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 本物の生き物は
いまのまさし


「おまえには手をつけないから安心しろ。」
 と、黒いマントに身をつつんだ男は言った。ぼくはアルバイトで血液銀行の夜間警備をしていた。仮眠をしていた警備員室で息苦しくなって目を開けたら、彼が立っていたというわけだ。とっさにぼくは金めあての強盗だろうと思った。
「ここは血液銀行ですよ。金なんかありません。」
「俺は、ドラキュラだ。」
 血液銀行などに入る間抜けな泥棒がいるわけがないと気楽に始めたバイトだったが、まさか吸血鬼が来るとは思わなかった。
「血を保管してあるところへつれていけ。」
「でも……」
 ドラキュラがちらりと冷たそうな牙を見せたので、ぼくはしぶしぶ地下の血液保存室へ案内していった。保存室の扉を開けると、とたんにドラキュラは快活におしゃべりを始めた。
「ずいぶん長いこと眠ったなぁ。今は?……もう二十一世紀になってるのか。速いもんだ。ま、吸血鬼といってもね、昔みたいな野蛮なことはやらないさ。多少味は落ちるけど、こうやって保存血液なんかでがまんするようになってね。人間との平和的共存が望みなんだよね。俺の主食が人間の血液だからって、人は俺を悪者にするけど、本当は心やさしき一個の生命なんだ……。」
 べらべらしゃべりながら、ドラキュラはうれしそうに血液パックの口を破り、一息に飲んだ。
「あの……」
 ぼくが声をかけるのと、ドラキュラがむせかえり、苦しそうにごぼごぼと今飲んだ血を吐き出すのが同時だった。
「なんだ、こいつ!俺を殺そうって気か。下手にでてりゃなめやがって!何を飲ませたんだ。」
「だって、いきなり飲んじゃうんだもの。あのねぇ、ここには人間の血は一滴も置いてないんですよ。よく見てごらんなさい。全部人工血液なんだから。」
 ドラキュラはうす気味悪そうに今飲んだパックをながめた。
「なんでぇ。ろくでもないものを考え出しやがったな。」
「大学病院へでも行けば、たぶん本物が置いてあると思うけど……」
「そうか、じゃましたな。若いの。」
 そういうとドラキュラは、意外にあっさりと、マントをあおってくるりとふり向き、扉を押した。それから、もう一回押して、今度は引いて、こぶしでどんどんたたき、満身の力をこめて蹴とばして、顔を真青にしたが、それでも扉は開かなかった。
「きっと防犯用自動シャッターが閉まっちゃったんだ。」
「はやく開けろ。」
「ぼくバイトだから開け方知らないんですよ。明日の朝んなりゃ、誰か来てくれるでしょう。」
「朝の陽にあてて俺を殺す気だな。人間のやり口はいつもそうやってきたないんだ。」
「そういうつもりじゃないけど……。吸血鬼なら壁くらい通り抜けられるんじゃないの?」
「どういうわけか、この部屋は完全気密になってるんだ。はい出るすきもない。」
 そういえば、この保管室は本来核戦争の時に備えた、避難用シェルターで、平和時の施設利用として血液銀行が使用していたのだ。
 ドラキュラは、悲愴な顔で再び無駄な努力を始めた。ぼくは何かばからしくなって、床の上に横になった。ともかくも、ドラキュラ出現のおかげで今晩は仕事をせずにぐっすり眠ることができる。
 目をさました時、ドラキュラは、棚のかげで死んだみたいに眠っていた。たぶん朝になったのだろう。ぼくは外部と通じる電話をみつけ出して、さっそく警備室にかけてみた。長い呼び出し音の後に、出勤してきていた主任の声が聞こえた。
「おまえ、そんなとこにいたのか。運が良かったな。」
「どうしたんです。元気が無さそうですね。とにかく扉を開けて下さい。くわしいことは後で話しますから。」
「いや、開けない方がいいよ。十年くらいは出てこない方がいいだろう。」
「まさか。」
 ぼくがドラキュラと保存室にいる間に、地上では核戦争がおこったらしい。直撃はまぬがれたものの、放射能はそろそろ致死量を超えるところだと主任が言った。
「その様子だと、防核システムが全部自動作動しているようだな。さがせば食料もあるだろう。いざとなったら、人工血液飲んでも生きてけるよ。運がよけりゃ死なずにすむだろ。くそ。俺はシェルターにはいる間もなかったんだぞ。朝テレビ見ておきゃよかったんだよな。戦争が始まったことを知ってりゃ、逃げこめたのによ。新聞にゃ何んにも出てねぇんだもの……」
 それで、電話は切れた。
「まいったな。」
 ぼくは、そうつぶやきはしたが、本当のところ、この事態がどのくらい「まいった」事なのか、よくのみこめなかった。
 夜になってドラキュラが目をさましたので、状況を説明してやった。ドラキュラは、半狂乱になった。
「人間ってやつは、どこまでばかなんだ。なんで人間のために俺がこんな目に会わされなきゃならない?
「もう腹が減って死にそうだ。(もちろん、ぼくはこのころにはドラキュラは死なない妖怪であることに気づいていたので、それほど同情はしなかった。)これだけの血があるってのに、俺には一滴も飲めんのだぞ。こうなったらおまえの血をもらう。」
 ドラキュラの顔が、ぼくの目の前にアップになって迫った。苦しまぎれにぼくは叫んだ。
「ぼくを一度襲った後は何を飲むんだ。ぼくも吸血鬼になっちまうんだぞ。」
 ドラキュラは牙をひっこめて真顔になった。
「とも食いはぞっとしないな。」
 結局、ぼくを襲わないかわりに、ぼくは毎日注射器で自分の血を少しとって、ドラキュラに与えるという提案をして、どうやら彼を納得させた。
 何ヶ月か過ぎた。ぼくは保存食を食べ、人工血液を飲んで元気だったが、ドラキュラはかわいそうに、骨と皮ばかりになってしまった。今では完全に立場が逆転して、人間であるぼくが、当然の秩序として、妖怪である彼の優位に立っていた。
 そんなある日、電話が鳴った。信じられない気持でぼくは受話器をとった。
「もしもし、誰か生きているのか。」
 電話からは、はっきりした人の声がした。
「私たちは、月植民地からやって来ました。地球の残存放射能を調査にきて、偶然、作動しているシェルターを発見したというわけです。これから無人救援機を降ろしますから、一緒に月へ行きましょう。」
 ドラキュラとぼくは抱きあって喜んだ。涙が流れた。人間は生き残っていたのだ……。ぼくは一瞬我にかえった。ドラキュラがキスをしようとしてきたのだ。
「おい、やめろ。」
「あなたの体はとっても魅力的ですね……。何度血を吸っちまおうと思ったことか。へっへっ。これで何もお前にへいこらする必要は無くなったって訳だ。今日の救援を記念して、お前の血で乾杯させてもらおう。
「よくも今まで俺を見下してきやがったな。人間が本物で妖怪がにせものだと。人間は、俺を怖がっているふりをしながら、本当は俺を見ることによって自分たちが本物の生き物なのだと確認して安心していただけだ。俺は俺なんだ。人間のために生きているんじゃない。」
「こら、やめろ。」
「はは。お前も吸血鬼となって、一緒に月で我が種族を繁栄させてくれ。月世界の吸血鬼か。これはいいネーミングだ。吸血鬼は不滅だ。永遠に人間たちを恐怖させてやるのだ。人間が妖怪と自分を比べることで自分の存在を証明したように、吸血鬼は人間を襲うことによって、自らの存在を肯定していくのだ。」
 その時、天井を壊して救援機が降りてきた。風がおこらないところをみると、エアカーテンで外の空気が入らないようにしてあるのだろう。
 二人は動きを止めて、銀色に光るその円盤状のものをみつめていた。するすると潜望鏡のようなものがのびて、あたりをぐるぐる見回した。
 潜望鏡の目がぼくに止まると、やおら機械の手が出てきて、あっという間にぼくを内部に取り込んだ。中からは外の様子が、自分の順番を待っているドラキュラの姿がよく見えた。しかし、潜望鏡は、何も見えないように一まわり回転してひっこんでしまった。ドラキュラは不安そうに、救援機に向かって何か話しかけた。救援機は彼を残したまま、低いうなりをあげて上昇をはじめた。
 狂ったように吸血鬼はとびついてきたが、もうとどきはしなかった。泣き顔のドラキュラを下に見ながら、状況はどうあれ、地球に残った唯一の生き物−ドラキュラが、これでついに人間の影であることから抜け出して、本物の生き物となったことを、一応祝福した。吸血鬼は、潜望鏡の鏡にうつらなかったのだ。
end大正大学文芸部 「天壌」第四号(1979.11.4)初出