「廃村にて」

ウィットを教えてくれた星新一氏に捧ぐ

 いまのまさし

 先ほどまで、かやぶき屋根を濡らして降っていた雨が止んだ。
 僕は、フレーミングを考えながら、カメラのファインダーをのぞいたまま歩いていた。幸い、道路は舗装されている。軽トラックやトラクターを走りやすくするためだろう。しかし、一歩、脇道や農家の敷地内に入ると、たちまちぬかるんで、履いていた長靴はすぐにどろどろになってしまう。
 僕と、同じゼミのクラスメートである三葉のふたりは、この梅雨の真っ最中に、山奥のとある廃村にいた。写真を撮りに来たのだ。……まあ、少なくとも、僕は。
 大学で写真部に所属している僕は、恒例の夏の展覧会を目前にして、どうにも、良いモチーフが見つからず困っていた。そんなところへ、三葉がこの村のことを教えてくれたのだ。
 三葉は、ぼくの知り合いの中でも一番の変人で、どこで調べてくるのか、訳のわからない情報をいろいろ知っていた。カルトで、キッチュで、ついでにカウチポテトな奴だった。
 もうすぐダムの湖底に沈む村がある、住民は全員移転した後だ。「どや? そういうの」と、彼は頼みもしないのに、情報を「売り込み」に来た。
 とにかく、せっぱ詰まっていた僕は、ふと魔が差して、それを「買う」気になってしまった。
 交換条件は、彼が現場に同行するための費用を、半分負担すること。(駅からはタクシーを使ってくるので、貧乏学生には、これが結構きついわけで。)
 ようするに、彼は、自分がここに来たかっただけだったのだけれど。
 とは言え、実際にやって来てみれば、期待に違わず、ここに、僕の創作意欲をかき立てるものがあったのは事実である。
 村には、人々の生活のぬくもりが、まだそのまま残っている。にもかかわらず、すでに荒廃の臭いは強く漂い、いたるところで、典型的に田舎臭い風景と、うち捨てられた、まだ真新しい今日的なデザインの家電類が、妙なミスマッチを作り出していた。そこに、降っては止む陰鬱な梅雨の雨が重なって、自分の技量さえ考えなければ、こりゃ絶対に、「現代を鮮やかに切り取る」傑作が撮れるに違いないと、感じさせるものがあったのである。
 僕は、雨よけのポリ袋でぐるぐる巻きにした、自分にとって唯一の財産であるニコンのシャッターを、夢中で押し続けた。
 一方、三葉は、安物のポケットカメラで、時々風景を撮しながら、廃屋になった家に上がり込んでは、なにかごそごそと、残された家具類をあさっていた。一度などは、大昔のテレビアニメの「ソノシート」(!)を大量に見つけ出して、太った体を揺らしながら、嬉々として自分のザックの中に詰め込んでいた。その姿に、ぼくは、死肉をついばむハゲタカを連想せざるを得なかった。
 それは、ちょうど僕が、路肩の生け垣からしたたる雨粒に、ピントを合わせていたときだった。突然、ぼくの脇腹のあたりに、何か大きくて柔らかいものが、激しく衝突してきたのだ。
 不意をつかれて、僕はバランスを失い、道路に転がった。カメラをぶつけないように守るのが精一杯だった。
 驚いて、顔を上げると、僕の脇には、一人の子供がしりもちをついて、わんわん泣いていた。
「おーい。三葉ぁ。ちょっと来てくれぇっ。」
 僕は怒鳴った。
「どないしたん?」
 生け垣の裏側から、声が返ってきた。
「ちょっと、こっちへ来てくれ。……俺、子供、苦手なんだ。」

「うーん、まだ、移転すんでない家が、残ってたんやなぁ。」
 推定年齢六歳の子供を前にして、三葉がうなった。
「君、家はどこ?」
 子供は、髪をきれいにおかっぱに切りそろえていて、けっこう高そうな、たぶんレインウェアなのだろう、金属的な光沢のある派手な色使いの服を着ていた。性別はちょっと不明。どうも、泣きながら走っていたので、ぼくに気づかずぶつかってきたようだ。
 その子は、何か言っているのだが、泣きやんでいないこともあって、僕にも、三葉にも、よく聞き取れなかった。
「ッカイ、ツネ……、ッドリィ……ヌキ」
「えっ、何? もっかい言ってみ。」
「アカイキツネト、ミドリノタヌキ……」
 僕たちは顔を見合わせた。
「今、『赤い狐と緑の狸』って言ったよな。」
「ああ、そう聞こえたな。でも何や、妙な訛りがあって良うわからんわ。」
「もしかしたら、腹減らしてんのかなぁ。でも、カップ麺なんか、下の町まで降りてかないと売ってないし。」
「いや、俺、持ってるよ。」
「え?」
 三葉は自分のザックをごそごそと探ると、ミニサイズのカップ麺を取り出した。
「お前……。」
「俺、旅行するときは、必ずこれ持ってくるの。いつ腹が減るかわからんやろ。でも、狐の方しかないよ。」
 僕は、すっかりあきれた。
「お湯は、どうすんの?」
「んーっ……、それは、これから考える。」
 子供が、また一段と、声を張り上げた。そして、三葉が差し出した「赤い狐」のミニカップを、右手で思いっきり、はねとばした。
「おっ! 何するねん。」
 三葉は、慌ててカップを拾い上げた。
 その三葉に、その子供は、いつの間に手にしたのか、一見「光線銃」のようなものの銃口を向けていた。
「あれ、ようできてるな。そんなん、どっから出したん。」
 三葉も、僕も、思わず笑顔になった。子供の無邪気さが可愛い。
 その上、三葉はこういう玩具に目がなかった。よく見てみようとしたのだろう、子供の方に一歩踏み出した。
 その子は、涙を目尻に残したまま、キッと三葉を睨み付け、そしていきなり、引き金をぐいと引いた。
 バリバリと激しい空電音が響き、閃光が走った。
 呆然と立ちつくす三葉の周囲に、いくつもの火柱と煙が上がった。
「お、おい……。」
「……本物だ。」
「アカイキツネト、ミドリノタヌキノウチッ。」
 子供は、毅然として、叫んだ。
 三葉が、ヘタリと、濡れたアスファルトの上に座り込んだ。

 判然とはしなかったが、どうやら、その子の要求は、「赤い狐と緑の狸の家」へ自分を連れて行け、ということらしいと解ってきた。
 子供はしっかり、自分の立場が優位になったことを理解していて、もう泣きもせず、上機嫌だった。
 例の「光線銃」は、服の袖にホルスターがついているらしく、するするとしまい込まれたまま、もうどこにあるのか、外から見てもわからなかった。
 恐ろしい武器で自分たちを脅迫する六歳(推定)の子供の手を引いて、人気のない村の中を歩いているというのは、実に奇妙な気分だった。
「それにしても、『赤い狐と緑の狸の家』っていうのは、なんなんだ。」
「そやな。普通に考えれば、食料品店とか雑貨屋、コンビニなんか、カップ麺を置いておる家やないかと思うわな。」
「そんなの、どうやって探す?」
「ま、たいてい、そういう店は、人通りの多いところにあるな。」
「人通りって言ったって。」
 廃村の中は、しんと静まり返り、何の物音もしなかった。
「いやいや、こういうところでは、バス停の前が一番の繁華街なんや。だいたい、そういうところに雑貨屋とかがあるはずや。」
「バス停ね。いや、バス停の周りには、何にもなかったぞ。」
 朝、僕たちを乗せてきたタクシーの運転手と、夕方迎えに来てもらう打ち合わせをしたとき、バス停跡で待ち合わせるということなった。もう路線バスは廃止されていたが、集落に一つだけあったバス停の標識だけは、撤去されずに残されていた。運ちゃんはわざわざ一度バス停前に車を止めて、ここですからと念を押したのだった。
「あのまわりには、確か、ちっちゃな鳥居とかがあっただけで、他は雑木林と畑しかなかったよ。」
「ううむ、そうか。……そやっ、それなら。」
「なんだ。」
「赤井キツネさんと、緑野タヌキさんが同居している家。」
「……。」
「まあ、そんな顔すな。うーん、何かの暗号かもしれんなぁ。」
 三葉は、ポケットから、手帳とボールペンを取り出して、なにやらしばらく書いていたが、うれしそうに顔をあげた。
「どや、これは。簡単なアナグラムや。」
 三葉は、手帳のページを破って、僕によこした。
「アナグラム?」
「綴り換えのことや。『赤い狐と緑の狸』をローマ字で書いて、そのアルファベットを入れ替える。」
 破れたページには、まず、

AKAI KITUNE TO MIDORI NO TANUKI

 と書いてあって、次の行には、

DOI MITUO NO UTI KARA KITA NIKEN

 と、書かれていた。
 ぼくはアルファベットを一文字ずつ目で追ってみた。確かに文字はきれいに並べ替えられている。
「『土井ミツオの家から北二軒』。土井ミツオという人の家の、北側へ二軒目の家が、その目的の場所や。」
「ホントかよ。」
「……さあ、どやろな。」
「おい、おい。」
「とにかく、表札をよう見て歩きいな。」
 疲れがどっと出る。
「それにしても。」
「なんや。」
「ようするに、この子は、ただの迷子なんだよな。」
「ああ。ただ、人殺しの道具を隠し持っただけのな。」
 ふたりは、どちらともなくため息をついた。
 それがわかったのかどうか、子供が可愛らしく、うふふと笑った。

 当然ながら、というか、そうそう都合のいい表札は、見つかるはずもなかった。
 三葉は、ひょこひょこ駆け回っては、無人の農家の軒先に入り込んで、表札を見て回っていた。この子のそばにはあまりいたくないらしい。
 僕は、子供の手を取りながら、ゆっくりと村の中を歩いていった。
 ふとなにげなく顔を向けたとき、ある庭先に、小さな小屋のようなものがあるのが目に入った。
 通り過ぎながら、今のは何だったのかなぁとぼんやり考えていたが、あっと気づいたことがあった。
 僕は、子供を引きずるようにして、今来た道を駆け戻り、庭先に入っていった。
 思った通りだ。
「おーい! 三葉! わかったぞぉ!」
 その大声に、三葉が駆けつけてきた。
「何がわかった。」
「これだ。よく見てみろ。」
「なんや、これは、祠みたいやなぁ。あっ。」
 そう、この庭先にあったのは、小さな祠。お稲荷さんだった。
 祠の中には、狐の像がまつられていた。よく見れば、祠の前には、小さな鳥居も立っているではないか。
「この村は、稲荷信仰が強いんだ。よく見てみると、こういう祠を建ててる家はけっこうあるぞ。」
「それじゃあ、赤いキツネって言うんは……。」
「たぶん、朱塗りの狐を祭ってある家があるんだ。」
「よしっ、探してみよう。」
 三葉は再び駆け出していった。
 僕と子供が、何軒かの家を見ている内に、彼は、早くも、目的の家を探し当てた。
「こっちや! 来てみい。」
 僕たちは、三葉の声を頼りに、一軒の農家の庭先に入っていった。
 三葉は、にこにこしながら、僕たちを待ちかまえていた。
「これや。」
 彼の前には、小さな祠があった。僕は、子供の手を離して、そこに駆け寄り、中を覗き込んだ。確かにそこには、朱に塗られた狐が、鎮座ましましていた。
「でも、『緑の狸』ってのは?」
「あれや。」
 三葉が指さす先は、庭の一隅で、何本もの庭木が植えられていた。ちょっと暗くて、初めはよくわからなかったが、よくよく見てみると、そこには相当に古い、信楽焼の狸の焼き物が置いてある。
 狸の表面は、半ば苔におおわれて、まさに「緑」だった。
 子供は、すでに記憶がよみがえったらしく、屋敷を回り込んで、どたどたと裏側の方に駆けて行くところだった。
 僕たちもつられて、その後に続く。
 広い庭と、縁側があった。
 子供は、縁側の上へ駆けあがって行った。靴を脱いだようには見えなかったのが、ちょっと不思議だったが。
 そこに僕たちが見たのは、思い思いの恰好をしながら、何か興奮気味にしゃべりあっている十数人の人間だった。年齢も性別もバラバラ。その言葉は、なんとなく日本語のようにも思えたが、よく意味の解らない、不思議な言葉だった。
 皆、あの子供と同じ様な、金属光沢のある服を着ていた。
 縁側に続く畳敷きの部屋の奥から、一人の中年女性が飛び出してきて、走り込んでいった子供を抱き止めたのが見えた。
 次の瞬間には、その女性は、(何を言っているのかは良く聞き取れなかったが)強い口調で、子供を叱り始めたようだった。
 と、子供が、僕たちの方を向いて指さしたものだから、そこにいた人々の視線が、全部、こちらに向けられた。
 ぴたり、と、話し声が止んだ。緊迫した空気が、ぐっと流れて来るのがわかった。
「何となく、ヤバいんとちゃう?」
「これって、もしかしたら、蛇頭が手引きした密入国者の集団かも……」
 僕たちは、無意識のうちに、じりじりと後ずさりしていた。
 その時、奥の方から、人々をかき分けて、一人の男がゆっくりと前に出てきた。
 その男は、ごく普通の背広を着て、にこにこと笑っていた。
「いやぁ、とんだところを見られてしまいましたなぁ! や、ま、どうぞ、どうぞ、遠慮なさらず、こちらへお上がり下さい。」
 その男の言葉と笑顔に、何か魔法をかけられたかのように、僕たちは、ふらふらと、縁側に引き寄せられていった。まるで蛇に睨まれた蛙だった。
「ほぉ、あなた方は、靴を履いてるんですね。じゃ、そこらに脱いどいて下さい。いや、なにね、ここにいる人達は、一種の力場を発生させて、直接地面に足を接触させない方式を使っているんで、いわゆる靴は履いてないんですよ。」
「あ、あんたたちは何者なんだ。」
 気がつくと、一卵性かと思われるほど顔がそっくりの、がっしりした体つきの大男が四人、目の前にいた。彼らは全く無表情に、僕と三葉の両肩をそれぞれつかんで、軽々と縁側に引き上げた。長靴が、ばたばたと脱げ落ちた。
 引きずられるように、部屋の中程まで連れて行かれると、背広の男の前にほうり出される。
 男は愛想良く言った。
「子供を連れて来ていただいたそうで、ありがとうございました。ちょっと、目を離したすきに、勝手に表に出てしまったもので。遊ぶのは庭先だけと言っておいたのですが。」
 彼は自分もあぐらをかいて座りながら、どうぞと、座布団を勧めた。
「遊ぶって。子供にあんな武器を持たせて、危いじゃないですか。」
「武器? はて? もしかしたら、玩具の光線銃のことですか。」
「玩具やないやん。ちゃんと、撃ってたがな。」
「ああ、あれは、ホログラムです。立体映像が映るだけです。」
 背広の男は、子供の母親から、光線銃を借りると、無造作に引き金を引いた。
 バリバリッという音とともに、畳のあちこちに火柱が上がった。彼はついでに、自分の膝の上も撃って見せた。激しい爆裂光が輝いた。
「うわっ!」
「あはは。驚かせてすみません。でも、よく見てください。」
 僕たちは、火柱が上がった畳の上を見てみたが、なるほど、確かに破れたり焼けこげたりした跡は、どこにもなかった。もちろん、男のズボンもなんともない。
「なんなんや、これ。」
「まあ、ご不審のことと思いますが。ここは正直に言っちゃいましょう。嘘も隠しもなく、我々はただの善良な観光旅行者なんです。」
「……あの、そうすると、やっぱり、外国の方ですか?」
 なんとなく、言葉遣いがていねいになってしまう。
「あ、いや、外国というのは、正確に言うとちょっと違うかもしれません。もっとも、国家という概念は、皆さんの時代とは大分変わっていますが。」
「『時代』って?」
「あっはっは。そうです。この人達は、時間旅行のパック・ツアー客で、私は旅行会社の現地案内人なのです。」
「えっ?」
「私、学校で古代語と、古代文化を専攻しまして、今ではこうやって、古代社会に溶け込んで常駐しながら、ツアーのお客様を受け入れる仕事をしておるのです。」
 僕たちは、声も出なかった。
「現代では(もちろん、あなた方にとっては、未来ですが)、環境破壊のために、地上の砂漠化が進行していまして、なかなか雨や植物を見ることが出来ません。このツアー・ポイントは、情緒のある原始の世界が体験できるというので、大変、人気のあるスポットなのですよ。
「しかも、現地人に発見される可能性も低いので、小さい子供連れや、お年寄りでも、気楽に来られるんです。というのも、過去の人間との接触は、歴史改変を引き起こす危険があるので、厳しい制約がつけられているんです。少しでも歴史を変えてしまったら、全員極刑ですからね、気を使いますよ。
「まあ、今回のようなアクシデントは、ほとんどないと思っていたんですが。ご迷惑をおかけしてしまったようで、まったく、面目もありません。
「ま、でも、ご安心下さい。我が社では、こういうときのために、すみやかに記憶を部分削除する技術を、すでに開発してあります。」
 僕と三葉は、いつの間にか、ふたたびあの無表情な男達に、両側から、がっちりとつかまえられていた。こいつらは、おそらくアンドロイドなんだろう。
「おいっ、ちょっと、待……」
 叫ぼうとしたが、大きな手が口をふさぐ。
 背広の男は、笑顔で言った。
「大丈夫ですよ。私達と出会った記憶だけを、ちょっと削らせてもらうだけです。後遺症は残らない……と思います、たぶん。
「もちろん、少し肉体的な苦痛も伴いますが、その苦痛の記憶も、一緒に消してあげますから。あっはっは。大丈夫、大丈夫……。」
 じたばたしながら、引きずられていくと、奥のふすまが、さっと開いた。
 しかし、そこは、絶対にこの廃屋の中ではなかった。いや、この時代でさえないのだろう。暗い部屋の中に、ぎっしりと並べられた様々な機械が、冷たく光っているのが見える。
 その時、ぼくらの背後で、ツアー客達の歓声が、一斉にあがった。
 山の廃村に、雨が、再び降り始めたのだ。

(了)