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04年の亭主口上

04/01の
亭主口上

明けましておめでとうございます

年頭言へ

04/02の
亭主口上
 今回もマスコミ操作が行われたような気がする。
 イラク派兵の法案をスピード採決してしまった国会だが、そんなことはお構いなく、マスコミは連日「古賀議員学歴詐称事件」を大々的に報道。結局、法案通過と同時に古賀問題もマスコミ的には終息した。おそらくいつも通りの天皇ネタも用意されていたフシがあるが、今回はそちらは不発だったのだろう。
 一方で派兵反対の運動自体も盛り上がりに欠けているという感が否めない。どうも活動家、団体の内部で意見の不一致があったりしているようだ。確かに反戦と言っても、人それぞれに思っていることは別なわけで、多様性を認め合おうとすればするほど、逆に求心力を失ってしまうというジレンマは、いつになっても解決しようがないのだろう。
 そんな中、ぼく自身も日常が何となく(本当に何となく)落ち着かず、スケジュールを間違えるなどといった単純なミスを連発している始末である。
 今は落ち着いて、かつ真面目に地道にコトを進めることが必要だと分かっているのだが、どうも倦怠感と気ぜわしさが交互に押し寄せるような状況で、なんともいたしかたがない。

04/03の
亭主口上
 いよいよ花粉症の時期に入ったようだ。今年はひょっとすると少し重いかも知れない。頭痛と咳をともなっている。また、そういうときに限ってあれこれといそがしくなり、あまり飲みたくはないが薬に頼っている毎日である。

 さて、先月は自衛隊派兵に関するマスコミ操作について書いたのだが、また大マスコミが露骨な操作をしていることに気付いた。毎日新聞社長拉致監禁事件がそれ。
 本来なら大メディアの社長が利権がらみで誘拐されたら大騒ぎであろうが、世の中は不気味なほどこの話に関心がない。それはそのはずで、毎日新聞は事件の公表をわざわざオウム真理教・麻原彰晃への初判決日に行ったのだ。しかもタイミング良く鳥インフルエンザ隠し事件が起き、人々の耳目はそちらに集中してしまった。
 この問題は「良心的」な毎日新聞が起こしただけに悲しい。しょせんマスコミなどというものはこんなものなのだろう。


04/04の
亭主口上
 おもわず「うそ・・・」と言ってしまいました。もう4月なんですよ。うっそぉー。
 おいおいって感じですね。なにやってんだ>自分。

 今年に入ってから、カレンダーの進み方が異様に速いです。何でなんだろう。困った、本当に困った。


04/05の
亭主口上
 毎年そうなのだが、この時期は精神的に不調になる。今も倦怠感ひどく、あらゆる仕事が停滞中。


04/06の
亭主口上
 スランプ・・・


04/07の
亭主口上
 スーパースランプ・・・

04/08の
亭主口上
  精神的にひどい状態が続いているが、久しぶりに小説を読むようになった。
 実際、若いころに比べると圧倒的に小説を読むことがなくなった。活字はほとんど評論やノンフィクションで、フィクションはテレビ・映画やマンガばかりである。
 これはぼくの性格に関係あるような気がする。神経質なのである。
 わかる人にはわかるだろうが、神経質な人というのは必ずしも生活の全てに対して神経過敏であるわけではない。正直ぼくは自分がずぼらな方だと思う。しかし、あるポイントにおいて非常にデリケートなことがあるのである。ぼくの場合それはたとえば小説の世界に入り込むための状況だったりする。
 ページをめくったらすぐに物語が頭に入ると言うわけではない。その条件は複雑なので一言で言えないが、これは創作に入る条件とも重なっている。スランプが続いているのも実はそのあたりが原因なのだ。


04/09の
亭主口上
 夏バテした。
 こういうことは普段あまり無いのだが、今年は何だか調子が悪い。ある人が「内臓が働いていない感じ」と言っていたが、本当にそういう感じだ。

04/10の
亭主口上
 なんだかバタバタしている。当初の予定とは全然違ってしまった。
 ホームページの改訂も忘れていたくらい。

04/11の
亭主口上
 書きづらいことなのだが。

 おそらく多くの異論があることを承知の上で、しかしなお、どうしても引っかかってしまう部分を書いてみる。イラクで亡くなった香田さんのことである。

 もちろん前提として、自衛隊のイラク派兵がアメリカ合衆国の利益を確保するためにおこなわれたものであり、日本の平和外交の基本理念を踏みにじり、日本人民を危険にさらす結果を生んだことは間違いない。
 しかし、その上でなお、今回の香田さんのイラク入国が正しい判断であったのか疑問が残ると言わざるを得ない。
 彼がどういう善意を持っていたにしろ、これまでの経緯を考えてみれば、イラクの反米勢力が基本的にどのような立場であれ「日本人」に入国して欲しくないというメッセージを発していたのは明白である。私達はそうした現地の人々の声を真摯に受け止める必要があったのではないだろうか。
 もし香田さんがそうした反米勢力と一般の民衆とは違うと考えていたのなら、それは間違いだ。また政治問題や宗教問題から距離を置き、自分にはそれを超越できると考えたのなら、それも間違いである。それを判断し決定するのは第一義的にイラクの民衆自身なのだから。

 ブッシュはイラク国民のため正義を実現すると称して侵略戦争を開始した。こんなことは言いたくないが、日本というアメリカ陣営の国の国籍を持った青年が、善意のためと称してイラクに踏み込んでいくことは、ある意味でこれと同じ独善性を含んでいるのではないだろうか。
 ましてや香田さんはどうもキリスト教徒であるらしいし、イスラエルを経由してイラクに入り、服装も現地の人たちの習慣とは全く違っていたらしい。年若い青年のやったことだとは言え、これでは地元の人たちの感情を逆撫でにしたと言われてもしかたない。
 少なくともこの場合において大切だったのは、自分の価値観を優先させることではなく、相手の価値観を尊重することだったのではなかろうか。

 こうした独善的傾向は、いわゆるノンセクトのインテリ活動家にしばしば見られた傾向で、ひどい言い方をすれば、正しいことは正しいという至極当然の主張でもって他者を切り捨てるというあり方である。こうした発想の源には一神教的世界観から生じた近代合理主義があるのではないかと、ふと思うことがある。

 もし本当にイラクの民衆のことを考えるのであれば、今はイラクに行くのではなく、自分の国の政府の非道な政策を止めさせることに力を尽くすべきではないだろうか。
 香田さんがそうだというのではないが、もし「自分探し」のためにだけならば、そういう人はイラクへ行くべきではない。

 末筆ながら(もしキリスト者の宗教観と違っていたら申し訳ないが日本的な表現として)香田さんのご冥福を祈る。

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