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06年の亭主口上

06/1の
亭主口上

!! 謹賀新年 !!


 毎年のことで申し訳ないが、やはり12月はホームページの改訂が出来ない。いろいろ人並みにいそがしいのだ。

 それにしても、思い返してみると2005年はあまりにもひどい一年だった。確かにここ数年、悪いことばかり起きる気がするが、列車事故や子供の連れ去りが多発し、住宅リフォーム詐欺どころか耐震設計が偽造され、極めつけは小泉圧勝による現代アメリカ型資本主義の強まりと憲法改悪論議の進展。
 どれも根っこは同じところにあると思えるのだが、人々はあまりにも鈍感になってしまい、目の前のことしか見えなくなっている。

 毎年、毎年、新年だからといって御目出度くはない、という感じが強まるばかりだが、せめて今年が昨年ほど悪い年でないことを祈りたい気分だ。

・・・年賀状はこちらです・・・


06/2の
亭主口上

 父が死去しました。1月10日に入院して27日に亡くなったので、急死と言ってよいでしょう。入院の前日まで自転車に乗って外出していました。医師の説明によると耐性菌による重症肺炎だったとのことです。入院していても病状がどんどん悪くなったので不思議だったのですが。

 三人家族が突然二人になってしまいました。


06/3の
亭主口上

 夢のようなというかあっという間の一ヶ月でした。
 本当にいろいろやらなければならないことが多く疲れました。
 なんとか手続き関係は一段落ですが、まだこれからのことは何も決まっていません。


06/5の
亭主口上

 毎月の更新をしないと心配してくれる人もいて、大変申し訳ないことだと思う。
 ただ、なんだかんだと余裕が無くなると(もっぱら精神的にだが)、どうしてもホームページの改訂のことを忘れてしまうのである。

 もう少しやり方を変えていこうかとも考えているのだが、それ自体がどんどん後回しになっていく。


06/6の
亭主口上

 速いものでもう6月。
 個人的にもいろいろあったが、政治や経済の世界でも大きな節目になるような半年だったのではないかという気がする。
 しかし、情報社会が逆に、様々な問題を毎日次から次へと人々の耳目に届けるために、共謀罪や米軍再編からワールドカップ、倖田來未まで全ての情報が並列的に並んでしまい、価値観のパースペクティブを混乱させてしまっている。


06/7の
亭主口上

 上↑にある黒い囲みはすごくうっとうしいのだが、今月もはずすことが出来ない。

 小泉首相は任期満了の卒業旅行というわけで、国費で世界旅行。アメリカではプレスリーの真似までして大はしゃぎである。その小泉氏が任期中に決着を付けようと、イラクから陸自の撤退を開始した。
 しかしこれはイラクからの「撤収」どころか、あきらかに米軍戦略への協力を強める再編に他ならない。

 つまり、そもそもサマワでの陸自の活動は純軍事的な意味合いは非常に低く(だからこそ派兵出来たのだ)、米国支持の立場表明としてのものだった。だから時期を見て陸自が撤収することは米国にとって何も問題ない。
 一方、空自や海自による物資、燃料の輸送、補給活動は、現実に米軍の軍事活動を支えるものである。今回の陸自の撤収に伴って空自の輸送活動の範囲がより広くなるそうで、これでは実質的に自衛隊によるイラク侵略戦の激化ということになってしまうのである。

 沖縄・普天間基地の「返還」が実は米軍の再編強化への全面協力であったのと同様、あまりにもひどすぎる欺瞞なのだが、マスコミが何故その事実に沈黙しているのか、大変不可解である。

 これではますます「人道的支援」からかけ離れ、イラクの人々からそして世界の人々から日本が侵略者同盟の一員として見られるようになるだけだ。小泉氏が浮かれている間に、かの普天間返還を決めた橋本元首相は死んでしまった。米国追随・侵略荷担の責任を取る政治家はどこにもいない。


 以下のメールをイスラエル大使館(information@tky.mfa.gov.il) に送りました。
レバノン攻撃の中止を求めます
イスラエル国特命全権大使
エリ=エリアフ・コーヘン 閣下

拝啓
 時下ますますご健勝のこととお慶び申し上げます。
 さて、7月12日より貴国はレバノン共和国に軍事的攻撃を行っていますが、この間の空爆および地上戦において 多数の非戦闘員が死傷する事態となっております。とりわけ悲しむべきは、その中に幼い子供たちも含まれているということで す。
 もちろん、貴国におかれましてもレバノンの民兵組織からのロケット攻撃等によって一般市民の犠牲者が出てお り、心より哀悼の意を表するものであります。
 今回の局面に関してどちらに正義がありどちらに非があるのか、あえて個人的意見を申し述べることは控えます が、少なくとも一般市民、非戦闘員を多数死傷させるような軍事行動が是とされるとは思われません。
 人道的見地から貴国が直ちにレバノンに対する軍事行動を停止されることを強く求めます。そして問題の解決を国 際的な協議の場に委ね、平和的に事態を収拾されることを望みます。
敬具
 2006年8月5日
  いまのまさし

06/8の
亭主口上

 先月の口上では、イラクにおける日本の更なる米侵略戦略への加担について触れたが、今月はイスラエルによるレバノンへの無差別攻撃について書かなくてはならない。今や現代中東史上最悪の事件のひとつになりそうな雲行きである。
 実態は露骨な合衆国主導のパレスチナ侵略であるが、本当にこれ程までひどいことがまかり通るというのはどういうことなのだろうか。

 実は最近、原始キリスト教(というかキリスト教成立史)に関連した本を読み続けているのだが、旧約聖書の内容が非常に好戦的なことに改めて気づく。もちろん古代社会におけるモラルを現代人の目から批判してもしかたないが、ヘブル人(ユダヤ人)が古代オリエント〜エジプト世界をさまよった末、ついにカナン(パレスチナ)の地を軍事力を持って獲得するという神話は、まさに血塗られたものである。
 ユダヤ教典を引き継いだキリスト教も、十字軍に代表される侵略・虐殺戦争を繰り返した。現在、キリスト世界はイスラム教徒の「テロリズム」を口を極めて罵るが、客観的に言えばイスラムの方が「まだ」ましな気もしてしまう。(もちろん、殺される側から言えば「まし」な殺されようなどあるはずもないが。)

 それにしても、どうして21世紀の世界においてかかる野蛮な虐殺が横行するのだろう。気になるのは(イスラム原理主義と並んで)進化論を否定し聖書の神話の世界に帰ろうとする最近の合衆国の動向だ。
 科学的論理や理性的思考を捨てて聖書の記述が全て正しいなどと言うのは、20世紀の常識から言えば常軌を逸している。神に導かれたのだからヨシュアがエリコで皆殺しをした(ヨシュア記)のも正義だというのは、あくまでも神話の世界観の中でのみ認められることであり、現実の世界でそんなことが許されるはずがない。しかし、そうした「常識」自体が揺らいでいるのではないかという恐ろしさが現在の状況の中にある。
 振り返って我が日本においても、「新しい教科書」だとか、靖国とか、全く歴史性を無視しし明治時代に作られた皇国史観を強要する勢力がじわじわと市民権を得てきている状況は、非常に恐ろしいと感じてしまうのである。


06/9の
亭主口上

 イスラエルとレバノンのヒズボラとの停戦が合意され、現在のところ大きな攻撃は無くなっているようだ。とりあえずは良かったと思う。
 しかし、日本での報道はあまりないがパレスチナの状況は変わっていないはずで、依然として戦闘が続いているのかもしれない。


 暑い暑いと思っているうちに、もう9月。
 8月は父の誕生月であり、お盆でもあり、また戦争について思いを巡らす返す月だった。


  介護という愛の機会もくれなくて淡泊だったよ父は本当に


 残暑は続くのだろうか。


06/10の
亭主口上

 環境保全活動の現場である原野に入ると、たいてい首筋や手首がかぶれる。アレルギーがあるのだ。
 それが一層ひどくなるのが春と秋。ついにその秋の季節が来た。
 10日ほど前から現場に行くとくしゃみが出るようになり、だんだんと鼻水、咳が出て、いよいよ声が枯れてしまった。これほど症状が激しいのは久しぶりだが。

 そういえば、82歳になる母がどうやら花粉症を発症したらしい。
 バイパスの横に住んでいるので、日常的に排気ガスや粉塵を大量に吸い込んでいるはずだ。
 花粉症は花粉によって起こる病気ではない。大気汚染によってアレルギーが起こるのだ。これもクルマ社会が生み出した苦痛のひとつである。


06/11の
亭主口上

 実は前月の口上で書いた体調不良はいまだに続いている。さすがに最近になって病院に行ったが、まだ咳が出ている。特に人と話をするときがひどい。体もだるい。
 気になるのは、このところ母も咳をするようになっていることで、うつしてしまったのかと気が重い。父の肺炎の時は気づかず、結局死なせてしまったわけで。

 そんな中、メインで使っているパソコンも調子が悪く、非常に難儀している。詳細はブログの方に書いたのでそちらを読んでもらえばよいが、マザーボードを購入し新マシンを組もうと思っているのだが、母と自分の医者通いの毎日で気力が出ない。

 困ったものだ。


06/12の
亭主口上
 なんだかバタバタしているうちに、教育基本法の改悪が決まってしまうらしい。これから共謀罪や国民投票法、防衛省法なんていうのが次々に決まっていき、ゆくゆくは改憲ということになるのだろう。
 こんな風に傍観者的に書くと批判を受けるだろうことは承知の上で、今は無力感というか、何をどう考え、どうしたらよいか、本当によくわからなくなっているのである。

 そもそも民主主義を肯定すべきなのか否定すべきなのか。
 沖縄知事選でさえ自民党が支持される状況の中で、多数決原理を認めるとすれば、毒杯を仰いだソクラテスのように、世の中が悪くなっていくことが解っていても、なおそれを容認するしかないのではないか。

 多数の人が格差社会を是認し、差別排外主義とナショナリズムを是認し、軍拡や環境破壊を認めている現状において、どんな正論を吐いても多数決では勝てる見込みがない。もちろん本質とは違うところでのスキャンダルのごとき事件が起これば一時的に自民党が負けることはあるかもしれないが、それでも第二自民党としての民主党が存在している以上、世の中の動きが大きく変わる可能性はない。

 こんなのは「本当の民主主義」じゃないと言って、武装蜂起〜革命を指向する人が一番純粋なのだろうが、今時そんなことを言う人間は化石だろうし、だいいち多数でない意見をもってする革命というのは論理矛盾ですらある。

 みんながそれが良いというのであれば、もうそれで良いのではないか。その結果この社会が破滅したって知ったことではないのだし。しかし、私個人は個人の生き方としてそれを肯定した生き方をするつもりはない。社会の異端者として生きていこう。こんな世の中を見捨てて、世捨て人として生きていこう。そんなことをふと思ってしまう年末である。

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