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2005年6〜8月

05年1〜6月 05年6〜8月 05年8〜11月 06年 07年


発言者: いまのまさし
TITLE: 人生は壁の連続か
CATEGORY: パソコン・インターネット
DATE: 06/20/2005 09:08:07 PM

 このところパソコンの不調が続いたので、各マシンをメンテナンスしてみた。
 その過程で、メインマシンのデータ用のドライブの余裕が無くなってきたこと、同じくメインマシンに記録用DVDドライブがないことなどから使い勝手が悪く感じ、勢いでIDEの200GハードディスクとDVD+-R/RWをツクモインターネットショップで購入。きょう突然時間が空いてしまったのでさっそく組み込んだ。
 ところがハードディスクが128Gしか認識されない。そういえば先日セカンドマシンに組み込んだ160Gも128Gしか認識されていなかった(気づくの遅いって)。実はその前に買った160GのHDがSATAだったため、この問題を見過ごしていたのだった。

 まだあったんだ。ハードディスク容量の壁・・・。

 IDEの場合、128Gの壁があるのだそうで。調べてみたら、Windows2000やXPの場合、レジストリに追記することで対応出来るとのこと。ただその前にWindowsやBIOSがアップデートされていなければならず、結局またまた古いマザーのBIOSを捜しまわることになった。メインマシンはGIGAVITEのGA-7VTXEなのだが、このボード用のBIOSアップデータが公式のサイトに見つからなかったのである。なんか近い型番のでも大丈夫だろうとも思ったが、なにせBIOSである。失敗したら完全に廃棄物と化すのだから慎重に行くしかないと思い直した。
 まあ、今回は早々に謎の(?)中国語サイトに置いてあるのを発見。このデータでGIGAのオマケソフトを使って簡単にBIOSアップデートに成功した。

 まあなんだかんだと、パソコンって言うのはめんどくさいものだ。
 今回もうまく行ったから良かったもんだけど。




発言者: いまのまさし
TITLE: 本当を言うと
CATEGORY: 日記・コラム・つぶやき
DATE: 06/21/2005 11:24:41 AM


 すごく落ち込んでいるのだけれど。


コメント:
発言者: おーくぼ
URL: http://homepage1.nifty.com/y-ohkubo/
DATE: 06/21/2005 12:55:26 PM

こんにちは
僕は、いつも、ちょっとだけ落ち込んでいます。


コメント:
発言者: いまのまさし
URL: http://homepage2.nifty.com/onami/
DATE: 06/22/2005 02:17:04 PM

はげまし、ありがとうございます。

ちょっとした落ち込みが重なると大きな落ち込みになるのか、大きな落ち込みがないときは全く脳天気で過ごせるのか。

そこんとこはよくわからないけど、生きることは基本的に痛苦なことなのではないかと思います。人間にとっては。




発言者: いまのまさし
TITLE: 難しい世の中
ALLOW COMMENTS: 2
CATEGORY: 社会思想
DATE: 06/22/2005 11:00:54 PM

 難しい世の中になった。と思う。
 戦後の日本社会はいろいろあったが、それでも比較的単純な価値観の中で進んできたような気がする。人のものを盗んではいけない。人を殺してはいけない。人をだましてはいけない。どんな人間であれ、誰もが平等で、自由に考え表現出来ることこそ素晴らしい。そうした「あたりまえの常識」が人々の価値観だった。
 いつから、それが「あたりまえの常識」ではなくなったのだろう。

 かつては「弱きを助け強きをくじく」のが正義だった。しかし、今の世の中は強者が正義である。生涯最下層の人生を送った父が、良く口にした言葉は「人間は芦である。弱い弱い芦である」と「正義無き力は圧政である。力無き正義は無力である」だったが、少なくともこれは、力=正義を認めない戦後民主主義の思想であったのだろう。
 しかし、世の中が「リアリズム」一色の世界になり、理想主義が唾棄されるようになって、力を持つものこそリアルであり、リアルなものこそ正義であるということになってしまったのである。

 さて、それは国内的には大量の「負け組」を作りだし、ホームレスを量産した。沖縄に矛盾をすべて転嫁した。そして精神の荒廃を生み出した。
 男の美学、やせ我慢の武士道的美学などかなぐり捨てて、浅ましいとも言えるほど饒舌な貴乃花は、「負けは罪」という現代的価値観の象徴である。もはや「負けるが勝ち」などと、誰も思わない。
 その一方で現在おきているアジア各国との確執もまた、こうした「あさましさ」の故なのであろう。どんなに不況であろうと日本はまだ世界のトップレベルの経済大国である。強いものは自重し謙虚であるべきだ、というのがこれまでの「常識」であったはずなのに、もはやそうした美学はどこにもない。やれ「普通の国家」だとか「言うべきことは言う」とか、自分の力を振りかざし、自分の力を見せつけることに汲々としている。みんなどうしてこんなに追い詰められてしまったのだろう。いや、自分で自分を追い詰めているのだ。多分。

 明治政府は武士道的価値観を、巧みに絶対主義王制を支えるマインドコントロール操作の中に組み込み、日本を強力な帝国主義に作り上げた。しかしそれは同時に「恥」の文化を日本人の心に植え付けることにもなった。
 やがて昭和ファシズムは、「恥」の対象を天皇に限定することで「天皇陛下に対してだけ恥る」という精神教育を徹底し、現在の北朝鮮「王国」の手本を作った。
 その後、時代が自由と民主主義の時代に変わっても、日本的風土の中には、それでもかたくなに恥の文化は残り続けたのである。
 しかし、いよいよ日本は「恥も外聞もない」時代に突入してしまった。それは別の言葉で言えば、精神的余裕のない時代である。そして精神的余裕のない社会には豊かな文化は生まれ得ない。

 はたしてこの不毛の荒野はどこまで続いていくのだろう。




発言者: いまのまさし
TITLE: 理想主義の復権にむけて
ALLOW COMMENTS: 2
CATEGORY: 社会思想
DATE: 06/23/2005 09:59:53 PM

 いろいろなところで発言していることだけれど、ぼくはアンチ・リアリストである。

 昔、「大切なのは結果よりも過程」と言われ、自分もそんなことを人に言ってきた。そのころは実はその意味がわかっておらず、すごく矛盾を感じていた、という話もたぶんどこかで書いている。同じような話で恐縮だが、またこのテーマで一文を書く。
 ぼくのまわりにいるアクティビストたちは、基本的に勝つことを目的にしている。だから勝つために何が必要か、という視点から戦略を練り、戦術を考える。それはまともな志向だし別に批判するつもりは無い。しかし、ぼくにとっては勝つことにそれほど意味は無い。なぜなら、勝つか負けるかはただの結果でしかないからだ。

 かつて革命運動をやっていた人々が、いつか理想を捨てる。そうでないとしても理想を下げて現実に近づける。今そのことの是非は問わないが、なぜそうなるのだろうか。それは革命が実現しないからである。
 さて、歴史の本をひも解いてみれば、たとえば1917年にレーニンがロシア革命に成功したと記述されている。しかし、その当時、実際に革命の現実に立ち会えず、早々に命を落とした無名の革命家も多数いたことだろう。たとえばマルクス主義は20世紀を代表する思想であり、その影響は反対者、追随者とも非常に大きいと書かれているかもしれないが、当のマルクス本人は社会に認められることなくひっそりとこの世を去っている。まして彼自身が革命戦争の銃を握ったことも無い。彼らは結果を知らず人生を終えた。彼ら自身の世界にあっては、革命は永遠に成就しないただの夢でしかなかったのである。
 しかし歴史書の記述は、無名戦士やマルクスをロシア革命やマルクス主義の歴史に位置付けているし、現代の我々はそれを当然のこととして受け止めている。これが歴史というものなのだ。

 歴史を生きた現実の人間にとって、結果はただの紙の上の結果でしかない。なぜなら、それは彼らの人生にいささかの影響も与え得ないから。
 もちろん現実にロシア革命を見た人々も多くいたろうし、マルクス無きあとエンゲルスはマルクス主義が世界に広がっていくのを見ただろう。そうした人々にとっては結果は自分のやってきたことの成果でありリアルな現実であったことだろう。しかし、彼らにしても、その後のソ連崩壊から米国の一極支配体制の中で、革命の結末が完全敗北として終わったことを知る由も無かった。彼ら自身にはこうした負の結末も(幸いなことに)まったく関係が無いのである。

 だから、しょせん、結果はただの結果に過ぎないのだ。勝とうが負けようが、それは結果でしかない。
 そうであるなら、勝つことを目的にするのはむなしいだけだとぼくは思う。そうではなくて、ワタシが「人として生きる」ためになにが必要なのか。何をしたいのか。そのことを基準にして生きていきたいと思うのである。




発言者: いまのまさし
TITLE: 今日もテレビは公務員批判をしているが
ALLOW COMMENTS: 2
CATEGORY: マスコミ批評
CATEGORY: 社会思想
DATE: 06/24/2005 11:52:15 PM

 型にはまった公務員批判はもうやめてほしい。
 もちろん、現在の日本政府や地方公共団体のあまりにもひどい実態は事実であるが、だからと言って、公務員は優遇されているとか、公務員はみんな無能だとかというような批判はするべきでないと思う。
 何度もしつこく言うが、公務員が優遇されているのではなく、民間の労働者が冷遇されすぎているのだ。そのことを理解しない論評は、いわば奴隷の論理に堕する。奴隷が自分のご主人様の懐具合を心配し、私の境遇はこれで仕方ないのだ、同じ奴隷が自分より豊かな生活をするのはゆるさない、と言っているのに等しい。
 たしかに公務員に無能なやつが多いのは事実だが、それじゃ公務員で無い人は優秀なのかと見てみれば、それ以上に無能なやつらばかりではないか。というか、なにをもって優秀というのか。ぼく自身、ある能力においては人より劣っているかもしれないが、何か別のところでは勝っているかもしれない。仕事の能力は単純に生産性だけの問題ではない。サラリーマン映画の三木のり平や植木等、最近では「釣りバカ日記」を見てみるがよい。組織の中では優秀さというものを単純に計れるものではないのだ。

 話が脱線した。

 なぜ人類社会が20世紀に破滅の道をたどり始めたのか。資本主義が地球上の富を食い尽くしたからである。共産主義の理念に従って、共同で生産し平等に配分する社会を目指していたら、現在のような(尋常でない)発展は無かったかもしれないが、少なくとももう少しは破滅の道を回避できた可能性はある。(もちろん、マルクス主義自体が近代主義の呪縛を受けている以上、生産力主義の落とし穴に陥る危険性は否定できないが。)
 私的企業を廃止し、産業をすべて公共機関で行うことができれば、いわばみんなが公務員になり、いわゆる社会主義である。しかし、実を言えば現代社会で「私的」に行われている企業活動は、大きな歴史的視点で見れば、人間社会を成立させるために必要不可欠な経済活動を行っているわけで、その意味では本当は「公的」な活動なのである。
 つまり、本来公的なものを、制度の上でも公的なものにしていく運動が、共産主義運動なのである。

 またまた話が脱線した。

 公務員がうらやましいのなら公務員になればよい。公務員が嫌いなら山の中にでも入って社会と隔絶した暮らしをすればよい。
 ただ批判をするのなら、自分が本当は何を批判し何を求めているのか、ちゃんと理解し自覚していてもらいたい。




発言者: いまのまさし
TITLE: 判断の難しい時代に
ALLOW COMMENTS: 2
CATEGORY: ニュース
CATEGORY: 社会思想
CATEGORY: 経済・政治・国際
DATE: 07/08/2005 03:22:07 AM

 ロンドンで無差別テロが発生した模様である。本当のところはわからないが、イラクにおけるイギリスの軍事行動に対する報復とするヨーロッパアルカイダを名乗る声明が出ているらしい。無差別テロには反対する。とりわけ非支配層でありかつ非戦闘員である人々を傷つけるような方法は絶対に許されない。
 それは恐怖政治の手法であり、理性的な判断を不可能にし、憎しみの連鎖を生み出すものでしかない。当然それは世界中のどこで行われるものであれ認められるものではない。ロンドンのテロはもちろん認められないが、イラクにおけるそれも認め得ない。米英軍がイラク侵攻の際におびただしい数の無差別テロを行ったことに対しても、今改めて糾弾する。
 無差別テロには全く正当化される理由がない。しかしあえて言えば、このテロと同様のことは今現在イラクやその他世界のあちこちで毎日のようにくり返されているのであり、我々はその現実をこの機会に思い出さなくてはならない。現代人はあまりにも他人の痛みに鈍感になりすぎてしまっている。 無差別テロは許されないが、それを生み出す理由もまた存在するのも事実なのである。

 さて、こうしたテロの発生を防止するためには、本質的には経済格差や一元的価値観の押しつけという世界史的な問題を解決するしかないのだが、確かに当面の問題として、実行を阻止する手だてを講じる必要もある。
 だが、現在問題になっている共謀罪の新設は、こうしたテロ抑止策の一環として出されてきたものということになっているが、無差別テロを抑止するために、実行を伴わない「共謀」を罰するというのには、あまりにも大きな飛躍があると言わざるを得ない。これでは全くの治安維持法ではないか。

 さらに人権保護法も問題になっている。基本的には差別を許さないという制度は必要であり、とりわけ差別を受けるのは圧倒的に社会的弱者が多いという実態を見れば、強力な規制力が必要だということは理解出来る。しかし、だからといって令状なしの家宅捜査を認めるというような、これまでの法制度の根幹を揺るがすような法律を安易に作ることはどうかと思う。
 本来的には社会を構成する人々のモラルが一番重要なのだが、インターネット上における無法地帯化の進行を見ると、そんなものを信頼することはもはや無理かとも思える。ぼくはかねてからインターネットにおける匿名性の必要性は認めつつも、発言に責任を取るべきだという立場で発言を続けてきたが、ネットワーカーからの賛同は得られないままだ。

 郵政民有化も難しい問題である。社会的インフラは本来的に公共機関であるべきである。しかし、郵便貯金の資金が無駄に、というより反社会的に垂れ流されているのを放置しておくことも出来ないだろう。だが、それじゃあ民間企業になれば問題が透明化するのかと言えば、そんなことは絶対無いのであって、おそらく問題はますます巧妙に隠されることになる。

 児童ポルノの問題も複雑である。問題が微妙なだけになかなか反論が出づらい状況だが、表現の自由の問題が常について回る。昨今の議論ではマンガにまで規制がかけられようとしているが、そのうちダ・ヴィンチの描いた天使の絵まで「ポルノ」に分類されてしまうのだろうか。その線引きは誰がするのだろうか。そもそも天使は何歳と判断されるのだろう。
 単純所持の禁止条例も一部で始まりかなり踏み込んだ事態になっているが、かつてモデルガンが規制されて黄色く塗ったり、銃口に詰め物をしたりされたけれど、そのことが犯罪の抑止には全くつながらず、そのうち本物の銃器が大量に世の中に出回るようになってしまった歴史を思い出す。

 著作権法の問題もしだいに複雑化しつつある。ファイル交換ソフトを使った一般人に対する損害賠償請求が始まり、ジャズ喫茶などに対しても過酷な著作権料請求が行われている。NHKテレビの大河ドラマに対する黒澤明遺族からの著作権侵害訴訟も未だに決着を見ない。
 確かにクリエイターの立場からは、自分の仕事に対して対価が支払われないことには生きていけないし、仕事として成立しないと言う主張は理解出来る。しかし、ただでさえ下降線をたどる音楽業界にとって、音楽文化の裾野を支える小さな店や個人を潰していけば、ますます音楽文化の衰退を進めるだけではないのだろうか。
 音楽や映像、演劇、文筆などの世界では、ごく一部の超高額所得者と多くの最底辺に生きる人たちとの格差が激しい。このままの構造のままでは、いくら著作権料を確実に確保したとしても、文化全体の向上にはなかなかつながらないのではないだろうか。

 今回は連想ゲームのように、まとまりなく雑多で広範囲の問題を取り上げてしまったけれど、これらの問題はどれも明解にどちらが正しいとは言い切れないもである。
 かつてのような単純明快な社会常識や正義は失われ、主張の正しさと手法の正しさが一致せず、自己利益の追求が社会正義の名目に隠され、力の強いもの、声の大きいものがのし上がり、のし上がったものが正義の総取りを行っている。
 本来であれば、こうした問題は社会全体がトライ&エラーをくり返しながら、社会常識として全体的な合意を得られる線に集約されていくべきものだ。しかし、その前提としての社会構成員相互の信頼感は大きく失われ、みんなが疑心暗鬼に陥っている。これではもはやどうにもならない。

 こうした状況を打開するためには、やはりいくつかの原則が必要だと思う。
 その1、強いものが弱いものに譲歩する。
 その2、人命や健康、環境の問題については救済する方向で議論の前にまず動かし、それから充分な論議をつくす。経済の問題については出来る限り時間をかけ、合意が得られてから行動する。
 その3、最低限、出発点および条件の平等、もしくは結果の平等が確保されること。
 その4、恐怖(暴力、テロ、厳罰、精神的苦痛など)によって相手を規制しないこと。

 とにかくゆっくりやることだ。20世紀に人類はあまりにも急ぎすぎた。経済もテクノロジーも、人間自身がついて行けないほどのスピードと規模になってしまった。
 JR西日本で電車がマンションに激突した事件が象徴的である。通常に使っている交通手段自体が人間の限界を超えた神業的テクニックによって支えられているのである。現代社会は人間の能力を超えてしまったのである。
 人間には人間的なペースがあるのだ。もっと気楽に、もっとのんびりと生きるペースに戻らなければ、人類はストレスによって絶滅するかもしれない。なぜこんなにも人々がピリピリしていなければならないのか。

 自分で自分の首を絞めていくような世界は、もうやめよう。


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TITLE: 共謀罪のトラックバックセンターつくってみました
URL: http://t2.txt-nifty.com/news/2005/07/post_a849.html
BLOG NAME: 踊る新聞屋−。
DATE: 07/12/2005 02:15:15 PM

 う〜む。俺はこういうことやるのは好きでなかったのだが、どんどん方向がずれていくぞ。  「犯罪の国際化及び組織化並びに情報処理の高度化に対処するための刑法等の一




発言者: いまのまさし
TITLE: なぜ右翼は自虐的なのだろう?
ALLOW COMMENTS: 2
CATEGORY: 社会思想
DATE: 08/06/2005 08:46:58 AM

 8月がまたやってきて、ぼくらはまた平和の尊さを考えさせられる。

 広島の原爆慰霊碑の「過ちはくり返しませんから」という碑文を削り取ろうとした若い右翼が、先日出頭したそうだ。この文章の主語があいまいだなどと論評する評論家もいるようだ。
 馬鹿、と言うしかない。

 「過ち」を犯したのは「全人類」である。そんなことすらわからなくなってしまったのだろうか。
 戦争と核兵器という愚かな過ちを犯し、また未だにそれを正すことが出来ないのは、誰でもないワタシであり君であり、そして全ての人々なのだ。だからワタシ自身の問題として戦争と核を廃絶しなければならないのであり、それは自分自身の主体的任務である。そして、それを明文化したものこそ、原爆慰霊碑の言葉であり、日本国憲法なのである。
 こうした思想は極めて高度な文化と言って良い。そして日本の一般大衆は、必ずしも高度な教育を受けずとも、この大変難しい思想を自らの思想として内在化してきたのである。こうした思想を、しかもあらゆる階層の人々が本質的に自分の内に持っているという驚くべき事実は、日本が世界に誇りうることのひとつであると言えよう。

 ところが、である。

 こうした誇るべき日本の思想性を、あろうことか「自虐史観」のごとく言い立て、現在のアメリカ合衆国のような野蛮な大国主義、軍事力主義を喧伝する輩が、昨今目立つようになってきた。
 こういう連中こそ、現在に至る日本のあり方に自信を持てず、尊大・慢心と被害妄想に冒されているのであり、戦後日本のあり方を否定する自虐史観主義者と言わざるを得ない。
 確かに戦後日本は必ずしも褒められたような道を歩んできたわけではない。多くの間違いをしでかし、今もなお間違い続けていることもたくさんある。エコノミックアニマルと呼ばれ、アジアにおける反日感情を沈静化することが出来ずにいる。
 しかし、そうした間違いを乗り越えて日本人を受け入れ評価してくれるアジアや中東、アフリカの人々も多い。それは何故かと言えば、上に書いたような日本の民衆が持つ「哲学」が理解されてきたからである。
 ところが、そうした「親日」感情さえ、現政権の合衆国追随路線の中で、自衛隊を海外派兵し、改憲によって戦争を認めるようになって、一気に失われようとしている。そこにお調子者の馬鹿共が乗っかって、歴史教科書問題に見られるような右翼・民族排外主義的なアジテーションを始めるものだから、事態はますます混乱するのである。

 それにしても、なぜ右翼・民族派は、こんなにみっともないほどの自虐的思考を持っているのだろうか。
 おそらく彼らは、ものすごく強い劣等感にさいなまれているのだと思う。
 アジア諸国が政治問題として日本の責任を追及していることを、「日本人がバカにされている」というメンタルな論理にすり替えるところが、彼らの一番の特徴だ。
 おそらく普通の脈絡で考えれば、日本が再び「大国」化し、明確にアメリカ合衆国の陣営に属しているからこそアジア各国が日本を批判するのであって、バカにしたり軽んじたりするのとは実は反対の現象である。
 右翼・民族派はひとつに、あまりに幼稚な「力の論理」に立っており、「力の強い者が偉く、力の弱い者は従わなくてはならない」と信じているのかもしれない。21世紀の時代とは思えない野蛮な思想だ。これは裏返すと、日本は超大国アメリカに絶対服従しなくては生きていけないというポチ・ナショナリズムの思想基盤であり、弱いと思われたらアジア各国に復讐されてしまうという小心者の恐怖心をあおるものである。
 いずれにせよ、こうした思考は、根源的に「自分は本当は相手より劣っている」と思いこんでいるからこそ成立する思考である。
 だから、右翼・民族派は必死なのである。自分の劣等感からなんとか逃れたくて、逆に攻撃的になるのである。その辺にいる不良少年と同じだ。

 本当に自分に誇りを持ち、自信を持っている人は、もっと余裕を持てるし相手に寛容である。むしろ自分自身に厳しく生きている。誰にどう言われようと自分が正しいと思う道をたんたんと歩いていく。
 ほとんどの日本人民は今現在でも世界に対して寛容であり、狭隘なナショナリズムに縛られているわけではない。
 今我々がこうした生き方に誇りを持って生きていくなら、「愛国心」などと醜悪に怒鳴らなくても、次の世代は自分自身に誇りを持つことが出来るようになるであろう。


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TITLE: 靖国神社と愛国と
URL: http://miyau.cocolog-nifty.com/sozoro/2005/09/post_d5a1.html
BLOG NAME: そぞろ日記
DATE: 09/20/2005 12:38:47 AM

愛国心を声高に叫ぶ輩ほど疑わしいものはない。何かやましいから声高に叫ぶのだ。 し


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TITLE: 靖国神社、お金、票
URL: http://renqing.cocolog-nifty.com/bookjunkie/2005/09/post_0955.html
BLOG NAME: 本に溺れたい
DATE: 10/05/2005 05:15:23 AM

簡単な事実確認だけ。   自由民主党  →  恩給予算 → 平成17年度 121


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TITLE: 靖国神社、お金、票
URL: http://renqing.cocolog-nifty.com/bookjunkie/2005/09/post_0955.html
BLOG NAME: 本に溺れたい
DATE: 10/05/2005 05:15:49 AM

簡単な事実確認だけ。   自由民主党  →  恩給予算 → 平成17年度 121




発言者: いまのまさし
TITLE: 地獄への道は善意で敷き詰められている
ALLOW COMMENTS: 2
CATEGORY: 経済・政治・国際
DATE: 08/10/2005 07:27:23 PM

 なぜ戦争が起きるのか。もちろん単純な問題ではないが、その要因のひとつに「誤解」がある。国内社会においても国際社会においても、庶民の中に様々な誤解が生まれ(もしくは作られ)蓄積されていくという過程が戦争の背景に存在すると思う。

 白井貴子がプロデュースした東京都市区町村の「喫煙マナーアップキャンペーンコンサート」を聴きに行ったところ、林明日香さんが出演していた。16歳とは思えない凄い歌を歌う。今度CDを買ってみようと思うが、まあ、彼女の話題はまた別の機会に譲るとして。

 彼女のブログがあるそうなので、そこを覗いてみた。歌同様に骨太でかつ繊細で感受性の強い真面目なサイトだったが、少し気になる記述(http://blog.goo.ne.jp/renka-blog/e/350c16b445244e3f7ad6a97e76ac42e3)があった。
 P鈴木氏による"パラオでの話"という記事の中で、旧日本軍に対する中国戦線と南方戦線での現地の人々の評価の違いに触れて、「何かが嘘なのだろう」と主張されている。「教育現場の人達に言いたい」「政治団体に利用されるのは今年限りにしなさい」という記述もあるので、同氏は学校で行われているいわゆる反戦教育が、政治的な偏向を受けていると考えておられるのではないかと思う。もし、主旨を間違って捉えていたとしたら申し訳ないが。
 しかし、ここが誤解の始まりなのだ。同氏が書いている他の文章などを読んでみても、同氏が平和主義者であろうことは良く分かるのだが、それだけにこうした誤解が生まれてくることが悲しい。

 本当のところは、「何かが嘘」なのではない。"どちらもが事実"なのである。

 旧日本軍が残虐な行為をしていて欲しくないという気持ちを持つのはもっともだが、どんな時代、どんな軍隊、どんな戦争においても、残虐な行為は行われるのだ。そしてそれを直接行うのは結局現場の兵士である。しかしそんな兵士も、故郷に帰れば平凡な庶民であり、夫であり、父であるのだ。一人の人間が状況に応じて天使にも悪魔にもなる、それが人間なのだ。まあ、これは本当に一般論だが。
 確かに中国でも戦闘行為のない時期と場所があり、日本軍は必ずしもいつも虐殺行為をしていたわけではないが、同時にまた南方戦線において虐殺がなかったとも言えないだろう。というより、よく知られているのは沖縄戦における日本軍の非人間的行為であり、兵隊が一般人を避難壕から追い出したり、泣き声をおそれて赤ん坊を殺し(殺させ)たり、沖縄方言を話す人をスパイとして銃殺したりという話はたくさんある。

 もちろん史実的に見れば、ことはそう単純ではなかったのも事実だ。南方と中国では様々な条件が違っており、日本軍の行動とその後の評価に大きな違いを与える結果になったのである。
 ひとつには軍事作戦が展開された時期の違いである。日本が朝鮮、中国に軍事的干渉を始めたのは明治期からであり、日清、日露の両戦争を通じて日本は台湾、朝鮮、南樺太を植民地にした。その名称から受ける印象とは違ってこの戦争は実質的に朝鮮半島とそれに接する中国領内を戦場にした戦争だった。朝鮮においてはこれからおよそ40年にわたる独立運動が続くことになる。
 一方、南方戦線は基本的に太平洋戦争の開始に伴って拡がったのだから、日本の実行支配はほんの数年しかなかった。しかも日本はイデオロギー的には「大東亜共栄圏」構想を打ち出し、当時太平洋諸国が欧米に侵略されている現実に対して「解放軍」の位置づけで勢力を伸ばしたのである。つまり朝鮮、中国で日本の侵略に対して米ソ等が「解放軍」に位置したのと正反対の関係にあったと言うことだ。
 だから、中国と南方とで日本軍の評価が違うのは当然のことなのである。

 ともかくも、戦後の日本における平和運動、平和教育は特定の人たちが主張するような「自虐史観」とは全く違っている。平和運動は基本的に、戦争を起こした人と要因の全てを批判したのであり、何も日本の旧政府だけを批判しているのではない。
 むしろ平和運動の主眼は過去の戦争の問題よりも、今現在の戦争の問題にあったのであり、朝鮮戦争、ベトナム戦争、湾岸戦争等々の現実の戦争に対して、戦争の第一当事者であるアメリカ合衆国や、その米軍に基地や資金を提供して戦争に協力してきた戦後の日本政府のあり方をこそ問題にしてきたのである。
 だから、自分たちが今どうしたらよいのかを考えるそのために、かつての戦争のあり方を反省し教訓にするべきだという観点から、現代史を掘り起こす作業が進められたと言うのが実際のところである。

 誤解が生じるのは人間社会の宿命である。だからこそ慎重に問題を扱う必要がある。もちろんこの世のどこにも「正しい歴史観」などというものが存在するわけではない。必ずしもいつでも誰かが正しく誰かが誤っているわけではない。
 現在一部にはアジア共通の歴史教科書を作ろうという運動もあるようだ。なんにせよ、もう戦争はしない、アジア各国との友好をどこまでも求め続けていく、という姿勢さえ貫き通していれば、時間がかかっても歴史問題はいつか解決していくだろう。ぼくたちは忍耐強くそのための方向性を模索していくべきだと思う。


コメント:
発言者: コズ
URL: http://blog.coz.chips.jp/
DATE: 08/11/2005 12:26:18 AM

記事を拝見させていただきました。
とても綺麗かつ解りやすい文章で、感銘を受けました。
わたしの拙い文章力では、到底書けない内容ですので
文章の内容をちゃんと理解できていないかもしれませんが
そうそう!そんな風に私も感じます!と
一言だけ(笑)

どんなに大きな戦争でも、それを行うのは個々の「人」であって
1人ひとりの『戦争』の捉え方が違うのだから
大きなうねりの中であっても、流れを変えられるのはやっぱり個々の考えるチカラ。だからこそちゃんと見極めていたい、そう思いました。


コメント:
発言者: コズ
URL: http://blog.coz.chips.jp/
DATE: 08/11/2005 12:26:18 AM

記事を拝見させていただきました。
とても綺麗かつ解りやすい文章で、感銘を受けました。
わたしの拙い文章力では、到底書けない内容ですので
文章の内容をちゃんと理解できていないかもしれませんが
そうそう!そんな風に私も感じます!と
一言だけ(笑)

どんなに大きな戦争でも、それを行うのは個々の「人」であって
1人ひとりの『戦争』の捉え方が違うのだから
大きなうねりの中であっても、流れを変えられるのはやっぱり個々の考えるチカラ。だからこそちゃんと見極めていたい、そう思いました。


コメント:
発言者: いまのまさし
URL: http://homepage2.nifty.com/onami/
DATE: 08/11/2005 08:35:45 AM

コズ様
 コメントありがとうございます。
 ぼくたちは普通に暮らしているだけでも相手を誤解し争ってしまうことがあります。ましてや戦争を回避することはずっと難しいことですが、本当に心の底から同じ人間として平等の立場で認め合うよう努力すれば、どこかに解決の糸口がみえるだろうと思っています。




発言者: いまのまさし
TITLE: プリンタが動きません
CATEGORY: パソコン・インターネット
DATE: 08/10/2005 10:00:18 PM

 管理を任されているパソコンでトラブルが起きた。
 「大人の事情」で、機種などについて詳細に書けないのだが、簡単に言えば、いわゆるBTOで購入した比較的新しいパソコンで、最新型の複合プリンタが使えなくなってしまったのである。印刷が途中で止まってしまう。
 このパソコンは主にデジカメのデータの収納と処理に使っていたのだが、ある日突然印刷が出来なくなってしまった。症状はアプリケーションから印刷を実行するとプリンタ側で紙送りが始まり、文書で言えば数行、画像で言えば数センチ印刷したところでストップ。しばらく待っているとパソコン側に印刷が出来なかったというエラー表示が出て、OKをクリックすると印刷途中の用紙が排出され、パソコン側にはプリンタとの通信が出来ない旨の表示が出る、というもの。
 いろいろなアプリで試したが、画像処理、ワープロ、エディタ、さらにはWindows XP の画像印刷機能も全てダメだった。

 まずはセオリー通りにプリンタドライバの入れ直しをしてみるが、機械に付属していたものも、新たにダウンロードしてきた最新版でも変わらなかった。ただ、どうやらドライバを入れ直した直後の一回だけはうまく行く場合があると言うことがわかった。
 しかたないのでとりあえずWindowsヘルプのトラブルシューティングをはじめから順番に試みたが、これでも解決に到らなかった。CPUもメモリも能力的には十分なのだ。配線も問題ない。
 こうなってくるとプリンタ側のハード的なトラブルである可能性がある。
 はじめに印刷を開始するのだから接続はしているのである。しかし途中でデータの転送が止まる、消える、オーバーフローする等のトラブルが起きると考えるべきだろう。そうなるとプリンタバッファの問題かもしれない。
 そこで複合機を取り外し、メーカーの違う別のインクジェットプリンタをつないでドライバをインストールしてみた。複合機もこのプリンタも、どちらもUSB接続仕様である。しかし、このプリンタでも前の場合と全く同じ症状が出てしまった。

 やはりパソコン側の問題のようである。本来ならここでパラレルポート接続の機種をつないでみたいところなのだが、あいにくそこには相当に古いレーザープリンタしかなかった。調べてみたがそもそもXP用のドライバは用意されていない模様だ。
 次に、ネットで同じような症状の例が無いか検索をかけてみた。一件だけ全く同じと思われる事例を発見したが、解決方法はUSB接続からパラレル接続に変更するというもので、現在のこちらの環境では不可能である。そもそも最近のプリンタでパラレルの機種ってあるのか? 便利なようで不便な世の中だ。

 もう一度パソコン本体に戻って考えてみた。こういう場合、最後に何をやったのかを思い出すことが肝心だ。しかし、このパソコンの場合、ぼくはメンテナンスしているだけで、実際に使用しているユーザーは別の人。しかも、自分が何をやっているのか良く分からないというレベルの人だから(だからぼくが管理しなくてはならないのだ)、事情を聞いてみても要領を得ない。
 しかし、それでも考えてみると最後にハード的に新しいことをしたのは、USB接続のポータブルカードリーダーを新機種に変更したことだと思い出した。というか、デジカメのデータを転送するのならカードリーダーを使った方が便利とユーザーにアドバイスしたのだが、本人がはじめに買った機種が気に入らなかったようで、店に苦情を言って別の機種に取り替えさせたらしいのだ。
 さらに、いよいよパソコン本体をメーカー修理に出さなくてはならないかもしれないと思い、データを外付けHDにコピーしようとした時、別に何でもない画像データがうまく転送出来ず、ファイル名が長すぎるというエラーが出てしまったのだ。何度かやるとエクスプローラー上は転送出来ているのに開こうとするとファイルエラーになるなど、完全におかしくなっていた。このHDもUSB接続である。その時ふと思い出したことに、最近このパソコンでUSBメモリにデータを書き込もうとしたらエラーになって、OSを再起動しなければならなくなるという事件があった。

 USBがらみの問題なのだ。

 こうして経緯を思い出してみれば、やはり件のカードリーダーの相性などの可能性がある。とりあえず、プリンタ以外のUSB機器を外した状態で印刷を実行してみる。成功!
 うまく行くと言うことが分かれば、もうこれ以上の問題追及は実際上意味がないので、ここまでで調整は終了と言うことにした。
 とりあえずもったいないが、外付けHDは当面外し、カードリーダーも必要なときだけ接続して終わったら外すようユーザーに指示した。

 かつて機械系の友人が「史上最も高度な機械は蒸気機関車だ」と言ったことがある。その後の機械文明は小さな機械をユニットとして組み合わせることで複雑な仕事をさせるように進歩したのだという。ひとつひとつの機械は単純な仕事しかしない。
 しかし、こうした機械の複合化は逆にいざという場合に故障箇所の特定をしづらくさせてしまったのだと思う。便利なようで不便な世の中である。




発言者: いまのまさし
TITLE: アジア嫌いって、なぜ?
ALLOW COMMENTS: 2
CATEGORY: 社会思想
CATEGORY: 経済・政治・国際
DATE: 08/12/2005 12:54:04 AM

 「嫌韓流」というマンガが売れているそうだ。先日ちょっとだけ本屋でめくってみた。ぼくの読解力が無いせいか、何が書いてあるかよくわからなかった。
 それにしてもプチナショナリズムかナショナリズムか知らないが、最近やたらと反中国、反朝鮮といった論調が増えている。かつては街宣右翼ならともかく、こうした露骨な反アジア的言動を公然と発言することはタブーだったし、とても下品なことだった。いったい、いつからこんなにザラザラした世の中になったのだろう。

 それはともかく、ぼくに分からないのは、なぜ彼らはアジア人を嫌うのかということだ。本当に分からない。彼らを理解するためには直感では無理。分析が必要だ。

 まず第一にアジア蔑視という問題があるだろう。
 明治政府は近代化に当たって、富国強兵、脱亜入欧、殖産興業といったスローガンを掲げたが、それは当時の西欧列強に互する帝国主義国家への発展を意味した。当然対外膨張政策が採られる。こうした中で、弱いものは劣っており、強いものが支配するのが当然だという思想が強められた。
 たしかに、そりゃーそうなのだが・・・。こういう思想は極めて原始的で野蛮なものと言わねばなるまい。紀元前のお釈迦様の時代から、また西欧文明的にはイエスの教えにおいても、イスラム教でも、権力や富や力というものに一番の価値観を置くことは、非人間的なものだと言っているではないか。
 なんにせよ、こうした政策の延長上にアジア人蔑視の思想は生まれて来たのである。もし現代人でこうした他民族蔑視の思想を持っている人がいるとすれば、これは相当に頭が悪いと言うしかない。そもそも日本人というのはアジアと太平洋諸島のあらゆる人種が混血しているのであって、すくなくとも遺伝や肉体性においてアジア各国の人々と優劣を論じることは、天に向かって唾するようなものなのである。

 第二に被害妄想という側面がある。
 アジア嫌いの人々は、よく国益という言葉を使うけれど、果たして日本の国益はアジア諸国にどれほど侵害され、もしくは剥奪の危機にあるのだろうか。
 確かに、拉致問題や領有権問題など現実にいろいろな問題が存在する。しかし、もしそれを問題にするのであれば、それぞれの問題をそれぞれの国との問題として扱うべきなのであって、一括的に中国・朝鮮などとくくれる問題ではないはずだ。
 日本の富を奪っているものがいるとすれば、それはむしろ米国の方が圧倒的に大きいのであって、経済的にも基地の問題にしても、日本はアメリカによって相当に国益を侵されている。しかし、そうした問題は「アメリカ合衆国が悪い」という論調で語られることは少なく、個別の問題として問題毎に論じられ対応されているのである。
 実際、過去においても、そして現在でも、安い人件費などを利用してアジア各国から利益を得てきたのは日本の方ではないか。

 このことをもう少し深めて考えれば、つまり、アジア各国の力が日本の力に近づくことが許せない、ということなのかと思えてくる。これまで日本はアジア各国から莫大な利益を得てきたが、今度アジア各国が同じことを日本にしようとしたら、そんなことは許さないと言っているのではないだろうか。
 つまり、日本だけが儲かればよいということであって、平等にやろうという思想は全くないのである。ごく普通に考えれば、本当に自由競争で平等に経済活動をすれば、原則的には各自の利潤率は均等化するはずである。すなわち、各国の経済格差が無くなっていく方向で進むのが本来の(?)資本主義経済であるはずだ。
 これまでのアジア経済がそうならなかった要因は、もちろん、日本をはじめとした帝国主義がアジア各国を植民地支配したからに他ならない。各国が独自に経済発展することを妨げ、労働力と物資を帝国主義本国が吸い上げたからである。そのダメージがどれほど大きかったかは、現在に至るまで旧植民地各国の経済が先進国のそれと天と地ほど離れているということに見てとれる。

 もし、健全な自由主義者、資本主義者であれば、こうした不平等な条件で進められる競争は認めないだろうし、少なくともそのハンデとして旧帝国主義諸国が旧植民地諸国に援助を与えることに反対はしないはずだ。(もっとも、ぼく自身は現在の日本のODAは間違っていると思うけれど。)
 自分の国が特権的に優位にいなくてはならないと考えていたら(すなわち国粋主義だ)、国際政治の中で生きていくことは出来ないだろう。平等を嫌う大国主義では国際協調が出来るはずがない。
 拉致問題ひとつとっても、6カ国協議の場で議題にもならないという事態を深刻に受け止めるべきなのだ。なぜ日本が支持されないのか考えるべきだ。
 大国主義をふりかざしている限り、北朝鮮に影響力を持つ中国、韓国、ロシアを味方につけることは出来ないだろう。冷静に見てみれば唯一の頼りと思いべったり寄り添ってきた米国は、最後には日本を見放しているではないか。このままでは孤立していくだけだ。

 感情や感覚というのは自分の育ってきた環境によって自然に生み出されてきたものだから、そう簡単に変えることは出来ない。アジア人蔑視の気持ちを持っている人に、今すぐそれを捨てろと言っても無理だと思う。
 しかし、少なくともそれを表に出すことは、それこそ国益をはなはだしく損なう行為になる。もしどうしてもアジアが嫌いなら心の底で差別していればよい。それでも表面的にでも友好に、紳士的に礼儀正しく接していれば、それはいつか習い性となって、本当に蔑視感情を払拭出来るかもしれないのだ。

 そしてまた、勝ち負けで物事を判断するのは止めることだ。何が何でも発展しなくてはならないという強迫観念を捨てることだ。競争はスポーツや文化の中でやればいいんじゃないのかい。
 立ち止まって、息をつけ。


コメント:
発言者: 地蔵
URL:
DATE: 08/12/2005 03:27:34 AM

論理に一貫性を!
反中、反韓は出てきたけれども反アジアは出てきてない。
貴方が書いているように、「それぞれの問題をそれぞれの国との問題として扱っている。」
反台湾、反フィリピン、反ベトナム・・・・どこにあるのか教えてください。
反米なら以前からずっと語られてきた事でありますよ。

戦後富の源泉は対米輸出にあったのは自明の理。
国防も頼りっぱなし。自主防衛するなら最低3倍の国防費が必要になる。
アメリカから何を搾取されました?アメリカのわがままに付き合って
頭押さえつけられた事による反米ならありましたよね?
高度成長、バブル期のアメリカでの日本叩きはアメリカの富を日本が奪うから起こったのではないですか?

自由で平等な経済活動をすれば富は集中しますよ。


コメント:
発言者: いまのまさし
URL: http://homepage2.nifty.com/onami/
DATE: 08/12/2005 08:57:36 AM

地蔵様
 書き込みありがとうございます。
 申し訳ないと思いますが、お互い短い文章の中でのやりとりですので、ご主旨がよく理解出来ないところもありますので、的はずれになるかもしれませんが、お許し下さい。

1.反台湾、反フィリピン、反ベトナム
 実はそこまで細かく書く必要はないかなと思い外してしまいました。申し訳ありません。反中や反韓・朝鮮に比べるとあまり表に出てこないので(実際にはありますが)、客観的資料を集める余裕がありません。反アジアを反中国や反朝鮮と読み替えていただいても結構です。

2.戦後富の源泉は対米輸出にあったのは自明の理
 確かに対米黒字が大きいのは事実です。しかし、その構造はどうだったのかということを言いたいのです。まず戦争直後の日本「復興」の足がかりは朝鮮特需でした。当然米国の資金が日本に流入したわけですが、その背景では朝鮮半島の人々から富を奪う、支配権の争奪戦があったわけです。
 その後、日本の高度成長と言われる時代が来るのですが、ここで産業構造の変化が始まります。いわゆる新植民地主義といわれる構造が出来てきます。この時代には戦前のような露骨な植民地支配は無くなり、形の上ではアジア、アフリカなどの各国が独立しますが、実態として旧植民地宗主国の傀儡政権が生まれ、軍事力と経済力によって先進国にとって極端に有利な関係性が作られました。資源や労働力を安く買いたたいたのです。
 日本もそうした「買いたたく」側になり、そうした経済構造の中で対米黒字を伸ばしていったのです。

3.自主防衛するなら最低3倍の国防費が必要
 この問題は非常に分かりづらい問題です。果たして国防費というのはどのくらいが適切なのか、防衛というものの考え方によって変わると思います。ぼくの意見としては、合衆国のような軍事力は非常識だと思います。必要であれば、この問題についてはあらためて議論しましょう。

4.自由で平等な経済活動をすれば富は集中しますよ
 集中ではなく分散すると思いますが。良ければ富が集中する根拠をお示しいただけるとありがたいです。

 以上、出来る範囲でお答えしましたが、実を言うとこの記事は某サイトの書き込みに対して思うことがあって書いたもので、あまり一般的ではなかったかもしれません。分かりづらくてすみませんでした。


コメント:
発言者: 地蔵
URL:
DATE: 08/12/2005 12:05:54 PM

整合性は?
貴方は反韓、反中を蔑視とし、反日に対するカウンターパートとしての考慮がなく論理を一気にすっ飛ばしてる。
反アジアを中国、韓国に置き換えると言う事は
第一のアジア蔑視には論拠がないと言う事でよいですか?

第二に
朝鮮特需は景気循環のひとつに過ぎないですよ。
それに軍需に特化した特需のため民生に与えた影響は少ないですよ。
停戦後、民生転換に失敗し倒産と失業者を生みましたが?
>朝鮮半島の人々から富を奪う、支配権の争奪戦があったわけです。
情緒的な思考ですね。
高度成長時代に単純な加工貿易モデルが確立したのであって資源や労働力を安く買い叩いたは
事実誤認です。
産油国カルテルの時代です。オイルショックによる原油高騰で日本はパニックになりました。
労働力の件は海外移転が積極的になったのは1980年代でそれ以前は
消費地主義で先進欧州諸国及びアメリカに工場進出したのでこれも事実誤認です。

高度成長期は裏を返せば東西冷戦期にあたり、ソ連の赤化攻勢と自由主義との戦いです。
民生向上のため自由主義国がODA等による積極的な援助が行われていた時期です。
傀儡政権?とは意味合いが違うと思います。
であったとしたら韓国にいつ日本の傀儡政権が出来たのでしょうか?
インドネシアに親オランダ政権が出来ましたか?
具体例をお示しください。

第三に
合衆国並にしたいなら7%以上必要でしょう。が、日本経済がそれでは
持ちません。
自主防衛及び安保廃棄するなら日本全国にある米軍基地の通常配備分の置き換え位は必要でしょう。
どちらも現実的ではありません。

第四に
集中するからこそODA等特恵を与えて開発援助してるでしょう。
貴方も本文でハンデとしてと書いてるじゃないですか。
先進国が援助分を自国の技術開発、産業振興等にすべて振り向けたら持てる者と持たざる者との
格差は広がるだけです。

最後に・・・・
因果関係が不確かなものを無理やり理由づけて極端な結論を出してるように思われます。


コメント:
発言者: いまのまさし
URL: http://homepage2.nifty.com/onami/
DATE: 08/12/2005 02:44:25 PM

地蔵様
 度々の書き込みありがとうございます。お答えになるかどうか分かりませんが、ぼくの意見を書きます。

1.整合性は?
 この文章は論文ではありませんので、全ての整合性を整えているわけではありません。その意味では申し訳ありません。長いちゃんとした論文を書ければよいのですが、その余裕がありません。
 もし地蔵さんがこの文章において「アジア」と言う言葉が整合性が取れないとお思いでしたら、中国、朝鮮と読み替えて頂いて結構です。この部分の瑕疵については認めます。
 「反日に対するカウンターパート」を必ずしも否定するつもりはありませんが、昨今の風潮を見ますと、どうも正常な外交問題としてアジア(もしくは中朝)問題を捉えている人だけではないと感じています。これは地蔵さんがそうだと言っているわけではありませんのでご注意下さい。

2.朝鮮特需は景気循環のひとつに過ぎない、民生に与えた影響は少ない
 まず、術語の問題になりますが「景気循環」と言う言葉をどういう意味でお使いになっているかが良く分かりません。また、民生に与えた影響も非常に大きかったことは史実として多数意見ではないかと思いますが。小さな町工場などで薬莢を磨く仕事などが随分回っていたと思います。
 
3.朝鮮半島の人々から富を奪う、支配権の争奪戦=情緒的な思考
 情緒的であることが別に悪いことではないと思いますが(笑)。しかしそれはともかく、朝鮮戦争の経緯は、朝鮮の日本からの独立を巡る混乱の中で、当時の米ソ中など利害関係諸国が介入した結果起きたのであって、朝鮮の人々の意向とはズレたところで戦略的拠点としての朝鮮半島の争奪戦であったのは事実です。

4.資源や労働力を安く買い叩いたは事実誤認
 当時の統計資料をしまい込んでしまい、すぐに取り出せないので申し訳ありませんが、70〜80年代にかけて日系企業がアジア諸国に広く展開し、巨大な利益をあげていたことはご存じの通りです。その後それは産業の空洞化と呼ばれるほどにひどくなりました。

5.傀儡政権?とは意味合いが違う
 一番の問題はその国の人たちが望むような政権であったのかどうかです。韓国の傀儡化はイ・スンマン政権以後ノ・ムヒョン政権あたりまでの間であると認識しています。もちろん、それは日本だけの傀儡ではなく、よりリアルに言うならば日米の傀儡だったと思います。

6.第三に合衆国並にしたいなら7%以上必要でしょう
 あえて根拠はお訊きしません。この問題はこの文章の直接の関心事ではありませんし、論議が冗長になると思われますので、もしよかったら地蔵さんの方でどこか論議の場所を用意して頂ければ幸いです。

7.集中するからこそODA等特恵を与えて開発援助してる
 それは読み間違いをされていると思いますが。ぼくが援助について指摘しているのは、過去の植民地支配の結果、大きな格差が生まれてしまったという脈絡で言っているのです。
 そもそも、ぼくの認識では、資本主義、自由主義の基本は自由競争にあると思いますが、この場合、軍事力等を使った経済活動で自由競争が成立するとは思えません。アダム・スミスの有名な「神の見えざる手」によって、原理的な自由競争の下では需給のバランスが取れ、利潤は均衡化する方向に向かいます。従って富は均衡に分散しようとする力が働くわけです。ただし現実の資本主義の世界ではそうした均衡化は必ずしもスムーズに実現するわけではなく、世界恐慌をくり返すことになりますが。
 なお、補足的に申し上げると、植民地化が非植民地国の経済を阻害する要因は、資源や労働力の収奪と言うだけではなく、産業構造そのものがモノカルチャー化するためです。
8.因果関係が不確かなものを無理やり理由づけて極端な結論を出してる
 ご指摘のように、経済論文ではないので、証明の過程が不十分である点はお詫び申し上げます。むしろご指摘のように直感的な文章です。
 ご批判につきましては、いろいろ勉強になりましたが、本当のところ、ぼくの文章の主旨は、アジア(もしくは中・朝)と今後どんな関係を築いていけばよいのかということにあります。悪筆家ですのでなかなか本旨が伝わらず申し訳ありません。
 そういう本質的な点で、地蔵さんは現在の日本の状況に危機感はお感じにならないでしょうか。このままでは日本は孤立していくのではないでしょうか? その点のご意見をお聞かせ頂ければと思います。
 ぼくとしては、どういう考え方の人であれ、考え方をお互いに根源的な方向で掘り下げていけば、どこかに一致点が出てくると思いますし、そこから議論を深めていった方がより生産的だと思います。


コメント:
発言者: rt
URL:
DATE: 09/18/2005 06:52:38 PM

>それにしてもプチナショナリズムかナショナリズムか知らないが、最近やたらと反中国、反朝鮮といった論調が増えている。

そりゃ中朝韓の本性を知れば誰でもそうなる
右も左も関係ないよ。
軽薄な愛国主義者が多いのは良く分かりますが

>まず第一にアジア蔑視という問題があるだろう。

何が「まず」で
何が「第一」
なのか?

アジア蔑視とは関係ない
あんたの言うアジアとは中国と朝鮮半島のみですか?

>たしかに、そりゃーそうなのだが・・・。こういう思想は極めて原始的で野蛮なものと言わねばなるまい。紀元前のお釈迦様の時代から、また西欧文明的にはイエスの教えにおいても、イスラム教でも、権力や富や力というものに一番の価値観を置くことは、非人間的なものだと言っているではないか。
 なんにせよ、こうした政策の延長上にアジア人蔑視の思想は生まれて来たのである。

洋の東西は関係ありません。
力があれば悪用してしまうのが人間の常です
米英仏露中
みんな帝国主義国家ですね。

>もし現代人でこうした他民族蔑視の思想を持っている人がいるとすれば、これは相当に頭が悪いと言うしかない。そもそも日本人というのはアジアと太平洋諸島のあらゆる人種が混血しているのであって、すくなくとも遺伝や肉体性においてアジア各国の人々と優劣を論じることは、天に向かって唾するようなものなのである。

勝手な被害妄想を仮定して論じないで下さい
日本人が他のアジア人種より優れているなんて言う人は見た事がありません

極度の右巻きな人を勝手に全ての日本人に当てはめて「天に向かって唾するようなものなのである」だって?
小学校からやり直してください。

>第二に被害妄想という側面がある。
 アジア嫌いの人々は、よく国益という言葉を使うけれど、果たして日本の国益はアジア諸国にどれほど侵害され、もしくは剥奪の危機にあるのだろうか。

「知らない事は幸せ」だね。
密漁、難民、凶悪犯罪、海賊行為。著作権侵害。不法入国、不法滞在、不正送金、産業スパイ、対日工作、マスコミ政治家への言論弾圧、捏造史観の強要、資源強奪、核の照準、
対日軍拡、漁民の拉致、・・・きりが無いよ。
そして中国朝鮮を一括りに「アジア」呼ばわりするあなたは何者?
はっきり言いましょう。
「国益が剥奪される危機」にあります。

>日本はアメリカによって相当に国益を侵されている。しかし、そうした問題は「アメリカ合衆国が悪い」という論調で語られることは少なく、個別の問題として問題毎に論じられ対応されているのである

真の保守は反米反中反韓・・つまり自国以外は全て仮想敵国です。
一部の阿呆を全てそうであるように騙ってはいけない。

>実際、過去においても、そして現在でも、安い人件費などを利用してアジア各国から利益を得てきたのは日本の方ではないか。

反対にアジア人労働者は高い給料を得てきたのだからお互い様。
資源の無い国はみんなそうしてる。
ぜひ韓国にも「アジアのおかげで発展できた」と言ってください。

>つまり、日本だけが儲かればよいということであって、平等にやろうという思想は全くないのである。

自分が一番かわいいのは何処の国もそうです
日本にだけ聖人君子であらねばならないと言うのは自惚れですね。
当たり前のことを偉そうに騙って善人気取りしたいなら、外国人にでもなればいい。
「世界は腹黒い」
これが事実
そして
中国にゼロサムゲーム外交をやめろと言うべきです

>これまでのアジア経済がそうならなかった要因は、もちろん、日本をはじめとした帝国主義がアジア各国を植民地支配したからに他ならない。

この発言は白雉同然です。
台湾、韓国、満州が発展したのは日本によるものであることは世界の一致した意見です。
恩を仇で返すと言ってもいい。
と言うか日本統治まで朝鮮半島がどれだけ未開だったかご存じない?
あれは奈良時代以下ですよ、本当。

>大国主義をふりかざしている限り、北朝鮮に影響力を持つ中国、韓国、ロシアを味方につけることは出来ないだろう。冷静に見てみれば唯一の頼りと思いべったり寄り添ってきた米国は、最後には日本を見放しているではないか。このままでは孤立していくだけだ。

大国主義とは何ですか?
そんな言葉が日本と何の関係が?
「このまま」では日本は中国の属国になったしまう。

>米国は、最後には日本を見放しているではないか。

現在進行形?
あなたがアメリカの内心が読めるほどの知識を持っているようには思えません。
「見放される」なんて言葉が出てくる事自体
アメリカに甘えているのはリベラル気取りな人たちじゃないでしょうか?
「自主防衛」
したいんでしょう?

>アジア人蔑視の気持ちを持っている人に、今すぐそれを捨てろと言っても無理だと思う。

アジア人蔑視は関係ないでしょう。
嘘吐きを嘘吐きと言うのが「近隣諸国への配慮」に欠ける行為だと?
中国、朝鮮の日本人蔑視を何とかして欲しいですね。
彼らの大部分は本気で日本人を殺したいほど憎んでいますから(捏造史観で)話し合いは望み薄です。

>もしどうしてもアジアが嫌いなら心の底で差別していればよい。それでも表面的にでも友好に、紳士的に礼儀正しく接していれば、それはいつか習い性となって、本当に蔑視感情を払拭出来るかもしれないのだ。

現在までそうして来てますが?
「紳士的に礼儀正しく接していれば」
どんどん付け上がって来ましたよ。
残念!

>本当に蔑視感情を払拭出来るかもしれないのだ。

「かもしれない」
で日本の将来を決めるな!と言いたい。

無知者が分った様に「心の中で差別していれば良い」だなんてハァ?と言いたい。

>そしてまた、勝ち負けで物事を判断するのは止めることだ。何が何でも発展しなくてはならないという強迫観念を捨てることだ。

そんな「判断」ありましたか?
そんな「強迫観念」ありましたか?
大陸のどこかの国に聞かせてやりたいですね
私から言わせれば「新しい価値観で負け犬な自分を慰めたい」だけに聞こえますが。
薄っぺらな知識と思想で「捨てる事だ」「止める事だ」だなんて、啓蒙気取りは止めていただきたい。一人で沈没してください。

>立ち止まって、息をつけ。

立ち止まっているのは貴方の脳みそのようだ


コメント:
発言者: rt
URL:
DATE: 09/18/2005 07:23:47 PM

>紀元前のお釈迦様の時代から、また西欧文明的にはイエスの教えにおいても、イスラム教でも、権力や富や力というものに一番の価値観を置くことは、非人間的なものだと言っているではないか。

そのとうり
ですから近隣諸国の保有する「権力や富や力」が一番に置かれている現状を貴方は批判しなくてはならない。
まあ「他人の知識」を引用しなきゃ説得力を持たせる文を書けない貴方はやはり「無知」だ。
そして事実を隠蔽歪曲してまで中国、朝鮮を擁護しそんな「アジア重視」「ヒューマニズム」な自分に優越感を感じる「偽善者気取り」な貴方は信用には足らない。

> なんにせよ、こうした政策の延長上にアジア人蔑視の思想は生まれて来たのである。

>こうした政策の延長上

帝国主義?

何にも関係ありません。
弱かったから莫迦にされただけ。
ローマ帝国
モンゴル帝国
ペルシャ帝国
中華帝国
何が違うと言うのか?

>なんにせよ、こうした政策の延長上にアジア人蔑視の思想は生まれて来たのである。もし現代人でこうした他民族蔑視の思想を持っている人がいるとすれば、これは相当に頭が悪いと言うしかない。

頭悪そうだねぇ貴方は

それから気になったのは

「〜である」
「〜することだ」
「〜なるまい」
「見て取れる」
「〜かもしれない」

きっと漫画アニメが大好きで
世間の事も大して分らない貴方が
「新聞口調」で世の中を分った気になったかのような発言はとても痛ましいです。
最近多いんですよ
口調だけ真似して大人になったと勘違いしてる輩がね。

いまのさんとやらが
せめて20代半ば以下と思いたいけど
もし30代なら笑えない。
40代なら絶望的。



05年1〜6月 05年6〜8月 05年8〜11月 06年 07年

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