LAST UPDATE TOP>JUNK王国>プロジェクト×>OSインスト決死禄・エピローグ |
サイトマップ |
エピローグ今回Ubuntuをインストールしようとして四苦八苦した(している?)わけだが、この作業をしていて、ずっと以前、初めて32bit機を自分で買い、Windows 95 にさんざん苦労させられた頃のことを思い出していた。あの頃はもちろん簡単に繋げるインターネット環境も無く、書籍もほんの上っ面だけしか書いていない入門書か、MS-DOSの知識を前提にした呪文だらけの解説書しか見あたらず、ここをこうしたいと言う初心者の疑問はどこにも持って行きようがなかった。現在のLinuxやUbuntuを導入しようとしている初心者も、それに似たような環境に置かれているようだ。インターネットは発達し、大量の情報があふれてはいるが、なかなか痒いところに手が届かない。近いところまでは行っていると思うのだが、そこが初心者の悲しいところで応用が利かないのだ。 多くのディストリビューションが並立し、それだけ情報が複雑で初心者が混乱してしまうのもその理由の一つだし、また他にも、LinuxがなんでもGUIで出来るという風になっておらず、呪文=コマンドを憶えて打ち込んでいかなくてはならない部分が相当あるという事情もあると思う。これはWindows 95 が登場した当時、パソコンの世界は基本的にDOSの世界で、Windowsを使うためにMS-DOSの知識が求められた状況と似ている感じがする。 入門者にとっては直感的にストレス無く扱えるということが重要だ。 ぼくも往々にしてそうなのだが、少し先を行っている者は、自分はそれなりに苦労を重ねて来たという気持ちがある。だから後から来る者が、ほんとに低い敷居のところでつまずいているのを見ると、もうちょっと自分で努力しろよと言いたくなってしまう。 だが、入門者もしくは入門候補者に対して、初めから努力しろと言うのは無理なのだ。普通の日常生活の中でも、知らない店のドアを開けるのには勇気がいる。そのドアがガラス戸で出来ていて外から中がよく見えていたとしても、やはり初めてというのは気後れしたり、面倒であったりするものだ。それと同じで、電脳世界でも新しい技術の扉の前で人は躊躇するし、ためらったあげく立ち去ってしまうことも多いのだと思う。まず最初に気軽に試すことが出来ないとその先に進むことは難しい。試しに触ってみた結果これは使えるぞと思って、初めてそれを使う方法を学ぶ気になれるのだ。 学ばなくては使えないが、使う気にならなければ学ばない。タマゴが先かニワトリが先か。 そもそも、多くの人々はパソコンを活用したいと思っている初心者であって、パソコンを理解したいと思っている初心者ではないのである。もちろん、こういう初心者がやっかいな存在であることも、よくよく分かってはいるのだが、特に莫大な利潤を生むことがないであろうLinuxの分野では、「買ってもらうため」にズブの素人でも扱えるシステムが急速に発達するなどということは考えづらい。そうなるとLinuxの周辺には「永遠の初心者」が大量に滞留し続けることになるのかもしれない。もちろん事実としてはWindows の方にケタ違いの「永遠の初心者」が存在しているわけだが、ある意味、それはカネの力で解決されているのである。 Linuxの世界において「永遠の初心者」の存在に対応することができるのは、良くも悪くも営利企業ではなく、先行する人々の「善意」だけなので、結局Linuxが発展していくためにはWindowsやMacよりもずっと多く先行者によるサポートが求められることになる。実はこのことを人々がどうとらえるかが重要で、それが案外、未来の電脳世界さらには現実世界のあり方を決める因子になるのかもしれない、何かそんな気がするのである。 こうしてみると、Windowsで莫大な富を築いたビル=ゲイツ、そしてその対極に無償のUbuntuに多額の私財を投じてきたマーク=シャトルワースが存在するという構図は、とても興味深い。Ubuntuがもし万一Windowsに勝つことがあるとしたら、それはカネの力に対してウブントゥ(他者への思いやり)が勝つということなのかもしれず、そんな風に想像することも、なかなか楽しいのである。 |
2009/9/4 |