■ 1998年作 短 歌 集 ■                     いまのまさし     『デボン紀』(短歌八首)  低き日に山の端固し猛禽の翼たおやかに停止する一天  きしがみ(*) 「 岸 上 の歌だけが真」と北からの賀状これあり'98年 もだ  黙 せりて残業しおる工員の屋根の上なる蒼きオリオン  足下の凍てし雪より幾光年リゲルの炎は何も溶かさじ  超巨星ベテルギウスは火球なれどかざす掌ぬくもりは無し  ある時は死に様ばかりあれこれと思う日もありたとえば今日   は たる  糾弾文書き詰まり消すディスプレイに顔ひとつ映ゆ弛みしその顔   せな  ゆらゆらと陽光背中に流すまま一月のジュゴン夢見るデボン紀   (*)―岸上大作/1939-1960 学生歌人。代表作「意志表示」。    『 ナ イ フ 』 (短歌八首)  詠むべきと思えることなど今日も無く日常顔の工場の壁  理屈なき焦りを一つ沈めんか深夜にさまよう古本ショップ  文字の無きワープロ画面スコッチとジャズとしつこき肩こりの夜  パイロットランプか細しCDを載せざるトレイの先なる空洞  ナイフもて逆襲する者される者何への逆襲かさえ知らずに  テーゼ無き時代の音かバタフライナイフを開く音軽くして  『マーラーの復活』音の軽薄に聞こゆは安きスピーカ故や            いずこ  曇光射すまどろみの中何処にや若き男の叫びは長く      『白井貴子』  旧友と再会したよな心地抱きライブを帰る月満つ鎌倉  歌声をはこべ春風はるかなる異郷の地まで元気を乗せて                     め  雨桜蕾は明日に咲かんとす固き蕾を貴子は愛でたり  少女の日ラジオの前にいつか行く高き頂き心に秘めぬ  しみ通るラムのひとくち一日の高ぶる心ここに沈めん      『杭と燕』 (短歌七首)  菜の花の畑毎々に濃き香り浴びて自転車走らす砂利道  鋭角に視界かすめて燕飛ぶ夏の上着を引き出せる朝             つばくろ  材木屋が冬守りたる軒陰の燕の巣に朱き顔見ゆ  開発の杭打たれたる野はどんな原罪負いて磔刑を受くや        うづ  「快適」は緑を埋め作らるる湿原に立つ杭整然と  曇天の下に木杭の赤黒く追われるものは自然か人か  人間の愚行をつくす地なれども燕戻れり無言のままに       『雑詠』  菜の花の咲くせせらぎと満開の桜の中を走れ自転車  静かなる霞に続く桜並川辺に置けよ自転車そっと  花びらよ吹雪けガードに生命の挽歌となりて賛歌となりて  のあざみの花の上には一寸の童がおりて風を見月を見  旧友は原発技術者再会に言葉を探る反対派我れ                メプロゼニット  モノクロの子供姿に我を焼きしソ連製カメラいつか失せにし  リアリスト溢れる街に微笑まん夢ただ一つの財産として     『鳥たちと猫たちと』  橋下に一羽まぎれしオナガガモためらいし末ピルルと鳴けり                   と  ゴミ袋空き缶タイヤ流れ来てセキレイ疾くも領地主張す              いにしえ  窓辺より水の香甘く流れ来る古言えり菜種梅雨とぞ  露たれる草むらの中は涼しいよと時折顔出し猫語の報告  公園のノラがおはようおはようと足にすり寄る片目無き猫  迷惑だ猫は室内で飼いなさい構築される快適な街  猫だって出かけたいのさ混雑の列車に紛れて澄ました一匹    『海、および  』(短歌八首)  あなたには海の匂いがするのと言いし 嗚呼君の海には為れず  地下道の長きを抜けて乗り換えぬ線路の先の海は何色  歌え友!深奥未だ滲み出る油の如き怒りのあらば        たが  新刊の読み方違う電話口に友と隔たる時間の厚し  たまかつま会うは別れの初めとか銀座の空にキノコ雲立つ  悔しさというを幾たび越え行くや列車の音させバンド・ソウ回す(*)  澄み渡る闇に「ケルン・コンサート」流せば私が静かに戻り来   (*)バンド・ソウ=工業用電気のこぎりの一種    『佐渡行・一九九一夏』(短歌五首)   いてやま  世の中に神々しきというはある海照らす月猛る凍山   あそびと  島人は島の灯いかに見るならん遊人我に感慨の無く  潮を飲みもがきてしがみつく岩に小さき蟹のまなこにらみぬ  まぶしかるビーチパラソル磯の辺に表ワシエヌコト常ニ抱キ来シ  金山の紅き岩壁指先に触れれば固し夏日過ぎ行く    『赤・白・黄』(短歌八首)  ヴァン・ルージュ  赤 ワ イ ン 渋みの中に会いに来る恋は記憶の彼方うたかた(▲)  すり切れた言葉を鞄に押し詰めて発たん再び君に会う日へ          フォント  パソコンの列なす 文字 の中に会う友得て三年顔は知らざり  画面には雨降りしきり核の喩の怪獣今も白光吐けり(*)  俺などは無力だほんとに無力だよ蛍光管の光白々  仰向きに寝れば常夜灯ほの赤し力なき蚊をつぶせり先程  戯れるごと黄アゲハはヒヨドリに突かれつ舞い翔びながら食まるる      おもり  思索なる 錘 持たざる軽やかさ鳥の自由よ垂直の真日   (▲)「NHK歌壇9月号」(1998)佳作   (*)「NHK歌壇10月号」(1998)佳作     『 鳥 達 の 街 』 (短歌五首)  せせらぎに朝日はじけてその真中二羽のコガモはただ藻を食める  自己主張すべき事いかに多からんさてもヒヨドリ鳴き回りけり  たそがれの橋脚吹き抜く北風に首をすくめてサギ動かざる       むくろ       まなこ  歩道にて拾う骸のカワラヒワ崩れたる眼手の中に厳し  ひらりひら鴉は風に乗り合いて雲ただ二つ空に動かず      『世紀末的世紀末』           せ あした  木枯らしに人も車も急く朝弁財橋に小事故もあり  死刑囚獄中画展出てくれば道に居眠るホームレスあり  愛犬のクローンを作るとう見出し朝刊卓に四角く置かる  温暖化防止訴うデモが行く車道の隅に押しやられつつ(*)  木枯らしのラストシーンだ淀川さんサヨナラサヨナラサヨナラさよなら   (*)「第二十九回上尾市短歌大会」佳作     『アルバニアの羊飼い』  アルバニアはるか彼の地の牧童は星満つ夜に何祈るらむ(*)  みなかみ    うず いちこ  水 上 は半年雪に埋もれぬ市子の墓も縄文遺跡も  霜踏んで行こう『若き農夫』を愛唱す父は生涯職工たりし  根付く場所持たず不惑になりぬべし師走の夜のホームに一人(▲)  乾きても乾きてもなお降りそそぐレノン優しく冬の世界に   (▲)「NHK歌壇3月号」(1999)佳作   (*)「NHK歌壇3月号」(1999)佳作