ミニ・エッセイ・シリーズ

『 9 8 年 「 ト ラ ス ト 通 信 」 か ら 』(論可)

             いまのまさし(JUNK−O)

 ぼくの地元、埼玉県上尾市には、国や県のレッドデータブックに指定されている絶滅寸前の貴重な植物が、何種類も自生している場所があります。
 財団法人埼玉県生態系保護協会上尾支部を中核にして、市民、学生、企業、労働組合、行政が連携しながらの保護活動が行われていますが、開発の波の前に事態はきわめて深刻になってきています。
 「サクラソウトラスト通信」は、その運動の機関誌ですが、今回は、今年そこに投稿したぼくの文章をまとめて紹介します。

 1.江川(*)は海まで続いてる

 サクラソウとは、全然関係ないんですが、先日、白井貴子というロック歌手のライブコンサートを聴きに、鎌倉まで行って来ました。ライブ、すごくよかったぁ……という話は置いといて。
 このライブが、他とちょっと違っていたのは、プレ・イベントとして、その日の午前中に、有志による由比ヶ浜のゴミ拾いが行われたこと。
 参加者は結構いて、もちろん、歌手本人も先頭に立って、ゴミ拾いしてました。
 企画したのは、地元を拠点にした環境運動の市民グループだそうで、主催者の方に立ち話で聞いたところ、最初は5人で始めたけれど、一時期は2人になったこともあったとか。こんなふうに、いろいろ工夫して、運動を続けているんだと笑っておられました。
 その中で印象に残ったのは、「海を守るためには、本当は、山から始めなければいけない」という言葉です。
 それを聞いて、この埼玉の地で自然環境を保持している運動も、実は、ずっと海にまでつながっているんだ、いろいろな場所で、自然を守ろうとがんばっている多くの人達の気持ちとつながっているんだということが、わかったような気がします。
 そして、きっと海は世界中(の人々)とつながっていくのでしょう。
 そんなことを考えながら、気持ちを新たに、これからもトラスト地に出かけていきたいと思います。(とは言え、たまにしか参加できませんが−オイオイ)

                       (1998.2.5号)

        (*)サクラソウ自生地を流れている川の名前

 2.怖い怖い散弾の話

 職場の同僚に、おしゃべり好きの「はなし」オジサンがいる。と
は言っても、お話オジサンではなくて、大の医者嫌いで前歯が欠け
ても歯医者に行かない、「歯無し」。
 このオジサンとも、たまには同じ仕事をすることがあるわけで、
こうなるとずっとおしゃべりにつきあわされる。先日もそんな折り
があった。
 どうせなら、こっちから話題を仕掛けてやろうと、荒川周辺の全
面禁猟要請運動の話をしてみた。実はこのオジサン、実家が農家だ
ったらしく、今でも荒川の河川敷内に農地を借りて、朝や休日に耕
作しているのだ。
 ぼくが「なかなか鉄砲を撃つのを止めてもらえない」と言うと、
オジサンすかさず「そうだろうなぁ」と相づちを打って、ちょっと
おっかない話をしてくれた。
 もともと、地元では水田農家がスズメを追い払うのに、散弾銃を
ぶっ放してきた。これは昔からの習慣で、よその家の畑にも勝手に
踏み込んで来てやるんだそうである。それでも、昔は土地も広く、
それに比べて散弾の量は相対的に少なかったので、別に問題になる
ようなことは無かった。
 ところが、最近は、農地が狭い上に集中しているので、いきおい
放たれた散弾は畑の上にばらまかれる。ここで、畑作農家に被害が
出てきたというのだ。
 オジサンいわく「鉄砲の弾からアクが出て作物の芽が出ない」
(!)。
 ぼくには、このアクの正体が何かは分からないが、たぶん弾は鉛
で出来ているだろうし、どんな重金属や薬品が畑に溶けだしている
か、わかったものではない。
 こういう畑で「幸いにも」芽を出してしまった野菜を、ぼくたち
は食べさせられているのだろうか。
 気づかぬ内に、とんでもないところに、環境汚染は広がって行く
んですね。  

                       (1998.5.27号)

3.杭と燕 (短歌七首)

  菜の花の畑毎々に濃き香り浴びて自転車走らす砂利道


  鋭角に視界かすめて燕飛ぶ夏の上着を引き出せる朝

             つばくろ
  材木屋が冬守りたる軒陰の燕の巣に朱き顔見ゆ


  開発の杭打たれたる野はどんな原罪負いて磔刑を受くや

         うづ
  「快適」は緑を埋め作らるる湿原に立つ杭整然と


  曇天の下に木杭の赤黒く追われるものは自然か人か


  人間の愚行をつくす地なれども燕戻れり無言のままに

    (1998.6.30号)

4.空が気になる理由

 7月の終わりに、三つ又(*)の自然観察会に参加した。ぼくに
は全然見えないのに、みんなは、どんどん鳥やトンボを見つける。
ちょっとくやしい。
 ま、それはともかく。
 観察会としては、カッコウも出ず、少し寂しい気もした。でも、
あらためて見渡してみれば、元荒川周辺は、ゴルフ場と畑で埋め尽
くされ、ゴルファーのカートは走り回るわ、スズメを追い払うプロ
パンガスの爆発音はひっきりなしだわ、鳥達が近寄りたくない気持
ちもよくわかる。
 ヒトという動物は、真面目な上にバイタリティーがある。仕事も
遊びもやるとなったら徹底的だ。だからこそ地球の覇者にもなれた
のだ。農業にしろゴルフにしろ、暑い中で、みんな一所懸命にやっ
てるんだなあと感心する。
 だけど、そのパワーが、多くの生物を絶滅に追いやり、今や人間
自身をも環境汚染で苦しめる状況を生んだ。
 と、ここで思い出したのは、以前教えてもらった、セイタカアワ
ダチソウの根が持つアレロパシーという作用のこと。なんでも、同
じ場所に生えている植物のうち、自分の好きな植物はどんどん増や
し、嫌いな植物は駆逐してしまうのだそうだ。その力は、終いには
その作用で自分自身まで滅ぼしてしまうほどだという。それで、ご
承知の通り、トラスト地では目の敵にされ、見つかる度に引っこ抜
かれている。
 でもあえて、セイタカの代弁をさせてもらえば、彼らは、故郷の
アメリカから日本くんだりまで連れてこられて、それでも、必死で
異国の地に生きていこうとしているだけなのである。自分の住みよ
い環境を作ろうとがんばって、他の植物を死滅させ、結局最後には
自分自身まで殺してしまうという、どこかで聞いたみたいな哀れな
話だ。
 で、ぼくは、今度は空が気になって仕方ない。だって、ある日突
然、ぼくたちを引っこ抜こうと、誰かの手がのびてくるような気が
してしまうんだもの。

                        (1998.8.31号)

(*)上尾、桶川、所沢各市が接する荒川の河畔で、現在、建設省
が自然観察公園を建設中。昔は荒川の本流が流れていたが、今は元
荒川と呼ばれる。

5.『猫は室内で飼いましょう』・・・

 トラスト地の話でもないし、自然の話題でもないのですが・・・。
 上尾市内の某公園の植え込みの中に、猫小屋が隠してあります。。
小屋と言うより箱ですが、中には敷物も敷いてあり、キャットフー
ドも添えてあります。おそらく誰かが野良猫の為に置いたのです。
 最近新聞を読んでいたら、猫害に苦しむ人たちの投書がたくさん
載っていて、「猫を放し飼いにするな」、「野良猫に餌をやるなど
もってのほか」など厳しい意見が述べられていました。
 庭を猫のトイレにされたり、洗濯物を汚されたり、食べ物を盗ま
れたりしている人達が怒るのはもっともです。件の誰かは、それで
こっそり猫小屋を隠したのでしょうが、さて・・・・。
 確かに、犬や猫がうろうろしていない街は、衛生的だし快適です。
それはその通りだけれど、でも、ぼくにはなんとなく引っかかるも
のがあります。
 身の回りから生き物がどんどんいなくなっていく時、人は生命の
重さをどんな風に実感するのでしょうか。
 半年ほど前のことです。仕事からの帰宅途中、ひとりの男の子が
ぼくの自転車の前に飛び出してきました。
 「助けて」と言うので見てみると、全身真っ白の若い猫が倒れて、
けいれんしています。外傷は見えません。子供の話では近くの神社
に住む野良猫だと言うことです。
 正直、面倒だなと思いました。でも、子供は真剣です。そして猫
とはいえ、今、一つの生命が危機にさらされているのです。仕方あ
りません。
 その子が知っている獣医が近くにあるというので、猫を抱いてつ
れていきました。力の全くない猫はとても重く感じられました。そ
の生き物のぬくもりと湿り気は今も忘れません。
 その獣医さんは「手遅れだ」と言いながらも、注射を無料で打っ
てくれました。
 猫を休ませるところがないので、ぼくの勤めている町工場に運び
込みました。経営者は、快く引き受けてくれた上、タオルなども出
してくれました。
 しかし、こうした多くの人の善意のリレーもむなしく、やはり、
翌朝には猫は冷たくなっていました。
 猫の死の原因は、男の子(中学生でした)が突き止めました。
 本当に悲しいことに、猫は、近くに住む若い男にめちゃくちゃに
殴られていたのだそうです。
 命の重さを感じる人と感じない人。
 命の重さは量りようはないけれど、目の前になければ感じようも
ありませんよね、きっと。

                  (98.12.1現在掲載未定)

                         (了)