「Happy Xmas (War Is Over)」

いまのまさし


  乾きても乾きてもなお降り注ぐ冬の世界にレノン優しく


 57秒。
 58秒。
 59秒。
 標準時12月24日19時00秒。

 Dickはいつものように時刻のチェックを続けていた。ただ彼は、12月24日の19時ちょうどという時刻には特別な意味がある事にすぐ気づいたので、サイコロを振るった。
 とは言え、彼は本物のサイコロを転がしたわけではない。彼はサイコロを持っていなかったし、第一、サイを振ることのできる腕も持っていなかった。
 実際に彼がやったのは、乱数を発生させて、そこにある定数を掛け、出力された結果の中から、ある桁の数値を抜き出すということだった。Dickはコンピューターだったのである。
 次にDickは求められた答えと、プログラムに指定されている数値を比較してみた。一致する数値が発見された。当たり。今年のイヴは何年かに一回出る当たりになったのだ。
 しかし、Dickはあわてずに(もっとも、ここまでの処理に要した時間は千分の一秒に満たなかったが)、艦内の状況をチェックした。艦内に非常事態が起きているときは、いくら「当たり」でも無視されなくてはならない。

 そう、Dickは超大型宇宙艦のメイン・コンピューターだったのだ。
 1万人の乗組員が相当の長期間に渡って生活していける完全循環型の環境を有した宇宙艦、と言えばその大きさが解るだろうか。それは宇宙艦船というよりは、むしろ可動式の宇宙都市と言った方がよいかもしれない。
 この宇宙艦はかつて、外宇宙の調査探索用に開発された。しかし、太陽系内で大きな戦乱が起きると、迫害され戦火に追われた人々の脱出のために転用されることになったのである。彼らの大半はなんの力も持たない一般の民間人であったので、戦い続けるどの勢力も彼らを積極的に保護しようとはしなかったし、全面戦争の時代ではどこにも隠れる場所はなかった。彼らは決断した。太陽系外に逃れていこうと。
 こうして難民船は、新天地を目指す開拓船として、外宇宙を目指して果てしなく遠い旅に出発したのだった。

 オール・グリーン!
 Dickが認識する限り、艦内に異状を示す兆候はなかった。宇宙艦は通常航行中であった。もっとも、老朽化した宇宙艦は、いくつかのシステムがすでに稼働しなくなっており、回路が切断されていたのだけれど。
 もちろんDickに認識できない以上、それは問題になり得なかった。彼はプログラムに従い「クリスマス・イベント」ルーチンに入った。
 Dickのメイン・プログラムを組んだ人物は、ユーモアのセンスを持ち合わせており、なによりも敬虔なキリスト教徒であった。茶目っ気を出して、クリスマス・イヴの晩になると、ある確率でアトランダムにコンピューターが勝手にささやかな祝祭を行うようなルーチンを、プログラムに仕込んだのである。
 Dickはまず、居住区画で特に混乱が生じないと考えられる場所を選んで、照明を15パーセント落とした。人々が「あれっ」と思う程度である。続いて、非常照明用のスポットライトを一斉に点滅させる。イルミネーションの代わりだ。
 続いて、艦内放送に回路を開く。年輩の落ち着いた男性の声になるように音声を合成し、メッセージを出力する。
「みなさん。メリークリスマス! そして新年おめでとう! 私たちは大きな試練を受け、苦しい旅を続けています。しかし、はるかな昔、モーセ達は一致団結して困難な出エジプトの旅を達成しました。そして今、私たちの旅は、戦乱や迫害や差別や抑圧の無い、新しい社会を創造する長い道のりの第一歩として、開始されたのです。
「どうか、みなさん、互いに愛し合い励まし合いながら、協力して、この宇宙規模の移住を、エデンの楽園を見つける旅を成功させましょう。
「みなさんに、神のご加護がありますように。」
 言葉は、もちろんインプットされたとおりのものだったが、このメッセージには、プログラマーのかすかな危惧が表れてもいた。
 事実、この旅が始まって数年のうちに、艦内ではいくつかのいさかいが起きていた。
 目指すべき方向、限りのある生活物資の分配方法、意志決定のシステムなど、問題はたくさんあった。ひとたびそうした問題が生じると、それはなぜか本質的な問題点からそれはじめ、人種・習慣・宗教・イデオロギーなどの問題にすり替えられていってしまうのだった。
 いつの間にか、なんとか主導権を握り、艦内を安全に管理しようとする人々や、自分たちは抑圧されていると感じる人達が発生していった。

 Dickは続いて、再度「サイコロを振って」データバンクから、一曲の歌を選び出し、艦内放送に出力した。
 それはとても古い歌だった。ナイーブな声の男性の歌で始まり、やがて素人のような女性の声、子供達のコーラスが続いた。
 歌は、「世の中にはいろいろ問題があるよ、でも今日はクリスマスを祝おう、ねえ、そろそろ争いはやめないかい?」と呼びかけていた。
 曲が終わると、Dickは居住区画の照明を元に戻し、プログラムのメイン・ルーチンに戻った。すぐに、もう何事もなかったかのように生真面目に通常の監視作業に専念した。
 19時09分30秒。31秒。32秒。
 艦内標準時は、航行の加速の影響などもあって、今や、地球の標準時とはなんの関連も持っていなかったのだけれど。

 艦内は、再び静寂に包まれた。もはや何の音もなかった。ずいぶん以前に、乗り組んだ人々の間の対立は極限にまで高まり、武器・兵器を使うほどの争いにまで発展した。誰かが致死性のガスを艦内に散布した。その真意はもはや解らない。ただ、誰一人ガスマスクにも解毒剤にも間に合う者はいなかった。

 宇宙艦は、すでに未知の星系にさしかかっていた。人類がまだ見たことのない、驚異的な星々の壮大なパノラマが、宇宙艦の全周囲に広がっていた。もし、それを見ることの出来た人がいたら、宇宙最大のクリスマス・デコレーションだと感じたかも知れないほどの。
 宇宙艦は、音のない星の祝祭の中を、深宇宙へ向かって、厳かに落ちていく。


  水々と輝く星に照り返り宇宙機もまた星の一粒