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03年の亭主口上

03/1の
亭主口上

 あけましておめでとうございます

 本年も御指導御鞭撻の程よろしくお願いたします

→ 年賀状はこちらからどうぞ
 いつの間にかお正月です。
 なんだか昨年は、自分の人生の中でも特によくわからない年になりました。

 毎日が日曜日なので、季節感が無いというか、気づくと大晦日だったという感じです。ボランティアでやっている自然環境の保全管理活動も、この冬は雨が多 くて作業が進まず、もう暮れも正月もないような活動状態です。

 そんなわけで(?)時間はあったのだけれど年賀状を書きませんでした。いただいた方には申し訳ありません。お返事は必ず・・・きっと、たぶん、なるべ く、あるいは・・・

 そんなこんなで、では今年もよろしくお願いします。


03/2の
亭主口上
 一年計は元旦にあり。であるべきはずなのに、今年の1月は「あ゛」という間に過ぎ去って しまった。今年からは、あれやこれやを習慣にしよう、などと思っていたのに、なにひとつやってない・・・
 一日が長く、一月が短いというのは、毎日をマンネリに過ごしていると言うこと。現在のように会社という習慣がない場合、自分でペースを作らなくてはなら ないのに、それが全然出来てないのだ。これはまずい・・・。

03/3の
亭主口上
 先月から、知り合いがくれるアルバイトの仕事を何件かやっている。データ入力だったり写 真の仕分けだったり、内容はそれぞれなんだけど。
 こうして仕事をやって良いことは、とりあえずそれに集中しているときは、他のことを考えずにすむということかもしれない。

 なにはともあれ、安定的に仕事が入ってくるとありがたいのだけれどね・・・

大変悲しいことに、2003年3月20日
米英軍による対イラク戦争が
開始されました。
日本政府はそれを全面支持しました。
抗議の意志を示すため
トップページの背景を黒にします。


03/4の
亭主口上
 米英豪軍によるイラク侵攻戦が始まってしまった。
 この戦争には大儀がない、アメリカの一国的利害のための戦争だ、という声は世界に多いが、こんなひどい戦争でさえ、日本の中に同調する意見があるという こと自体に、なにかひどく不気味なものを感じざるを得ない。
 そんな気持ちを、反戦集会の感想や、かつての日本の戦争被害のことなどに絡めて書いた短文を朝日新聞に投稿したところ、さいわい3月29日東京版朝刊の 「声」欄に掲載された。

 ただ、こうなった以上、どちらが勝つにせよ、負けるせよ、一刻も早く戦争が終結することを望むだけだ。来月の口上では戦争終結の感想が書けることを期待 している

03/5の
亭主口上
 はたして戦争は終わったのだろうか?続いているのだろうか?それとも始まろうとしている のか?

 21世紀型の戦争は、始まりも終わりもなくなってしまいました。ずっと昔、SF小説に「終わりなき戦い」というのがありましたが、戦争と日常はもはや区 別できなったようです。

 ただもうひとつ言えることは、現実と空想との区別もまた難しくなりつつあるということです。この戦争はいわば、9・11のツインタワー崩壊の中継から始 まって、バクダットの銅像引き倒しの中継で終わった、テレビというガラスの向こう側にある「バーチャル」な戦争だったとも言えるような気がします。
 情報が溢れるほどあることが、逆に実相に近づくことを困難にしているというのは、大変皮肉なことですが、そこに演出や情報操作、偽造が入り込んでくれ ば、世界はまさにオーウェルの「1984」になってしまいます。
 (イラクの情報相の記者会見なんて、まさに典型でした。)

 新しいネタ探しにどん欲なテレビは、すでに例の白装束集団=千乃正法バッシングにシフトしていますが、歪んだ疑似科学の膨大な情報に漬かったカルトと、 威圧的に正義を振りかざして強行に取材するテレビ局の攻防には、何とも言えない危惧をおぼえずにいられません。


03/6の
亭主口上
 あれはなんだったのだろう?
 テレビが大騒ぎした「白装束集団」。
 偶然かどうかはわからないが、有事法制が最終局面に入った時に騒がれ出し、法案通過が決定したとたんにピタッとなくなった。
 これは昔から決まってやられる手法だが、今回もセオリー通り、皇室カードも切られた。皇太子一家突然の公園デビューってやつである。

 このごろ気持ちが暗い。
 仕事であれ運動であれ、ポジティブで生産的なことをやれるのなら、たぶん人間の気持ちは明るくなる。しかし、ぼくたちはずっと、何か新しいことを提案し 実現していく余裕などなく、次から次に襲いかかってくる強大な圧力に対し、反対するだけで精一杯だった。
 反対運動というのは、やはりどうであれネガティブな立場で、たぶん同じエネルギーを使うのなら、ポジティブな立場より苦しい。

 だから、ぼくは運動を本業に出来ないのだろう。自分をクリエイターにしておかないと、やっちゃいられない。

03/7の
亭主口上
 埼玉県の土屋知事というのは、大変な人物であるには違いない。
 国務大臣をやり、国会議長をやり、全国知事会の会長までやってるわけで、こんな人は、たぶん他にはいないだろう。
 ただ、彼が知事になってから埼玉県の状況がひどくなったのも事実だ。いかにも悪徳政治家というイメージを発散している。ところがなぜだか共産党以外の全 政党がオール与党となって押しているために、これまで常に安定的な立場を維持してきたのだ。
 それが先月、朝日新聞に、ダスキン問題に絡めて汚職疑惑を報道されてしまった。今後どうなるのかはわからない。一般県民の意識としては、何事もなく沈静 化するような雰囲気が依然として強いのだが。

 だが、それも仕方ないことかもしれない。
 つまり彼のスタンスは、カネと権力を求めて何が悪い、そのためにやれることは何でもやるのさ、ということなのであって、それは現代日本という場において は、きわめて「正常」な思考なのである。
 ポスト冷戦期に入って、資本主義というシステムそのものに対する批判は、大変影の薄いものになってしまった。論理的なレベルで(つまり宗教の教義ではな く)カネと権力を否定する(すなわち貨幣制度と国家制度の廃絶)勢力は、現在ではほとんどいないと言ってよい。
 日共でさえ、大きな転換を図った新綱領を発表し、いよいよ革命の旗を降ろそうとしている。

 カネと暴力による支配を極度に強める合衆国型の論理の中に、日本の伝統的なモラルも、マルクス主義的なモラルも、みんな沈没していこうとしているのであ る。
 これだけの騒動を起こしながら、涼しい顔で知事に居座る土屋氏の態度は、まさにイカサマで大統領になったブッシュ氏の姿に重なっていくのだ。


03/8の
亭主口上
 異常気象である。
 8月になろうというのに、まだ梅雨が明けず、気温が上がらない。おそらく冷夏で、米不足は必至であろう。
 さらに九州では大雨と土石流被害、宮城では連続した直下型地震。
 空を見上げれば不吉に赤い星が・・・(って実は天気が悪いこともあって全然見てないが)。火星が79年ぶりとも、129年ぶりとも、いや紀元後最大とも 言われる大接近なのだそうである。
 地上では戦後の日本の方向性を一変させることになりかねない、自衛隊の派兵法が成立し、民主党と自由党が電撃合併し、12歳の少年少女を巻き込んだセン セーショナルな事件が続く。

 そう、こういう年もあるのかもしれない。天変地異の年。それじゃ、やっぱりアレが原因なのか?!

 不吉だとは思ったのである。だって、よりにもよって、あのダメ○○が折り返し時点でマジックを点灯させてしまったのである。そう、関西を拠点とする某プ ロ野球チーム・・・。勝ってば勝つだけ、次の試合から連敗地獄に堕ちるんじゃないかと不安が強まってしまう、あの球団である。
 ちょっとの勝ちなら「雨でも降るんじゃないの」と笑ってすまされるが、こうまでひどい勝ち方だと、地球崩壊規模の天変地異が起きても不思議ではないの だ!

 いいのかこれで!!

 って、茶化してて良いのか? てゆーかあ−。茶化してないとやってられないってば。

03/9の
亭主口上
 あっと言う間に8月が過ぎてしまった。
 こんなに一月が短かったのは久しぶりなのだが、どうしたわけだろう。
 理由の一つは体調不良にあるような気がする。
 酒量を減らしたりしたのだけれど、なんなとく体がだるく、昼間寝てしまうことが多かった。まあ、仕事が少なかったこともあるのだが。
 いよいよカネも無く、さあこれからどうしたもんだか・・・

03/10の
亭主口上
 もうかなり秋めいてきましたが。

 ひさしぶりに同人サークル関係の活動を再開したかと思うと、地元の関係で少し動かなくてはならない事情も生じ、頭があちこちに向かって混乱気味です。
 こういう状況になると不健康な食生活になりまして、絶酒とウーロン茶で減っていた体重も、ビールとアイスクリームでもとに戻ってしまったような・・・。
 ついでに、久々に風邪を引いてしまったようで、胃痛、喉痛、倦怠感におそわれました。若い頃はこういうときにブレーキをかけることを知らず、ぶっ倒れる ところまで行ってしまったのですが、さすがに最近はじっと休むことを憶え、そこそこ生き抜くことが出来ます。

 今年もあと3ヶ月。いつも以上に忙しい秋になりそうな気配です。


自衛隊のイラク派兵
絶対反対!


03/11の
亭主口上
 選挙の秋です。埼玉県の某市では、参院補選、衆院選、市議会選挙と立て続け に選挙があります。
 実はぼくもそういう中で知人の選挙を手伝うことになり、会社を辞めて以来、最も忙しい毎日を送っています。(でも会社勤めをしながら環境保全活動をやっ ていたときの方が、実際は大変でしたが。)

 しかし、こうして新しい世界に関わり、いろいろな生き方の人と接するうちに、やはり結局は自分自身のオリジナルな生き方をしなければいけないんじゃない だろうか、という気持ちになってきます。
 人を手伝うのではなく、自分がやるべきことをやっていく、誤解をされようと非難されようと、本当に自分がやりたいことをやっていく、そういう決断をいつ かしなくてはならないだろうと思うのです。

 実際上、この二年ほどは、人生の転換期のただ中にありました。ぼくにしてはかなり長い中間期だったのですが、それもそろそろ終わりに近づいているという 感じがしています。

03/12の
亭主口上
 いよいよ年も押し詰まり・・・と書いていても、まったくそういう感覚がな い。季節感を感じる余裕が無くなっているのかも知れない。

 同じような事件が続けて起きる。先月で言えば、歩いている子供や女性をいきなりクルマで拉致しようとする事件、高速道路の逆走事件、パトカーに追われた クルマが事故を起こす事件。どれも何度も同様の事件が繰り返されたものだ。
 本当に続けて起きているのか、それともマスコミが報道しないだけで実はいつも起きていることなのか、そこのところはよくわからない。

 それにしても、ここで目立つことは、これらの事件が全てクルマ=自動車に絡んでいるということだ。
 これだけ技術が進歩しているのだから、アルコール分を検知したり、免許証を差し込まないと動かない装置とかが出来ても良さそうなものなのだが。しかし日 本のクルマ事情は、速度リミッターさえ「売れなくなる」という理由でちゃんと取り付けないお粗末さなのである。
 少なくともナンバーはもっと見やすくすべきで、車体に大書きするよう決めるべきだ。それだけでもかなり意識が変わるのではないだろうか。
 クルマがらみの犯罪が増えると言うことには、もちろん理由があって、それは戦後日本が根元的に抱えてきた問題と一致する。個人のアトム化の問題である。

(アトムとは原子のことで「個」的になるという意味。社会の中での責任を自覚して役割を果たそうとする本来的な「個人主義」とは別の現象としてとらえた い。詳細は別の機会に譲るが、クルマは個人の自由の象徴であり、そうであるが故に下記のように倫理がはたらきづらい。ナンバー大書き論は、交通は基本的に 公共的なものであるという観点から、アトム化と対決する手段として提案するものである。もちろん、パソコンやインターネットも同じような「個」の象徴であ り、非常に問題が多いけれど、とりあえず直接的に人の命を奪うものではないし(もっとも間接的にはクルマより凶暴かもしれないが)、他のところでもさんざ ん述べているので、ここでは触れずにおく。)

 戦後よく言われた「核家族」さえ、現代では崩壊してしまい(ぼくはこれを「核分裂」と呼んでいるが、「個族」という言い方が流行っているそうだ)、ひと りひとりの人間と(古い言い方で言えば)ゲマインシャフトとの結びつきは、ひどく希薄なものになってしまっている。倫理というのは社会性の中において成立 するものだから、精神的共同体に帰属しない人が増えれば社会の倫理も崩壊する。モラルハザードである。
 一方でそうした社会現象を自分の内的な問題としてとらえられず、外的な原因に責任を転嫁(例えば外国人が増えたから犯罪が増えているとか)しようとする 人が多くなると、モラルパニックが発生することになる。

 別にぼくはそういう問題の「原因」がクルマだと言っているわけではない。クルマがそれを「象徴」していると言っているのだ。
 しかし、クルマ社会の問題をみんなが真剣に考えてくれれば、きっと原因についても理解出来るようになるのではないか、そう期待したいのである。

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