「おつかれさま」

いまのまさし(JUNK-O)

 その日、起き抜けにテレビをつけると、どこかの局で特別報道番組をやっていた。第二次世界大戦後、ずっと続いていた中東地域の敵対国同士が、突然、無条件完全の和平合意を果たしたのだという。まさに、青天の霹靂であった。
 もっとも、僕が目を覚ますのは、だいたい昼近くなってからだから、世の中ではもう朝から騒いでいたのだろう。
 僕は、いわゆるフリーターで、と言えば聞こえはいいが、ようするに不況で若年リストラに遭い、バイトをしながら次の勤め口をさがしている、二十七歳独身、貯金三十八万三千四円、美青年(水虫付)である。
 万年布団の上をどたどた横切り、冷蔵庫から缶コーラを取り出していると、テレビは「引き続きニュースをお伝えします」と言って、さっきと同じアナウンサーが、「本日午前の閣議で内閣は……」と始めた。
「政府は、失業率の上昇に対処するため、希望する人全員を国家公務員として採用する方針を固めました。」
 なにっ?
 希望する全員だって!
 耳を疑う僕だった。

 バイト先でも、話題は、この際公務員になった方がいいかどうかで盛り上がり、皆、なんとなくそわそわした気分だった。
 夜、僕は先輩の下宿を訪ねた。先輩はシナリオ・ライター、と言えば聞こえはいいが、怪しげな自販機雑誌に怪しげなでっち上げ手記を書き散らしたりしている、三十二歳独身、推定所持金一万七千五百円、アル中(無精髭付)である。
 区画整理からぴったりとはずれてしまった四車線道路沿いの木造二階建てアパート、その西向きの二階が、先輩の部屋だった。「むさ苦しい」というのを造形アートにすれば、これこそまさにそのものだと思わせる六畳間で、先輩は缶ビールをすすりながらテレビを見ていた。
「これって、やっぱり選挙に向けた空約束の公約なんでしょうか。」
 先輩は、じっとテレビを見たまま、うーむと重たくうなっただけだった。
 テレビでは、万年最下位球団が、奇跡の連勝をおこしていた。相手側の常勝チームも、試合は負けたが各個人記録は着実に伸ばしていて、野球場を埋めた観客はウェーブを作って大喜びしていた。

 翌日、ニュースの話題は、時効がせまっていた凶悪連続殺人事件の容疑者の電撃逮捕に集中した。捜査員の汗と涙の苦労話が、新聞紙上に大きなスペースを割いて掲載された。
 同じ社会面の隅の方には、ベタ記事で、どこかの国で多くの人が一斉に恐竜を目撃したという噂が、おもしろおかしく取り上げられていた。

 さらに数日間、世界中で和平合意や難事件の解決が続き、また、キリストを見たとか、ナポレオンや西郷隆盛が歩いてるのを見たなどという話が、次々と報道されては忘れられていった。
 政治評論家や心理学者、社会学者達はマスコミの売れっ子となって、あれこれと好き勝手な解説をして回り、景気も上向き、なにやら街行く人々の顔にも、笑顔が多くなってきたように見えた。
 僕が再び夜中に先輩の下宿を訪ねると、しかし、先輩は相も変わらず重苦しい顔で、ビールをすすっているのだった。
「バイト先で、正社員に雇ってもいいって言ってくれてるんですけど、公務員になるのとどっちがいいんでしょうかねぇ。」
 先輩は、ごろんと仰向けになって、好きにしろよとつぶやいた。
「どうせ、もうそろそろだ。」
「何ですよぉ、何が、もうそろそろなんですか?」
 先輩は、がばと身体を起こして、僕の目をにらんで言った。
「お前、これが解んないのか? 全ての事件が大団円、主要キャストの紹介カットも流れ初めてるんだぞ。もうすぐ……」
 その時、外の道路で人々が騒ぐのが聞こえた。
 ぼくは、窓から顔を出してみた。大勢の人が歩道に集まって、空を指さしたりして、興奮している。僕もおもわず空を見た。
 夜空をおおって浮かんでいたのは、巨大なエンドマーク。
 プシュッ、先輩がもう一本缶ビールを開ける音が聞こえた。

(了)

(Creative Synapse 1998.7.12版)