵(?)なるマスコミにはがんばってもらわなくてはならない。そういう意味も込めて、ぼくも「マスコミ批評」というカテゴリを作ってみたのである。




発言者: いまのまさし
TITLE: 「責任」とは何か
CATEGORY: 社会思想
DATE: 05/07/2005 03:39:41 AM

 しばらく前に「自己責任」という言葉が流行った。もちろんどんな行為であれ、大人が自分の判断で行う行為であれば、そのリスクを自分で負うのは当然である。しかし、あの「自己責任論」騒動で実際に行われたことは、政府の方針とは違う意思を持った国民は「国賊」であり「非国民」なのだというキャンペーンであった。
 今回の尼崎の電車事故でも「責任」や「責任感」が問題になっている。しかし、多分本当に重要なのは責任の所在がどこにあるのかということよりも、責任の意味なのだろうと思う。
 現代アメリカ型のリヴァイアサン的資本主義が蔓延した日本社会において、個人責任は十分、というより過酷なほど人々に課せられている。それはもういい。今必要とされているのは社会的責任である。
 個人責任論を声高に主張した政治家たちは、はたしてその重い社会的責任を果たしていると言えるのか。「普通の国家」なる、その実アメリカ合衆国という特別な国家を真似して(媚びてか?)、戦争に向かって突き進む政治家たちは、本当にこの社会、この世界に対して責任を持った行動をしていると言えるのか。まあ、それもこの際、置いておこう。
 責任を持つということはどういうことか。それは言い換えれば誰に対して責任を持つのかという問題である。
 たぶん、今マスコミが盛んに取り上げている一連のJR西日本社員の宴会や旅行問題も、JRの社員が誰に対して責任を負おうとしているのかということに帰着する問題なのだと思う。社員が自分の会社に責任を負うのであれば、まず第一に会社の仕事や行事を優先するのは、ある意味当然である。しかしマスコミの主張は、まず今回の被害者に対して責任をとれということなのだろうと思う。
 それは基本的に正しい。いかに自分の会社であろうと、一営利企業に対しての責任よりも社会全体に対する責任の方が重いというのは、当然のことである。しかし、この主張がどことなく歪んで感じられるのは、ひとつには、その一営利企業に所属する社員や労働者は皆一蓮托生で、その企業が犯した罪を全員がかぶるべきだと言っているところにある。
 一労働者はあくまでも企業の経営者と賃労働の契約を結んでいるというだけで、必ずしもその会社の全てのありように責任を負うべきものではない。(本来の意味で言うなら社員と労働者は全く反対の意味なのだが、ここでは一般の慣習に近い形で使った。)何度もくり返すようで申し訳ないが、マスコミや一般企業の労働者は、その会社が不正をはたらいたり、不祥事を起こしたとき、その責任をすべて負おうとしているのだろうか。それなら大変立派なことであるが、それは「立派な」一部の人たちにしか出来ることではないだろう。
 そんなことよりも、この社会の一員として、この社会に対して責任を負うということが、より大切であり、かつ現実的なのではないだろうか。
 たとえば今回の事故では事故発生現場近くの企業や個人が積極的に負傷者の救出に係わったという。これが社会に対する責任感というものだろう。当事者の方々がそうした明確な意図を持っていたかどうかは知らないが、彼らは自分たちの社会を自分たちで守っていくという公共精神を持っていたし、そのことにぼくは深く深く敬意を表したい。
 その意味で、宴会やゴルフをしたり旅行をしたりしたJR社員は、社会的責任を十分に感じていなかったと言えばそのとおりだが、それはこの事故に対して何もしていない僕たち自身にもあてはまることだろうと思う。そればかりか、多くの人が死んだ日に、ぼくも酒を飲んだし、娯楽番組を見て笑っていた。しかし、そのことは断罪されることなのだろうか。
 そうした日常生活は、基本的に人間社会の中では不可欠の行為であって、たとえ原爆が落ちた日であっても、多くの人々はそれぞれの日常的行為を行っていたのだと思う。重要なことはそうした表面的な問題ではなく、本質的に、今回の事件を含めて現代の日本・世界で起きていることに自分自身が係わっており、そこに責任があるということを自覚できるかどうかということなのである。ぼくたちが効率と「経済性」を求めなければJRは無理なダイヤで電車を走らせることはなかったのだし、ぼくらが自民党を勝たせて小泉政権を存続させているが故にアジア各国との関係は悪化しているのだし、本当に本気で戦争に反対しているのならば日本からアメリカ軍を叩きだしているはずだ。
 これはみんな、誰のせいでもなく、この時代を生きて社会の構成者となっている僕たち自身の責任なのである。社会に対して主体的に係わるというスタンスを失ってしまったら社会自体が暴走し脱線し転覆していくしかない。道理のない批判報道をする(わざと核心をそらせようとしているという説もある)マスコミはどうしようもないが、所詮は他人事のスタンスでそれを批判している人がいるとすれば、それもまたろくでもない。




発言者: いまのまさし
TITLE: あるたとえ話
CATEGORY: 経済・政治・国際
DATE: 05/07/2005 04:35:45 AM

 ひとつのたとえ話をしたい。
 ある鉄道会社があった。同業他社との競争が激しく、社長は安全性よりも利益を優先する方針をとった。いずれ事故が起きることは承知していたが、そのときは自分は引退しているつもりだった。誤解の無いようにいうが、これは現実の事件・事故について書いているのではない。全くのたとえ話である。
 さて、大事故はやはり起こった。大騒動になった。しかし、何年も時が経って、一般の人たちにとってこの事故の記憶もしだいに風化した。その後に鉄道会社に入った社員はリアリティを感じていない。もちろん代替わりした社長はずっとこの事故のことについて謝罪し続けてきた。被害者や遺族もそれで一応納得した形だった。
 しかし。
 ある頃から、会社の一部の幹部が、競争が激しかったのだから仕方なかった、別に法律を破ったわけではない、事故の被害は被害者が言っていたほどではなかった、もう謝る必要はない等と公然と発言するようになった。社員教育の中でこの事件について教えるとき、会社を加害者にすることをやめさせようとした。実際に安全対策よりも利益優先の方針が通るようになった。
 あるとき、こうした一派から新社長が選ばれた。他に有能な候補がいなかったからである。被害者と遺族は当然のことながら反発した。
 さて、皆さんはこの鉄道会社のあり方をどう思うか、ということである。

 一般的に言えば、どんなに時間が経とうが安全優先を貫くべきであって、こうした鉄道会社の変節は許されないだろう。被害者や家族がまだ苦しんでいるのに会社の態度は横暴というしかない。事故は確かに会社の不名誉かもしれないが、変に開き直って事故を正当化するよりも、このことをしっかりと受け止め、これを永久に忘れず二度と過ちをくり返さないと誓い精進していくことが、結果的にこの会社のイメージも上げ、マイナスの事件をプラスの力に変えていくことになるだろう。
 みなさんは、そうは思わないだろうか。

 もう一度言うが、これはたとえ話であって鉄道事故のことを言っているのではない。
 果たして小泉氏は靖国参拝を今年こそ止めてくれるのであろうか。




発言者: いまのまさし
TITLE: パイナップルアーミー
CATEGORY: 経済・政治・国際
DATE: 05/11/2005 09:35:50 AM

 イラクでの新たな日本人拘束事件は予想外だった。パイナップルアーミーみたいな人間が本当にいるんだなあ、というのが最初の感想だった。
 ボランティアでも旅行者でも、ジャーナリストでも公務員である自衛隊員でもない、自発的にリスクを背負うことを職業としたプロの兵士となると、もうこれは本当に仕方がないと言うしかないではないか。自己責任論をさかんに言いつのっていた人たちは、これをどう批評するのだろう。


コメント:
発言者: Junk-bubu-oh
URL: http://homepage2.nifty.com/onami/
DATE: 05/14/2005 03:17:07 PM

なんだか不思議なトラックバックが付いてますね。


トラックバック:
TITLE: 公務員
URL: http://photon7.com/8CF696B188F5/
BLOG NAME: 『公務員』情報
DATE: 05/13/2005 08:06:36 PM

公務員公務員(こうむいん)とは、中央政府ないしは地方公共団体の事務を担当する者を広く指す言葉である。選任方法のいかんを問わず、また立法、司法、行政のどの部門に属しているかも問わない。日本国憲法第15条第2項において「すべての公務員は、全体の奉仕者であっ...




発言者: いまのまさし
TITLE: リアルとファンタジーとリアリティ
CATEGORY: アニメ・コミック
CATEGORY: ニュース
CATEGORY: 文化・芸術
DATE: 05/14/2005 10:10:04 PM

 北海道から保護観察中の男が上京し少女を監禁したという事件には、ちょっと驚いた。この場合、「ちょっと」と言うところが問題である。少し前ならこんなことが起こると、ものすごく衝撃的だったろうと思うが、ぼくの感覚では今回の事件にはさほど衝撃を受けなかった。ぼくの感覚が麻痺しているのだろう。
 イラクで拉致された軍事会社の兵士は先日書いたようにマンガの主人公そのものであった。尼崎の電車暴走脱線衝突事故のテレビ映像は、安っぽい怪獣番組のようだった。あのニューヨークの世界貿易センタービルの崩壊もまさにアメリカ映画のCG特撮に見えた。
 そういう世界の中で少女監禁事件は「そういうこともあるかもね」というレベルで、ぼくの中を通り過ぎようとしている。すくなくとも新潟の8年間少女を監禁していた事件よりも衝撃度は小さい。
 今回の事件の加害者は、いわゆる「鬼畜もの」のパソコンゲームが好きだったらしい。監禁・奴隷・陵辱というテーマは実際には古くからSM小説で扱われてきたもので、それ自体はさほど目新しいものではない。しかし、現在の電子ゲームやアニメなどの鬼畜ものとは大きく違っている点がある。リアリティという部分だ。SM小説やSM映画は表現上よりリアルなものが目指されてきた傾向がある。SM雑誌というものを見たことがあればわかると思うが、例えば挿絵ひとつとっても写実的なものが圧倒的に多かった。その理由は、そもそもSMという嗜好そのものがファンタジーであったからだろうと思う。よく言われることだがSM嗜好の人は実社会では極めて常識的な人が多いらしい。SMはたぶん基本的に現実世界と明確に区別されたファンタジーなのである。だからこそ、その表現にはリアリティが求められたのだ。そうしないとファンタジーはただのトイレ落書きレベルの作り話になってしまうからである。非現実的な物語にはそれを支えるだけの形式が必要だったのだ。
 それは一般的なファンタジー小説の中でも必要な装置であって、トールキンの伝承文学的ファンタジー小説は膨大な民俗学的知見の上に成り立っているし、アメリカ型のパルプノベルでさえ、ファンタジー小説はたいてい主人公が現実世界から異世界に紛れ込む仕掛けが使われている。こうした手法の前提には、ファンタジーというものが現実世界と区別された人間の知的遊びであるという認識があったということを押さえておきたい。
 ところがいわゆるオタク文化は、こうした前提をひっくり返してしまったように見える。ぼくの私的な文化的事件としては、アニメ「宇宙戦艦ヤマト」と映画「スターウォーズ」の公開がメルクマールだった。元来リアリティの対極にあったセルアニメという表現手段がリアルな人間ドラマに使われ、「2001年宇宙の旅」に象徴されるSF映画におけるリアリズムの追求があっさりと否定されてマンガ化していくという時代が始まったのである。(前者のひとつの流れが18禁アニメの興隆であり、後者の発展がCGを大量に使用した実写ともアニメとも言えないハリウッド映画の現状である。)いずれにせよ、こうした流れの中で可愛らしいアニメ絵を使った「鬼畜もの」が形成されてきた。これは従来のSMというファンタジーとは似て非なるものと言ってよく、非現実的世界を非現実的に表現するジャンルであり、そこでは人間の空想力の中で発展していく知的遊びの部分を大幅に欠落させていると言わざるを得ないのではないかと思う。
 さて、現実世界でもひとつのメルクマールとなる事件が発生する。宮崎勤事件である。宮崎事件は当時、希代の猟奇事件として社会に衝撃を与えたが、この事件こそポスト団塊世代以降の若者の精神性を象徴したものと考えられる。この事件が「オタク」という用語を一般化したことでもそれは明らかだろう。宮崎勤が精神的な疾患を負っていたかどうかよく分からないところもあるが、彼の意識の中でリアルな現実とファンタジー世界の中で感じる欲望との境は失われていた。
 それは人間の知的世界の中で「リアリティ」が消失した瞬間であったのかもしれない。リアルな現実と非現実のファンタジーが区別されるからこそ、表現装置としてのリアリティが必要とされるのであって、現実と非現実の区分が無くなってしまえばリアリティも用済みである。ファンタジーの世界からリアリティが失われるということは一見して現実と非現実の間が広がるかのように見えるが、実はリアルとは何かファンタジーとは何かという知見が失われるということであり(それが分からないと何がリアリティか分からないのだから)、現実と非現実との緊張感を見失うということなのである。リアリティが失われることによって逆に現実と非現実の境界はさらにあいまい化し、同時進行形で現実に目の前にある世界の現実感も薄れていく。そして、リアリティを失った人間がリアルな社会にあふれ出てくると、現実社会自体もしだいに非現実の世界に近づいてしまう。こうした関係性は相乗効果というかニワトリとタマゴのように、世界の混沌をますます加速させていく。
 今回の少女監禁事件の加害者は、まさに現実と非現実の区別がつかず、マザコンの裏返しとしての「ご主人様−奴隷」の関係性の中に生きようとしたのであるが、それを受け止めるぼく自身にも次第にリアリティが失われ、「今の世界で何が起きてもおかしくないさ」と思ってしまうのである。
 オウム真理教の事件もこうした脈絡の上にあったのだろうし、酒鬼薔薇聖斗やてるくはのる、宅間守などの事件も考察の対象であろう。しかし、おそらくこれは日本のオタク文化論だけでは説明をすることが出来ない。なぜならこうした現象は世界中で起きつつあるからだ。そこにはどんな理由があるのか。そこには極端に進んだ個人主義的傾向=世界・社会から分断された人間存在の問題があると、ぼくは考える。個人の世界が狭隘化し、ワタシにとって社会の存在感は希薄化していく。これ自体は150年前にマルクスがいわゆる疎外論で指摘した現象のひとつだと言えるが、それがこの20年程度の期間に急速に進んだのには別の理由も存在するであろう。フラワームーブメントへの反動、日本で言えば70年安保闘争の封殺と体制の超保守化がその背景にあるのではないだろうか。
 以上はまだまだ思いつきのメモ程度でしかなく、またこの先は、ぼくがこれまで度々主張してきた「失われた世代」論に重なっていくので、ひとまずこの文章はここで終えるが、ひとりの表現者として「リアリティ」の問題を重要で深刻な問題として、今後も考えていきたいと思う。




発言者: いまのまさし
TITLE: 国連という装置
CATEGORY: 経済・政治・国際
DATE: 05/14/2005 10:10:51 PM

 日本など国連安保理の常任理事国入りを目指す国々が声明を発表したようだ。その中には拒否権問題が含まれているという。この問題についてはすでに別のところでも書いているので詳細は省くが、5大国の拒否権の独占を崩すことは出来ない。なぜなら、それこそが「国連」という装置の全てと言ってよいからだ。
 国際連合はもちろん和訳であり、本当の名前は「連合国」である。(ってこれも和訳だが…。)つまり日独伊の枢軸国に対する英米を中心とした軍事連合の意味なのだ。ここに敗戦国が入り込んでいくこと自体にひとつの矛盾がある。それはまあ今は置いておくとしても。
 戦前の国際連盟が崩壊し第二次世界大戦が勃発したのは、大国(=帝国主義各国+ソ連邦)同士での利害が対立したからだ。それはある国が侵略をしようとするのを他の国が阻止しようとしたということである。だから戦後の戦勝国たちはそうした戦争の火種を無くそうとした。それが5大国の拒否権である。国連総会というのが名前だけのものであり、その決議になんの実効性もないことは誰でも知っている。国連の実態は大国間での戦争を抑止する安保理であり、その外側にあるのはすべて派手派手しい虚飾に過ぎない。そしてその安保理の実態が拒否権なのである。このことは冷戦時代によくよく知らされたことであった。
 だから安保理は本質的に改革できない。そのときは国連自体が崩壊するときであり、現在の「国際秩序」が崩壊するときである。そしてまた、ぼくはその時が来るのを渇望しているのでもある。




発言者: いまのまさし
TITLE: お笑いニュースショー
CATEGORY: マスコミ批評
DATE: 05/21/2005 12:44:47 AM

本日のテレビニュースから

石原都知事が沖ノ鳥島視察
 かつて破廉恥小説「太陽の季節」で、戦後自由主義の最大の恩恵を受けた人が、今は憂国の士みたいな格好をし、モラルを説き、権力を笠にきてえばり散らしている。笑える。

東京都北区赤羽の猿騒動
 たかが猿一匹でマスコミが大挙して押し寄せ生中継。アザラシやクジラならともかく。東京から30分も行けば猿害に困っている人たちがたくさんいるぞ。沖縄では今現在、ジュゴンの生息地を守るために辺野古で多数の人が血を流して闘っているのに、一言も報道しない。大笑い。

ピアノマンの謎
 たった一人の男の身元探しが連日トップニュース。ウズベキスタンでは女性や子供まで800人以上が無抵抗に虐殺されたのに、2日ほど報道しただけ。近くの中央アジアより遠くのイギリスか。笑いすぎて涙が出ちゃう。

森進一号泣
 森-森離婚が再びトップニュース級で帰ってきた。尼崎の事故を終わりにして日常的な大事件が戻ってきたという感じ。平和ニッポン・・・




発言者: いまのまさし
TITLE: HDクラッシュ
CATEGORY: パソコン・インターネット
DATE: 05/25/2005 09:54:47 PM

 おかしい感じはしていたのだが、サブマシンのデータ用ハードディスクがクラッシュした。前日、DaemonToolをインストールして仮想ドライブを構築し、イメージ化したゲームCDのファイルを使ったのだが、効果音の一部が聞こえず、エラーが出たままWindows(2000)を終了したのだが、翌日立ち上げると延々とchkdskが続き(約20分)、やっと立ち上がったかと思うと大量の.CHKフォルダができている。(ただし.CHKファイルは少ない。それに基本的には拡張子を直せばほぼ復元できる。)中味を見てみるとほとんど正常なファイルなのだが。
 正確にこういうのをクラッシュと呼ぶのかどうか知らないが、いずれにせよ、立ち上がりに毎回時間がかかり、どんどんフォルダのツリー構造が壊れていくわけで、これでは使えない。とりあえずサブマシンは封印したが、さてどうしたものか。




発言者: いまのまさし
TITLE: アジア諸国とどうしていくのか
CATEGORY: 経済・政治・国際
DATE: 05/27/2005 11:27:03 AM

 日本外交が危機的状況にある。
 もはや常任理事国入りなどとのんきなことを言っていられるときではない。大丈夫なのか小泉政権。
 武部自民党幹事長が中国で「首相の靖国参拝への批判は内政干渉だ」と発言して相手方を激怒させたかと思うと、谷内外務次官は韓国の国会議員に「韓国は米国に信頼されていない」と発言し、森岡厚生労働政務官が自民党代議士会で「A級戦犯は罪人でない」と主張、ついでに森前首相も「中韓の対日批判はいちゃもんだ」と言わなくてもいい余計なことを言ったりしている。
 はたしてこんなことで日本のアジア外交はどうなるのか。教科書問題も竹島(独島)問題も解決できず、日中の首脳会談が全く行われない異常事態が続いている。それもこれも小泉自身の靖国参拝強行などの外交無視政策の結果である。アメリカ合衆国の言いなりになるだけの政策は外交などと呼べるものではない。交渉してお互いに妥協しあうという前提を持たない対外姿勢では、国際的に信頼される地位に立てるはずがない。子供のケンカでもこんな乱暴な話はないだろう。
 敵対的買収のホリエモンの出現とか、小泉政権が誕生してから力のごり押し・問答無用の風潮が広まっている。こんなことをしていたら日本国は崩壊してしまうぞ。それはそれでよいことなのかもしれないけれど。




発言者: いまのまさし
TITLE: 本当に好きなの
CATEGORY: パソコン・インターネット
DATE: 05/27/2005 11:28:18 AM

 パソコンが好きだ。というよりコンピューターがものすごく好きだ。ある時、突然パソコンやワープロに触れない環境になった時、とても落ち着かない気分になって電卓を買って詳細な家計簿をつけるようになったことがある。無性にテンキーに触りたかったのだ。しばらくして中古のMSX-turboを購入したり、仕事上でもパソコンを使うようになって、家計簿は以後全くつけていないのだが。
 なんでこんなにコンピューターが好きなのか、理由はよくわからない。しかし、ぼくの育ってきた時代には、鉄腕アトムから始まって、バラ色の未来は電子頭脳とロボットのいる世界ということになっていた。それ以外にもロケットと宇宙旅行、テレビ電話などは必需品で。はるか遠い未来という意味の記号であった「21世紀」がやって来て、それらは本当に実現してしまった。もっとも瞬間移動や時間旅行は実現されなかったが。
 そう言えばタイプライターというのもカッコよかった。中学生のころにはオリベッティのタイプライターに憧れた。しかし、どう考えても英文タイプにはほとんど実用性が無いわけで、実際に使うとなれば「あの」和文タイプが必要だったが、そもそもすごくダサかった。そのうえ学生が手を出せるはずがないほど高価だったし、また使いこなすのはまず無理だった。今こうして文章をキーボードで叩いているということ自体が、当時の自分には想像すら出来ないことだったのである。
 こういうコンプレックスを持った者の前に現れたのが、パーソナルコンピューターだったのである。コンピューターはぼくの中では潜在的な夢と希望の象徴なのかもしれない。それはあたかも戦後世代が無意識のうちに自由の象徴を自動車に見いだしているようなものなのであろう。




発言者: いまのまさし
TITLE: 天気晴朗なれど波高し
CATEGORY: 経済・政治・国際
DATE: 05/27/2005 07:57:25 PM

 今日は日本海海戦で連合艦隊がバルチック艦隊を破ってから100年目なのだそうだ。昔は海軍記念日だったのだそうで。ちなみに有名なT字戦法は偶然の結果だったらしい。
 たまたまそんな日にフィリピンで旧日本軍の生き残りが発見されたらしいというニュースも流れた。本物ならば60年ぶりの日本帰還になる。
 この60年という期間は人の人生においてはあまりにも長い。戦争の悲劇ということだろう。しかしそれに比べて100年はずいぶん最近のことなんだなあという気がする。言ってみるならば日本は100年前に国際的に認められる軍事的大国になり、60年前に徹底的に敗北して軍備を放棄したのである。引き算をすればその間は40年、日本が軍事的優位を誇ったのはたった40年のことなのである。
 敗戦からはすでにそれを大きく上回る60年の時間がたった。そして今だに、というのか今ごろになって、日本を「普通の国」という軍事国家にしようという動きが強まっている。軍事の力がいかにもろく危険なものだったか、たった40年という期間がそれを示している。「平和ボケ」している偉い人たちにはそれが分からないんですよ。
 しかし、本当に改憲派の人たちはこんなリアリズムを理解できないのだろうか。
 戦争が出来る強い国家であれば他国から攻撃を受けないと思っている人がいるとしたら、少し歴史を学んだ方がよい。日本はあのイギリスやアメリカに戦争を仕掛けたのである。強い軍事力があれば他国に攻め入ることが出来ると思っている人がいるとしたら、日本海に頭を突っ込んで冷やした方がよい。侵略行為が侵略する側にとっても最終的に何のメリットももたらさないということは、今のアメリカ合衆国を見ても自明のことであろう。
 そんなことよりも、なんで現代社会がこんな風に戦争と暴力と無秩序の世界になってしまったのか、そのことを冷静に考えてみるべきだ。「力」のあるものが力のない者を徹底的に追い詰めたことが、この21世紀の社会を生み出したのである。まあそれは別の話なのでまたの機会に。




発言者: いまのまさし
TITLE: 贅沢とは何か
CATEGORY: 日記・コラム・つぶやき
DATE: 06/05/2005 09:48:30 PM

 今日は午前中いっぱいを環境保全活動の現場活動で過ごし、その足で市役所に行って展示中の環境写真パネルの落っこちたのを直し、家に帰ってから一風呂浴びて缶ビールを一本空けてから昼寝をし、母に起こされて夕食を食べた。
 午後7時前の空はまだ明るく、ふと思いついて、部屋の電気を消して黄昏の光の中、安焼酎に氷とポッカレモンを数滴入れたのをなめながら、レッド=ガーランド・トリオの「グルービー」を全曲聴いた。CDが終わる頃には外はだいぶ暗くなっていた。

 たぶん、こういうのが贅沢ということなのだと思う。




発言者: いまのまさし
TITLE: Windowsアップデート(T_T)
CATEGORY: パソコン・インターネット
DATE: 06/06/2005 07:44:58 AM

 サブマシンでWindowsアップデートをしたら、またまた画面がブラックアウトしてしまった。
 本当に何度Windowsアップデートで泣かされたことか。これってパソコンにとって有害なのでは、と思ってしまう。
 ともかく今回はグラフィックカードのドライバが問題だと言うことが明白なので、メーカーサイトから最新のドライバを落としてきて対処した。でも、いまだに不安はぬぐえません。




発言者: いまのまさし
TITLE: キーボードのドライバ
CATEGORY: パソコン・インターネット
DATE: 06/07/2005 12:55:02 PM

 このところパソコンの動作不安定に泣かされているのだが、そのひとつに文字入力の問題があった。
 ちょくちょく文字化けしてしまうのである。この場合、文字化けというのはキーを押してもそのキーに振り分けられている文字が出てこないと言うことだ。はじめはFEPに問題があるのかと思っていた。
 現在使っているのは富士通の純正親指シフトキーボードで、まあそれだけでも問題が発生しやすい感じがする。
 思いついてドライバを入れ直してみることにした。NICOLA 日本語入力コンソーシアムというサイトがあって、親指シフトの普及をはかっているのだが、このサイトから最新版のドライバを落としてきた。これで一応いまのところは落ち着いたのだが。
 ちなみに親指シフトは日本語入力には最も適している。ぼく自身は生まれて初めて触ったワープロがそもそも親指シフトで、その後10年くらいは仕事でも個人でもずっと親指シフトを使った憶えがある。通常の日本語キーボードでもソフト的に親指シフトを実現出来るソフトもあるので、一度体験してみたらどうだろうか。


トラックバック:
TITLE: Re: あなたの仕事が劇的に変わるメール術(@浅沼ヒロシの書評ブログ 晴読雨読日記)他10件
URL: http://thumb-shift.txt-nifty.com/contents/2005/09/re__10_dd88.html
BLOG NAME: 親指シフトウォッチ
DATE: 09/04/2005 10:57:49 PM

いろいろなところで見つけてきた親指シフト関係の記事ですが、きちんとしたコメントを




発言者: いまのまさし
TITLE: 音楽ってのは
CATEGORY: 白井貴子
DATE: 06/12/2005 09:24:48 PM

 今日、環境省のイベントで久々に白井貴子を聴く。…ったって、ただ聴いたんじゃないが。
 ぼくは白井さんのライブは基本的に座らない。後ろの方に立つ。なぜか。踊るためだ。
 今日も踊って歌った。…一人だけだったが。
 音楽ってのは、座って拝聴するものではないんじゃないかと思う。(それが悪いというのではないが。)やはり音楽の原点は歌って踊ることなんじゃなかろうか。周りの人に迷惑なんだろうか。…ううむ。
 ずっと昔、ライブなんて行くカネも時間も無かった若い頃。白井貴子のテープを聴きながら、畳の部屋で一人踊った。そう、その時からすでにぼくの中では白井貴子は踊る音楽だったのだ。
 踊ること。それが、ぼくにとってアーチストに対する最大の讃辞なのである。




発言者: いまのまさし
TITLE: しびれる
CATEGORY: 日記・コラム・つぶやき
DATE: 06/17/2005 02:01:56 AM

 さっき気づいたのだけれど、今日はずっと顔の左下半分が軽くしびれるというか、ちょっとマヒしたような感じがする。歯を抜く際に麻酔を打たれたときに似ているが、それよりずっと軽い。
 病気か?




発言者: いまのまさし
TITLE: vivoファイル再生、苦労しました
CATEGORY: パソコン・インターネット
CATEGORY: 白井貴子
DATE: 06/17/2005 04:15:01 PM

 白井貴子の古い公式サイトで動画が配信されていた。5年以上前の話である。
 白井さんのホームページは、当時としては最先端に近い動画メインの総合サイト"Hyper TV"の中に作られていた。そのころの技術では動画やストリーミングの規格は乱立気味だったが、やはりこういうのはまだMacの独壇場で、このサイトではvivo形式(.viv)の規格が採用されていた。
 もちろん、こっちもまだ14.4k(!)とか33kモデムとかを使っていて、不安定な通信状態の中、今なら一瞬で落とせる3〜4Mのファイルを何時間もかけてダウンロードしたものだった。このころのプロバイダは基本的に従量課金制だったし、回線も一般の電話回線だったから、コストもそれなりにかかったはずだ。残念ながら落とせなかったファイルもいくつかあったと思う。
 さて、そうやって苦労して手に入れた動画を久しぶりに見てみようと思ったが、全然再生されない。あれから使うパソコンも変わっており、しかもハードディスクは何度もフォーマットしてシステムを入れ替えているので、必要なソフトが無くなっているのである。

 本来ならば自動的にプラグインを引っ張ってきて見られるはずなのだが、開発元のvivo社はもうすでにだいぶ以前にRealAudio社に買収されてしまっている。そういう関係で後にはRealPlayerで再生することが可能になっていたはずなので、RealPlayerでファイルを開けるかやってみた。すると「追加コンポーネントが必要」という表示が出てプラグインをダウンロードに行くのだが、結局それに相当するものがないと拒否されてしまうのだ。
 そこで今度はReal社系のサイトへ行き、vivoプレーヤーを直接ダウンロードしようとしたのだが、「もう開発は止まってるでェ、それでもええんのかいな?」みたいな英語の注が出てきて、それを無視してさらに進んでいきメールアドレス等を登録、さあ落とすぞとという段になって、今度は「適合するActivXコントローラーが無いからダメよ」と蹴っ飛ばされた。
 それで次なる方法は?と考えて、Vectorに行き、使えそうなプレーヤーがないか捜してみた。さすが世の中には奇特な人がいて、村田勝紀さん作の"VivViewer Ver1.00"を見つけることが出来た。これでいけるかと思ったが、やはりエラー。よく読んでみると注書きにVisualBacicのランタイムが必要というようなことが書いてあったので、この辺を手がかりに検索をかけて、いろいろなサイトを回ってみた。
 まず、寿さん作の"Visual Basic 6.0 Service Pack 6 Runtime Set Version.1.32A"をインストールしてみたが、予想通りこれだけではまだダメだ。分かってきたのは、どうやらComDlg32.ocxとVvweb.ocxというActiveXコントローラーが必要らしいということ。ただ前者は一般的なものらしく、後で調べたらすでにVB6ランタイムセットに入っていた。
 問題はVvweb.ocxで、これがどうしても見つからない。たいていのリンク先はすでに無くなっていた。つまりvivoが消滅して、引き継いだRealが配信を停止したために、現状では入手が困難になっているということである。
 一応、手元にある自分のパソコンのバックアップを調べてみたが見つからない。そもそもシステムドライブのバックアップは、いつも一時的にしか残していないのだ。
 こうなると執念で、さらにサイト巡りをしていると、どうも別の名前でアップされているものやcabファイルに梱包されているものもあるらしいことがわかった。その辺を追いかけていったところ、やっとどこかのeduドメインのサイトに置いてあるのを発見! ついに入手に成功したのだ。

 さてそれで、さっそくVvweb.ocxをシテスムフォルダに入れてみると無事にVivViewerが動作した。ただ、VBの関係だと思うがまだ完全動作ではなく、操作中に不審な動作をしたりエラーが出たりする。でもまあ動画を見るだけなら問題ないし、ついでにHTMLに組み込んだ画像も再生するようになったので、(もうないと思うが)今後vivo形式の動画を配信しているサイトでストリーム動画を試聴することも可能なんだと思う。
 インターネットではなんでも手に入れることが出来るという気になっていたが、時代の流れは予想以上に速く、一度失ったものを再び蘇らせるのは大変だということがよくわかった。まあ今回は成功したから良かったが。
 ということで、さらにこの動画を現在使われている形式にエンコード出来るかどうか・・・などというのを調べるのは面倒なので、デスクトップの画面を直接ビデオ出力し、HD/DVDレコーダーに繋げてそのまま録画してしまった。そもそも、ものすごく小さいビデオで画質は悪く、こういう荒っぽいことをしても、いまさら画質の劣化が気になるようなものではない。

 内容は、伝説的な97年の日文ライブと第2回鎌倉夏祭り。それからホームページに掲載されていた「あいさつ」が二本。久しぶりに見て本当に懐かしかったよ。


コメント:
発言者: bachiken
URL:
DATE: 07/25/2005 09:35:20 PM

こんにちは。
私も、むか〜しにダウンロードしたvivoを再生したく思っているのですが、Vvweb.ocxがどうしても見つかりません。よろしければアップしているサイトお教え願えないでしょうか?よろしくお願いします。


コメント:
発言者: いまのまさし
URL: http://homepage2.nifty.com/onami/
DATE: 07/26/2005 09:10:57 AM

bachiken様
 実はいろんなサイトを手当たり次第に回ったので、どこで落としたのか覚えていないのです。
  (^^;7
 ただ、いくつかの検索サイトで"Vvweb.cab"を検索すると意外とヒットしますよ。このファイルを開くと"Vvweb.ocx";が入っています。
 ちょっと調べてみた結果を以下に載せますが、微妙にバージョンの違うものがあるようです。ちなみにぼくが使ったのは1997/7/9付けのものです。

http://www.infase.es/fallas97/vivo/explorer/vvweb.cab

http://www.iicm.edu/hw_mm/data/vivo

http://www.elkhart.net/java/vvweb.cab

 参考にして下さい。


コメント:
発言者: bachiken
URL:
DATE: 07/28/2005 08:07:12 PM

おかげさまで、なんとか再生することが出来ましたv。感謝です。懐かしさに号泣(笑)。しかし、今では考えられないくらいの画質の悪さ^^;


コメント:
発言者: hxrhlnqduu
URL: http://hxrhlnqduu.com
DATE: 08/28/2007 12:28:12 PM

Hello! Good Site! Thanks you! ngkwnwcxxtjlte



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